恐竜と出会えるまち兵庫県丹波市で楽しむドライブ
兵庫恐竜と出会えるまち兵庫県丹波市で楽しむドライブ
まいどまいど! 織田信長の親戚にあたる織田家ゆかりの地として知られ、多方面から多くの観光客が訪れる人気観光地でんねん。 かつては城下町として栄えていた歴史を持ち、市内の各所には当時の面影を今に伝える重要な建築物も垣間見えまんな。 その他、テレビや新聞、雑誌などメディアで取り上げられることの多い、大ケヤキは、川をまたぐようにして木の根が張り、別名、木の根橋とも呼ばれてまんねん。 柏原八幡宮は京都の鎮座する石清水八幡宮との深い縁を持ち、多くの参拝者の姿が。 付近を散策していると、地元では有名という洋菓子のお店、中島大祥堂。 茅葺屋根が目印で、店内ではゆっくりとコーヒーとケーキが楽しめる人気のお店。 時には満席になるほどの時間帯があるといい、取材当時でも多くの来客の姿が。 そして、丹波市では特に有名なのが水分かれ公園。 実はここ、丹波市では、川の原点があり、瀬戸内海側へ流れる水系と日本海側へ流れる水系の両方を持ち、付近では、水分かれに因む地名や名称が多いのが特徴。 太古の昔・恐竜の化石も発掘されたという丹波を、ドライブしながらゆっくりと観光してみてはいかがでっしゃろか。
柏原藩が時報や警報に使用していたという櫓。 藩政時代は大手門の付近にあったもので、内部は三層、最上層の桜上には「つつじ太鼓」という大太鼓がつるしてある。 当時は時報や警報に用い、火事には3点打・山火事と出水には2点打であったとか。 藩主が江戸より帰藩する時の合図、児童の登校合図にも用いられていた。
ここでは、丹波市内の観光案内を行っているほか、ボランティアで付近の観光案内も行っている。 また、丹波市内のお土産の販売も。
ケヤキの幹径6m、樹高22mで推定樹齢は1000年。 根の1本が幅8mの奥村川をまたぎ、自然の橋を形成していることで有名。 兵庫県天然記念物として指定された。 柏原町(当時)はこのケヤキをギネスブックに申請した。
民話にも登場
「子供の危機を救うために根が伸びた」という民話があるとか。
1024年、創建。 祭神は誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、姫三柱之命。 安土桃山時代再建の複合社殿(本殿と拝殿)が国の重要文化財に指定されている。 江戸時代後期再建の三重塔がある。 スダジイが覆い茂る柏原八幡山は兵庫県の環境緑地保全地域に指定され、ひょうごの森百選やひょうご風景百選にも選ばれている。
京都の石清水八幡宮
石清水八幡宮の分霊を祀り、「丹波国 柏原別宮」として創建されたとか。
100年以上の歴史を持つ「かやぶき民家」を移築した店内。 ピザが有名で、時には満席になるほどといい、地元では話題で人気のお店。 1801年、京都・松原通にて初代中島治郎兵衛が「尾張屋」の屋号でお干菓子の製造を始めた。 1912年、六代目中島治郎兵衛(弘喜)が大阪・都島で「中島大祥堂」として創業し、丹波で本店を開業。
至福のひと時を
店内でショーケースに入れられて販売されているお菓子。 そんなお菓子を別館の飲食スペースで味わうことができる。 コーヒーとともに味わうケーキは格別。
「黎明」とは「夜明け」「新しい時代の始まり」という意味。 1885年、氷上第一高等小学校として設立されたのが始まり。 1909年、氷上郡立高等女学校(後の県立)の校舎となる。 「明治時代初期の教育施設として日本でも五指に数えられる建物」と評価され、兵庫県有形文化財に指定。 レストランやライブラリーカフェなどを備えた施設としてオープン。
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1598年、織田信長の弟信包が入り、3代続いたが、1650年に断絶した。 以後、天領となった。 1695年、信長の次男信雄の孫の宇陀松山藩主信休がお家騒動の咎により領地を半減され、入る。 1713年、移封より陣屋を築き、織田氏が治めた。
柏原藩主織田家に伝来する武具、古文書、城下古絵図などの歴史資料、丹波市の歴史・民俗・考古に関する資料の保管・収集・調査研究・公開を目的としている。
田ステ女記念館
田 捨女または、田 ステ女。 1634年生まれ。 貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人として知られている。 柏原藩の庄屋で代官も務めた田季繁の娘として誕生した。 俳句を詠み、周囲にその才を認められ、後に北村季吟に師事。 夫が死去したため、髪を下ろし妙融と号した。 子供らが独立し、京都で俳諧・仏道などの修行を重ね、播磨国の天徳山龍門寺の傍らに庵「不徹庵」を構え、貞閑と改名。
織田信包
戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した丹波柏原藩初代藩主。 信包系織田家初代。 織田信秀の四男で、織田信長の弟。 通称は三十郎。 一時、長野工藤家に養子に入り、第17代当主となっている。
グラウンドやテニスコートを中心とするスポーツ施設、会議室や展示ギャラリー、創作工房を中心とする生活創造センター、ホール、芝生広場などがある施設。 敷地内では遊歩道が整備され、ウォーキングやハイキング、植物観察、野鳥観察、国蝶オオムラサキの蛹化・羽化・産卵・孵化の成育過程の観察などを楽しむことができる。 その他、丹波栗が植樹されている。
本州一標高の低い中央分水界があり、ここを起点に黒井川、竹田川、土師川、由良川を経て約70km先の日本海へ流れていく。 また、高谷川本流は加古川を経て約70km先の瀬戸内海へ流れていく。 公園内には、水別れ資料館、人工の滝や広場が整備されている。 なお、公園の西側に位置する十字路交差点は「水分れ交差点」、南側に位置する橋は「水分れ橋」である。
𡶌部神社
一間社で見世棚様の流造・柿葺の建物。 室町時代の様式。
臨済宗中峰派(幻住派)の本山。 山号は瑞巌山、本尊は釈迦如来。 1325年、遠谿祖雄禅師によって開創。 臨済宗甲斐(山梨)の栖雲寺が東天目と呼ぶのに対して、高源寺は西天目と呼ばれているとか。 開山の遠谿祖雄禅師は、付近に築城された山垣城の城主足立遠政公の孫にあたる光基の三男。 幼少の頃より出家して中国に渡り、杭州天目山の中峰国師のもとで修行をして悟りを開いたとか。 帰国後、霊夢で得た天目山に似た佐治郷小倉に堂宇を創建する。
高源寺の歴史
1326年、後醍醐天皇により高源寺号を賜われた。 後柏原天皇の代には、勅願所の礼遇を許され、住職は末代紫衣の宣旨を受け、全国に末寺を持つ大本山となった。 戦国時代には織田信長の丹波攻略で兵火により焼失。 天岩明啓禅師が再興し、弘巌玄猊禅師が柏原藩の援助を得て再び再建し、現在に至る。
天目かえで
境内に多いもみじは、天目かえでと呼ばれ、遠谿祖雄禅師が中国杭州の天目山より持ち帰ったカエデを境内に植えたことから始まる。 天目カエデの特徴として、葉が小さく、葉の切れ目が深く、枝が垂れ下がるといわれている。
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施設内では地域情報を発信しているだけでなく、観光案内所も併設され、付近の観光案内を行っている他、レンタサイクルも。 物産販売では、地域名産品や特産品を販売している。 また、おふくろ食堂のヒット商品「おいでな定食」の地元特産品「手作りこんにゃく”まるちゃん”」をはじめ、つなぎ2割に山芋、卵、はなこ。8割にそば粉という特徴を持つ手打ちそば(二八そば)、地域の食材を使用したあまご南蛮漬のつきだしなどの料理を味わえるレストランも併設され、多くの人でにぎわっている。
俳人として知られる細見綾子も愛したといい、国の指定無形文化財に指定された「丹波布」を取り上げた展示場や、その技術を伝承する機織場、草木染場などが設置されている。 伝習生は2年1期で毎期数人が学ぶといい、2年の履修期間が終了すると、伝習生は専修生となって、丹波布の製作に取り組むという。 丹波布の体験としては、糸紡ぎ教室、草木染教室などが開設。
搾汁、発酵、完成まで、すべて手作業で進められるというワイン造り工場。 地元で栽培された林檎、山桜、桃、カリン、キウイ、クワの実、青シソ、ユズなどから作ったという珍しいワインも醸造。 果実や鳥の絵が描かれたラベルは日本画家・上村淳之氏の作。 見学や試飲を楽しむことができる。
兵庫県丹波市では自然環境に恵まれ、一部ではパラグライダーの聖地としての一面も持っている。 丹波市内ではパラグライダーを目指す人のために設けられた専門のスクールがあり、パラグライダー体験コースには、半日体験からインストラクターと2人乗り、そして、ライセンスコースまでと幅広い。 初心者向けのコースの内容としては、操縦の基本、機材の説明、風の知識、空中浮遊の楽しさを学ぶことができる。 ここでは、持ち物としてグリップの良い作業用の薄手の手袋、ヒモ等で締める運動靴、動きやすい服装や着替え、飲み物、日焼け止めや帽子等をすすめている。
「丹波の正倉院」の別名を持つ。 行基菩薩によって開かれ、宗派は天台または真言系。 竹雲堤山和尚の発願により師である円通寺二十五世大庵清鑑和尚が開山。 現在は、禅宗の中の曹洞宗。 寺名は、十九山の達身堂を本堂として遷座した為、十九山達身寺と命名。 戦国時代、僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院で、織田信長が丹波平定を行った際、家臣である明智光秀が丹波の地を攻め、篠山城や保月城等が焼失。 僧侶は仏像を運び出したのだが、そのまま長い年月の間、置き去りにされた。 村人は仏像を集めて達身堂を修繕し、仏像を安置。 達身寺の仏像は、木彫仏で、一本の大木から作られる一木造り。
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長距離ドライバーをはじめ、ドライブを楽しんでいる付近住民の憩いの場。 施設内には、木の香漂う館内にはシャワールームをはじめ、喫茶、トイレを完備。 喫茶は定番で人気メニューの一つ、「たまごかけご飯」が味わえる。 その他、朝採れ野菜・切花をはじめとする特産品も販売されている。
兵庫県明石市と京都府舞鶴市とを結ぶ国道175号沿いにある道の駅。 丹波市やその周辺の観光案内をはじめ、丹波市で採れた新鮮な野菜、果物などの名産品、土産品を販売している他、フードコートがある。
お土産に
丹波市では古くから黒豆の名産地として知られ、売店では黒豆を中心とするパンや菓子なども販売されている。
丹波竜化石工房ちーたんの館で活躍するマスコットキャラクター。 近年の発掘調査により、恐竜の化石が発見され、化石が出土した地層模様に化石の模様を重ねていることが特徴。 2006年、中生代白亜紀に繁栄した竜脚類の一グループに属するティタノサウルス形類と推測される恐竜の化石の一部が加古川水系篠山川河床の篠山層群において、丹波市在住の2人の男性によって初めて発見された。 兵庫県立人と自然の博物館は、丹波竜が新属新種と認められたと発表。 学名は「タンバティタニス・アミキティアエ」で、丹波とギリシア神話の巨人ティタニス、発見者2人の「友情」を意味するラテン語のアミキティアエを組み合わせたとか。
丹波地域恐竜化石フィールドミュージアム
丹波市やその周辺(愛称、丹波地域恐竜化石フィールドミュージアム)の発掘調査により発見された恐竜の骨や化石などを展示している。 恐竜の骨や化石などは約1億1千万年前に丹波市やその周辺で生息していた草食恐竜の丹波竜(学名は、タンバティタニス・アミキティアエ)とされ、主に篠山層群から発見されている。 丹波竜は、日本で発見された恐竜の中でも最大級の体長約15m。
スポット内のおすすめ
その他、ガストニアやファルカリウス、プロバクトロサウルス、ティラノサウルスなどが展示され、化石のクリーニングの体験イベントも開催。
丹波市やその周辺(愛称、丹波地域恐竜化石フィールドミュージアム)では、発掘調査が活発に行われ、草食恐竜の丹波竜(学名は、タンバティタニス・アミキティアエ)をはじめ、主に篠山層群から多くの恐竜の骨や化石が発見されている。 2015年、恐竜をテーマにした恐竜広場が開園。 施設「元気村かみくげ」が隣接し、丹波竜など恐竜に因んだお土産の販売や化石発掘体験コーナーがあり、恐竜化石の発掘体験ができる。
丹波竜の実物大モニュメント
公園内には体長約15mの丹波竜の実物大モニュメント。
ベンチ
恐竜骨格をモチーフにしたアスレチックやスライダー、ベンチなどが設置されている。
2007年、多目的公園として開園。 公園内は、芝生広場、森の広場、あおぞら広場、お花見広場、朝市広場などから構成。 公園内にある太古の生きもの館では、丹波市や丹波篠山市周辺に広がる篠山層群から発見された丹波竜などの恐竜やほ乳類化石などが展示されている。 森林活動センターでは「製材所」と「木工施設」が設置されている。 スギやヒノキなど木を使った木工細工が体験できる。 棚田は、古代米の一種である赤米や丹波黒豆などを栽培している。 灰屋は、土壁造りの伝統的な焼灰(畑の肥料)を作るための小屋。
庄屋宅「中道家(明治時代に竣工)」
茅葺(かやぶき)民家は、市内に実在した庄屋宅「中道家(明治時代に竣工)」が移築された。 建屋内部には囲炉裏、竈などが再現されている。 庭では、イロハカエデ、ツワブキ、ハギなどが生息する。
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兵庫県内を流れる篠山川沿いに位置する渓谷にある峡谷の公園にあるキャンプ場。 春には桜の名所として知られ、多くの見物客でにぎわう。 夏にはキャンプ場やバーベキューとして開放され、多くの人でにぎわう。