京の都は京都だけやおまへん。長岡京も忘れんといて
京都京の都は京都だけやおまへん。長岡京も忘れんといて
まいどまいど! 日本の首都は平城京や平安京が有名でんねんけど、ここ長岡京市も実は都が置かれたという歴史がおます。 そもそも、日本最古の本格的な首都は大阪府大阪市中央区に2度、置かれ、名を難波宮。 大阪城公園からほど近く、桜の名所としても人気を集めてまんねん。 さて、長岡京市にも都が置かれ、現在は長岡京跡として市内各所に点在。 実際に街を散策してみると城址の多さに驚きました。 ええ!ここも城址!? 場所は勝竜寺城。 細川幽斎や明智光秀、細川ガラシャ、織田信長、羽柴(豊臣)秀吉など歴史上の有名人がぎょうさん出てきます。 その他、光明寺は法然上人ゆかりの地として知られ、念仏の法門を説いたとも。 また京豆腐のお店が点在し、豆腐から作られたドーナツをおやつに頬張りつつ、ビール工場でビールを味わい、楽しむのもおすすめ。 帰り道に見つけた秀吉(備中)大返し力水は飲むと不思議と、力が湧いてくるかも・・・。 まずは阪急電車京都線の長岡京駅前にある観光案内所で情報収集。 レンタサイクルも可能なので、まずはお申し込みから。
通称、「天神さん、長天さん」。 784年、桓武天皇が平城京から長岡京に遷都。 平安時代、菅原道真の所領であり、在原業平らと共に、 詩歌管弦を楽しんだとか。 道真が大宰府へ左遷された時、長岡に立ち寄り、名残惜しんだ。 左遷の際、道真に付き従ったのが、菅原氏の一族・中小路宗則。 宗則は、道真から道真自作の木像と念持仏を託されて持ち帰り、道真の死後に、その木像を祀ったのが当天満宮の創立とされている。
境内
自由に散策することができる。
境内
自由に散策することができる。
長岡京市を中心とする情報発信や観光案内、特産物販売等などを行っている。
通称、アゼリア通り 商店街には飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。
かつて当地には開田城が築城。 現在は公園として整備され、隣接するマンションのエントランスには開田城の復元模型が展示されている。 開田城は戦国時代、国衆の一人である中小路氏の居館(居城)であった。 乙訓・西岡地域の土豪・持侍らは、それぞれの村の代表として活動し、国衆として地域の自治的運営を目指す国一揆を結んだ。 発掘調査では、土で築いた城壁の土塁、大規模な掘立柱建物や石組みの井戸などが発見。
長岡天満宮内にある池。 池には檜で作られた水上橋があり、境内を一望できる。 八条ヶ池の樹齢百数十年のキリシマツツジや梅園などの見物客でにぎわう。 キリシマツツジの花の季節に開催される「春の観光まつり」の会場にもなった。
祭神は、春日の四柱神・天児屋根命・武甕槌神・経津主神・姫大神。 走田神社の名の由来は、初穂(走り穂)を作る田んぼ(早稲田)から。 平安時代には創建。 勧請縄(大しめ縄づくり)は毎年1月に氏子らが集まっり、約20cmののしめ縄を作り、参道の石段に吊り下げる。 しめ縄には12個の御幣(榊)が取り付けられ、この御幣の下がり方によって年間の気候や豊凶を占っていた。 大正時代、先物取引「米相場」が流行し、お米の価格の上下を占った。 的矢射の儀式では、奥海印寺城主であった高橋勘解由左衛門の子孫によって今も継承されている。
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世代を超えた市民の幅広い交流の促進を目的に開設。 愛称、長岡京こらさ。 こらさは、協働・共同・協力の意味である「コラボレーション」と仲間・団体・円・丸・輪という意味である「サークル」という二つの単語から。
公園内にはジャブジャブ池やせせらぎ水路、さんさく路、子供の森などがある。 ジャブジャブ池では水遊びができる。 グリーンハウスでは図書コーナーやレクチャールーム、休憩室・展示コーナー、薪ストーブなどがある。
田村家住宅では大正時代に建てられた元病院と、江戸時代に建てられた茶室「任無亭」がある。
任無亭
「任無亭」では当時、眺めることのできた「任無亭八景」が詠まれた額が飾られているとか。 巨椋池の漁火や伏見の夕映えなどを眺めながら、お茶を飲むことができたという。
築地塀の一部や主屋、長屋、門、土蔵群などは江戸時代から昭和時代にかけて建てられた。
西山浄土宗の総本山の寺院。 山号は報国山。 本尊は法然上人像(張子の御影)。 奈良へ学匠となるべき師を求めて比叡山延暦寺を下った法然。 粟生野の里の村役であった高橋茂右衛門宅で宿泊した際、法然の真剣な求法の気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅であることを聞き、教えを見出したときには尊い・教えを説いてくださいと法然にお願いした。 1175年、法然は浄土宗を開いた際、約束を守ろうと、当地で念仏の法門を説いた。 当地は「浄土門根元地」とも。 弟子の蓮生(熊谷直実)は念仏三昧堂を建立、法然から寺号「念仏三昧院」を授かり、光明寺の始まりとなった。
まばゆい光明
1227年、嘉禄の法難の際、廟堂が建立。 荼毘の際、法然の石棺からまばゆい光明が発せられたことから、光明寺の勅額をあたえ、寺名を改称。 弟子の西山上人証空が西山義の教えを広め、浄土宗西山派が成立。
浄土宗西山派は分裂
弟子の浄音が証空の教えの上に更に自らの考えをも交えて西谷流を唱えた。 1876年、浄土宗西山派の西本山となる。 1919年、浄土宗西山派は浄土宗西山光明寺派(西山浄土宗)、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の三つに分裂。
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和菓子を製造・販売する専門店。 「をぐら山春秋」や「想ひそめし」などの煎餅・おかきが主力商品。
京豆腐を製造販売する専門店。 店内はテイクアウトのみ。 豆乳を固めるときに海水からとったという天然のにがりを使用。
豆腐ドーナツ
青豆とうふに生湯葉が隠された「湯葉とうふ」や「豆腐ドーナツ」などが人気。
祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊。 かつて井ノ内の旧石田家が奉祀した社で、石田家屋敷の邸内社であった。 社名は「天神社」で、池の名も当社に因む。 屋敷は応仁の乱で焼失。 本殿は1713年に造営。 向日神社の御旅所でもあった。
ロストル式平窯で、川の緩斜面を利用して造られた。
宗派は真言宗豊山派。 山号は大慈山。 本尊は合体大師像。 別名、牡丹寺。 推古天皇の勅命により聖徳太子が建立。 継体天皇の弟国宮(乙訓宮)の跡地。 784年、桓武天皇が長岡京を造営した際、都の地鎮として大規模に増築。 785年、造長岡宮使の藤原種継が暗殺され、桓武天皇の弟・早良親王にその首謀者の嫌疑がかけられ、早良親王は当寺に幽閉。 811年、空海が別当を務めた。 812年、最澄と空海が当地で初めて対面した。 室町時代、12の僧坊があったが内紛が発生。 足利義満は介入して僧徒を追放し、南禅寺の伯英禅師に与えて南禅寺の傘下に入れた。
徳川家の祈祷寺
織田信長による兵火によって焼失、江戸・護持院の住持である隆光が将軍徳川綱吉より当寺を貰い受けて住持になって復興。 1693年、綱吉より寺領を寄進され、徳川家の祈祷寺となった。 隆光は真言宗に改宗、乙訓寺法度の制定を行った。 真言宗豊山派総本山である長谷寺より、牡丹が移植。
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