
石清水八幡宮と流れ橋
京都石清水八幡宮と流れ橋
まいどまいど! 京都っちゅうたら、珍しい景色の一つに流れ橋が思い浮かびますやろか。 流れ橋とはその名の通り、川が増水すると流れてしまう橋のことで、昔から注目を集めておます。 流れ橋は八幡市にあり、京阪電気鉄道本線の停車駅の一つでおます石清水八幡宮駅から徒歩で参りまひょ。 橋は木津川に架けられた木橋で、別名、木津川流れ橋、八幡流れ橋などと呼ばれてはります。 川が増水すると流されてしまうことが前提なのか、橋には手すりや街路灯が設置されておまへん。 天候の悪い日や足元の悪い日には避けた方がよろしいでっせ。 ほんでまた歩行者と自転車専用ともなってますさかい、乗用車などでの通行もできやしまへんので注意でおます。 ほんでまた石清水八幡宮駅周辺は石清水八幡宮が鎮座。 旧称、男山八幡宮で、宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)と並ぶ日本三大八幡宮の一つともなってまんねん。 これは参拝する価値ありでっせ。 元々は平安時代、八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたそうでおまして、男山山上に鎮座してはります。 京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要。
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旧称、男山八幡宮。 宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社。 平安時代、八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社。 男山山上に鎮座する。 皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。
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境内
「石清水祭」は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。 境内は国の史跡に指定、建造物が国宝及び重要文化財に指定。
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1879年、発明王エジソンは最初の白熱電球を発明するも、さらに研究を続けた。 ある日エジソンは日本からのお土産として扇子を見つけ、その骨である竹を使って電球を試作した。 その結果、電球の寿命は飛躍的に延びた。 竹は繊維が太く丈夫で、長持ちするフィラメントを作るのに最適であった。 エジソンは「究極の竹」を求め世界中に研究員を派遣し、その中の一人であった探検家ウィリアム・H・ムーアは中国を経て日本を訪問。 ムーアは当時の槇村正直京都府知事から「八幡竹」を紹介され、他所の竹と共にエジソンのもとへと送った。 エジソンはそれらを使いさらに実験を繰り返し、最も長持ちのする、最高の竹を発見した。
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最高の竹
その竹こそが京都・男山周辺の真竹であり、電球は平均1,000時間以上も輝き続けたという。 1934年に「エジソン記念碑」が建立。
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曹洞宗の寺院。 山号は、糸杉山。 本尊は、薬師如来。 男山の山腹に位置する。
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境内
800年代、行教によって創建。 当初、四宗兼学の寺院であったが、室町時代に禅宗寺院となった。 1600年頃、尾張国中島郡下津村(小牧市)正眼寺の末寺として再興。 石清水八幡宮の神宮寺となった。
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京阪電気鉄道京阪本線の停車駅の一つ。 石清水八幡宮へ向かう石清水八幡宮参道ケーブル(男山ケーブル)八幡宮口駅の最寄り駅。 1910年、八幡駅として開業。 1939年、石清水八幡宮前駅に改称。 1943年、京阪本線の駅が会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。 1948年、八幡町駅に改称。 1977年、八幡市駅に改称。 2019年、石清水八幡宮駅に改称。
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人形浄瑠璃および歌舞伎の演目の一つ。 双蝶々曲輪日記とも。 1749年、大坂竹本座で初演、京都嵐三右衛門座で歌舞伎として初演。 作者は二代目竹田出雲、三好松洛、初代並木千柳。 全九段。 若旦那山崎屋与五郎は遊女吾妻と恋仲で、八幡の住民南与兵衛は吾妻の姉女郎都と恋仲である。 二人の女郎には侍・平岡と悪番頭権九郎とがそれぞれ横恋慕して、諍いが起こる。 与五郎には父与次兵衛から絶えず意見されるありさま。 そんな二組に、力士の濡髪長五郎、素人相撲の放駒長吉が近づいてくる。
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石清水八幡宮をはじめとする八幡市の観光案内や情報発信などを行っている施設。 またやわた観光ガイド協会の拠点としても知られ、ベテランのボランティアガイドが駐在。
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京阪電気鉄道鋼索線(石清水八幡宮参道ケーブル)の駅。 男山の山上にある石清水八幡宮の最寄り駅となるケーブル八幡宮山上駅とを結ぶ。 1926年、男山索道の男山駅として開業。 1928年、社名変更により男山鉄道の駅となる。 1955年、京阪電気鉄道鋼索線の八幡宮駅として開業。
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祭神は饒速日命、航空殉難者の霊・航空業功績者、薬祖神・金毘羅・白龍神。 飛行機の神饒速日命と航空事故の犠牲者などを祀る。 ギリシャ風の拝殿が特徴。 1891年、二宮忠八は日本で初めて動力つき模型飛行実験に成功。 人を乗せて飛ぶことができる飛行機をライト兄弟が実現させたことを知り、飛行機開発から離れる。 しかし、飛行機発明以来、航空事故が多発して事故犠牲者の慰霊が飛行機開発に携わった者としての責任と感じた。 1915年、私財を投じて犠牲者の霊を祀る神社を創建。 1936年、一時廃絶するも1955年に二宮顕次郎によって再興。 1989年、忠八の飛行原理発見百周年を記念して境内の拡張、改装を行う。
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境内
境内には忠八や航空機に関する資料、奉納された航空機模型などを展示する飛行神社資料館、大阪湾から引き揚げられた零式艦上戦闘機のプロペラなどが展示。
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境内
饒速日命は神話において天磐船にのって地上に降臨したとされることから、大阪府交野市の磐船神社より勧請。 薬業の祖神とする武田長兵衛と金毘羅神と地主神である白龍神を祀る。 薬祖神は二宮忠八が製薬会社に勤めていたことによるもの。 金毘羅は忠八が讃岐の金刀比羅宮(船の神、飛行機に通じる)を信仰していたことによる。 白龍神は境内に出現した白蛇を地主神として祀ったもの。
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別名、らくがき寺。 本尊は釈迦牟尼仏像と、観音菩薩。 訪れた人々は御堂の大黒堂の白い内壁に大願成就を願って筆を入れる「落書き祈願」が有名。 大黒様に願いごとが見えやすいように、壁に願いを書き入れるもの。 京都妙心寺の単伝和尚が救苦観音を安置したのが由来。 1711年、臨済宗妙心寺派の僧侶である瑞応によって再建。 大黒堂に安置されている大黒天は足を踏み出しているように彫られているため「走り大黒」と呼ばれている。 南北朝時代に活躍した武将である楠木正成が、戦の勝利を祈願して石清水八幡宮に寄進した楠の一部から作られたとも。
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そば打ちやパンづくりなどの体験講座、和室や四季の湯などの設備がある。
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京都府久世郡久御山町と八幡市を結ぶ、木津川に架けられた木橋。 川が増水すると橋桁が流される構造を持つ流れ橋であることから、流れ橋、木津川流れ橋、八幡流れ橋などと呼ばれる。
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流れ橋
歩行者と自転車の専用橋で、手すりや街路灯は設置されていない。
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1637年、僧侶(石清水八幡宮の社僧)で文化人であった松花堂昭乗が構えた草庵。 石清水八幡宮のある男山の東麓に泉坊という宿坊があり、その中にこの草庵があった。 男山には石清水八幡宮に所属する宿坊が多数建っており「男山四十八坊」とも呼ばれたが、神仏分離で宿坊はすべて撤去。 松花堂も旧所在地の南方に移築。 現在は「松花堂庭園・美術館」となった。