千利休をめぐる京都
京都千利休をめぐる京都
大河ドラマ「軍師勘兵衛」も大詰めになってきました。伊武雅刀さん演じる千利休も秀吉の怒りに触れて自害させられてしまいました。そんな千利休にまつわる場所が京都の中に比較的固まってあります。観光としてはなかなか行かない場所ではありますが、歴史好きの方々いかがでしょうか。大河ドラマの最後の紀行でも、いくつかのスポットは紹介されてましたね。
平安時代の天文学者の安倍清明を祭っている清明神社ですが、千利休屋敷跡でもあります。 創建は晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が建てられ広大なものだったようですが、秀吉の都造営や戦火などで縮小。昭和25年に今の形になったそうです。 利休の時代は秀吉の聚楽第の時代なので神社自体は縮小されていたのでしょうかね。 千利休にまつわる紹介なので安倍清明的な見所はこちらのサイトをご覧ください。
千利休屋敷跡
境内には千利休の屋敷があったとされています。利休の遺徳をたたえ茶道・武者小路千家家元が石碑を奉納したそうです。
清明井
晴明公が念力により湧出させた井戸が、この晴明井です。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲めます。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られるそうです。千利休も茶を立てるのにこの水を使ったとか。
秀吉が関白になったことをきっかけに作った京都の政庁兼邸宅です。千利休が豊臣秀吉の命により切腹した場所でもあります。聚楽第は秀吉が関白を秀次に譲ってから秀次の居所になりますが、後に秀頼の誕生から秀次を謀反の疑いで追放し聚楽第も破却するということになります。利休のことといい晩年の秀吉の傍若無人ぷりがわかる逸話です。
聚楽第跡の碑
聚楽第は、秀吉が関白になって鶴松が生まれて死に秀頼が生まれる間の8年くらいしか存在してなかったのであまり詳しいことがわかっていないようです。
発掘
ハローワークを建てるときに金箔の瓦がでてきたりしたそうで、この辺りにあったということがわかったそうです。
千利休が菩提としていたお寺です。京都でも有数の規模を有する禅宗寺院です。聚光院もこちらの塔頭のひとつです。
唐門
方丈の正面に聚楽第の遺構と伝える唐門(国宝)があり、見所となっています。
金毛閣
千利休によって増築された三門二階部分を金毛閣と称し、利休の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休自決の原因となったそうですがきっと濡れ衣ですね。
千利休の墓のある聚光院ですが、利休が菩提寺としていた大徳寺の塔頭のひとつです。
千利休の墓
通常は公開されていませんが利休のお墓があります。遠くからお参りした気になりましょう。
閑隠席(かんいんせき)
利休150回忌に作られた茶室だそうです。かつては千利休自刃の席として伝えられていたみたいです。
千利休が秀吉に関わる際、非常に近く親しい存在としていたのが「軍師勘兵衛」の黒田勘兵衛です。聚楽第の周りの居宅も利休とは非常に近くにあります。
1つだけ少し離れますが、千利休が作ったことが明確に認定出来る唯一の茶室である「待庵」にも訪れましょう。現存する最古の茶室でもあります。ついでに天王山の戦いの戦場にも足をのばすという手もありますね。
天王山の合戦
天王山の合戦で秀吉は山崎に陣を敷き陣中に千利休を招き二畳の茶室を作らせたそうです。利休は秀吉に茶を点じ、労を慰めたそうです。そしてその後茶室は解体しここに移築したといわれています。
二畳
たった二畳なのですが天井のせいか意外に広く感じます。
- アプリで地図を見る