
下鴨神社と美人神社!?
京都下鴨神社と美人神社!?
まいどまいど! 京都を代表する賀茂御祖神社は賀茂別雷神社とともに有名で、それぞれを下鴨神社、上賀茂神社と呼んではりまんな。 付近にはぎょうさんの神社がおますねんけど、その中の一つに近年、パワースポットとして注目を集める河合神社が鎮座してはりまんねん。 河合神社は「美人」と深い縁がおまして、化粧道具を持った女性の参拝客が目立ち、皆さんは絵馬を片手に持ち、熱心に化粧をしてはります。 その他、三井財閥を築いた豪商・旧三井北家の三井八郎右衛門高棟の別邸が一般開放され、今では自由に見学することができまんねん(一部有料)。 江戸時代、当地付近は蔬菜栽培が盛んであったが、琵琶湖疏水分線の開通により灌漑用水が整備され、近郊農村となった。 明治時代、田中寒天工場が設立され、寒天製造が盛んになったとか。 現在は住宅地となってしまいましてんやけど、かつての時代を偲びまひょ。 また、下鴨城が築城したとされ、現在は遺構のみで詳細は不明でありながらも歴史に浪漫を感じまんな。
-
通称、下鴨神社。 ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」登録。 賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社。 両社は賀茂神社(賀茂社)と総称。 両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。 本殿では賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。 八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
-
斎院
神武天皇の御代、御蔭山に祭神が降臨。 一説によると上賀茂神社から分置されたとも。 810年以降、約400年間、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕。 平安時代以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を建て替える式年遷宮を行っていた。 本殿2棟が国宝に指定され、現在は一部を修復するのみ。
-
さざれ石
国歌「君が代」で取り上げられている、さざれ石を展示。
-
境内
境内は比較的静かな雰囲気が漂い、厳かな建物が特徴。
-
境内
境内は比較的静かな雰囲気が漂い、厳かな建物が特徴。
-
境内
境内は比較的静かな雰囲気が漂い、厳かな建物が特徴。
-
-
糺の森は原生林。 糺の森はこの一帯が山城国(山代国・山背国)と呼ばれていた頃の原型をとどめた原生林で、ケヤキやエノキなどニレ科の落葉樹が中心。 古くは「源氏物語」「枕草子」に謳われた。 小川は、御手洗川・泉川・奈良の小川・瀬見の4つある。
-
1925年、三井財閥を築いた豪商・旧三井北家の三井八郎右衛門高棟の別邸として完成。
-
三井八郎右衛門高棟の別邸
明治時代の主屋を移築して玄関棟を増築して作られた。 隣接する京都家庭裁判所の所長宿舎として利用されていた。 重要文化財に指定。
-
-
河合神社は付近に鎮座する賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社にあたる。 祭神は神武天皇の母、玉依姫命。 玉依姫命は玉の様に美しいことから美麗の神としての信仰を集め、女性守護として人気を集めている。 境内では美麗の祈願絵馬「鏡絵馬」の授与を行っている。 また、平安時代から鎌倉時代かけて活躍した三大随筆の一人に数えられる鴨長明は河合神社の禰宜の息子として幼少時代を過ごした。 現在、長明が晩年過ごしたと言われる建物を再現した方丈の庵が展示されている。
-
鏡絵馬
手鏡の形をした「鏡絵馬」には素顔が描かれており、普段、使用している化粧品で化粧をして裏に願意を記入する。 参拝者ご自身が想像しながら綺麗な表情を描くことで、絵馬に願いを託し、外見だけでなく内面も磨いて美しくなっていく思いが込められている。
-
-
築城年代や築城者など詳細は不明となっている。 南北朝時代、足利尊氏や楠正成がこの地に陣を張ったとか。
-
江戸時代、当地付近は蔬菜栽培が盛んであったが、琵琶湖疏水分線の開通により灌漑用水が整備され、近郊農村となった。 明治時代、田中寒天工場が設立され、寒天製造が盛んになった。 1877年、明治天皇の関西行幸が行われた。 賀茂御祖神社(下鴨神社)に行幸した際、田中四郎左衛門が経営する寒天工製造場に立ち寄り、巡覧。
- アプリで地図を見る
-
2016年、鴨社資料館として開館。 江戸時代、下鴨神社の学問所絵師であった浅田家の社家住宅として建設。 道路に面した場所に建てられた門は鳥居と似た形をしていることから、華表と呼ぶ。 玄関脇には石像が建立。
-
1940年、葵公園は大沢商会、京都電気鉄道の創立を創立した大澤家の大澤徳太郎によって寄付。 園内には日本の歌舞伎役者、映画俳優、映画監督として活躍した尾上松之助像も建立。 1875年、二代目尾上松之助(本名は中村鶴三、監督作は、公木之雄)は岡山市中区西中島町生まれ。 明治維新後、遊郭地の西中島町で貸座敷業を営み遊芸を親しむ。 芝居小屋「旭座」で上方歌舞伎の大立者・二代目尾上多見蔵が一座を組織、5歳の時に「菅原伝授手習鑑」の菅秀才役で初舞台を踏む。 兵庫県神戸市の弁天座の浅尾與作一座に加わり、大阪市西区松島に居を構えて巡業を続けた。 兵庫県神戸市にあった朝日座の主任となり、中村駒之助と一座する。
-
尾上松之助像
二代目尾上松之助の襲名披露は神戸・相生座で市川蝦十郎らと行い、前狂言で塩原多助、切りで梅川忠兵衛を演じた。 「碁盤忠信 源氏礎」でデビューを果たし、日本映画草創期に活躍した時代劇スターとして知られ、日本初の映画スターとも。 大きな目玉を向いて見得を切る演技が評判を呼び「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれた。 トリック撮影を駆使した忍術映画で人気を集め、日活大将軍撮影所所長、日活取締役などを兼任。
-
-
1924年、日本で最初の公立植物園として、開園。 1946年、連合国軍に接収され閉園。 1961年、再開。 園内には約12000種類、約12万本の植物が植えられている。 花壇や洋風庭園、熱帯植物を集めた温室がある。