赤れんがパークと京のまちをスカイタワーから眺めてみよう
京都赤れんがパークと京のまちをスカイタワーから眺めてみよう
まいどまいど! 神奈川県の横須賀や広島県の呉とよく似た地域の一つ、京都府の舞鶴市。 ここは、海上自衛隊の基地があることとしても知られ、海上自衛隊が保有する船がぎょうさん停泊してはりまんな。 ほんでまた、舞鶴港の近くには昔ながらの雰囲気を今に残す舞鶴赤れんがパークがあり、特に赤レンガ博物館では舞鶴の歴史のこと、文化のこと、ほんでまた、煉瓦のことを詳しく知ることができまんねん。 また、舞鶴市政記念館にある赤レンガカフェ(軽食・喫茶) jazzでは、海軍・海上自衛隊で愛されてきたカレーライスのレシピをそのまま再現した「海軍カレー」や東郷平八郎氏の案によって誕生した「肉じゃが」などを味わうことができまんねん。 これがまた、めっちゃうまいねん! 舞鶴では、赤レンガパーク以外にも舞鶴市街地を一望することのできる五老スカイタワーやかつての時代を偲ばせる田辺城があり、観光スポットも盛りだくさん! さらに、緑豊かな地域であることとしても知られ、手つかずの自然が残る若狭湾国定公園は人気で、注目を集めてはんねんやとか。 その他にもぎょうさんおすすめしたい舞鶴のスポットがあるので、ぜひ参考にしてってや~。
京都府舞鶴市で活躍するマスコットキャラクター「ゆうさいくん」。 舞鶴商工会議所青年部が実施する「青年部まちおこしプロジェクト」の 一環として誕生した。 田辺城(舞鶴城)の城主で戦国武将の細川幽斎氏がモチーフ。 舞鶴市の観光のPRなどを行っている。 ちなみに第79代内閣総理大臣に就任した細川護熙氏は細川幽斎氏の子孫にあたる。
引揚記念公園内にある施設。 舞鶴湾にある舞鶴港は、北前船の寄港地として知られ、日本でも有数の商業港であった。 明治時代、日本海側唯一の海軍鎮守府舞鶴鎮守府が開府し、軍港として発展した。 日露戦争の際、多くの船が出港し、以後も旧海軍の軍事的拠点としての一面も果たしていた。 戦後、大陸に進駐していた軍人軍属や一般人の日本本土への引揚、日本に在留していた中国・朝鮮人の送還のための指定港の一つとなった。 さらに、日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻したソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留されていた旧軍人も、舞鶴へと帰還した。
舞鶴引揚記念館
1988年、戦争を含む引揚に関わる一連の資料を展示する日本唯一の施設として設立された。 引揚者用の桟橋である平桟橋が設置されていた平地区付近の丘に引揚記念公園が開設され、記念館が建設された。 2015年、舞鶴への生還、シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録などが、ユネスコ記憶遺産に登録された。
1945年の第二次世界大戦後、ソビエト連邦による抑留から解放され、引揚船で引揚港の桟橋(岸壁)へ帰ってくる息子の姿を熱心に待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称「岸壁の母」。 また、歌でも取り上げられ、一躍有名となった。 1969年、引揚港や舞鶴引揚援護局などを中心とする跡地を見下ろすことができる丘陵地に展望公園が整備。
展望広場
展望広場には、戦没者への弔意と世界の恒久平和を訴える「平和の群像」、「異国の丘」「岸壁の母」の歌詞を刻んだ歌碑などが建立。
展望広場
引き揚げ港を一望。
舞鶴湾にある舞鶴港にある桟橋。 舞鶴湾にある舞鶴港は、北前船の寄港地として知られ、日本でも有数の商業港であった。 明治時代、日本海側唯一の海軍鎮守府舞鶴鎮守府が開府し、軍港として発展した。 日露戦争の際、多くの船が出港し、以後も旧海軍の軍事的拠点としての一面も果たしていた。 戦後、大陸に進駐していた軍人軍属や一般人の日本本土への引揚、日本に在留していた中国・朝鮮人の送還のための指定港の一つとなった。 さらに、日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻したソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留されていた旧軍人も、舞鶴へと帰還した。
2023年現在
現在も引揚桟橋として大切に守られている。
2004年、都市公園(風致公園)としてオープン。 全長約120mの釣り護岸があり、人気となっている。 海水を引いた「親水池」などもある。
エル・マールまいづる
その他、レストランや豪華客船をイメージした関西電力の舞鶴発電所PR館「エル・マールまいづる」が停泊し、日本初の海上プラネタリウム、エネルギー体験館、客船歴史館などを楽しむことができる。
正式名称は、舞鶴市農業公園。 2006年、大浦半島の一角に開園した農業公園。 小高い山の上にあるため、日本海を望むことができ、晴れた日には冠島が見えることも。
農村レストラン、加工体験、自然学習体験など
施設内では、60種類以上の地元産農産物を使用した農村レストラン、加工体験、自然学習体験などができる手づくり工房、ファーマーズマーケット、立体多段式水耕栽培システムを導入したいちごハウス、滞在型市民農園(クラインガルテン)、日帰り農園、2棟のコテージなどの施設がある。
これら肉じゃが
オリジナル商品は、肉じゃがコロッケ、肉じゃがまん、肉じゃがジェラード。 これら肉じゃがは3兄弟として人気を集めている。
飼育
トカラヤギ、ヒツジ、ミニブタも飼育している。
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1999年、舞鶴湾の一部に属する平湾に斜張橋として架橋。 「クレインブリッジ」とは、英語で「鶴の橋」という意味。 全長約735m。 水面から主塔頂部までの高さ約95m。 ケーブルはファン型で、最大支間長350m。 2羽の鶴をイメージして設計されたといい、主塔は鶴のくちばしを、ケーブルは羽をイメージ。
福井県敦賀市の笙の川河口左岸から京都府舞鶴市の由良川河口右岸に至る国定公園。 特別保護地区の冠島・沓島、海域公園の三方海域公園、ラムサール条約指定湿地となっている三方五湖およびその周辺も含む。 若狭湾はリアス式海岸。 断崖・洞門・洞窟・岩礁などは人気となっている。
旧舞鶴海軍軍需部本部地区(舞鶴港ウォーターフロント)にある12棟の赤煉瓦倉庫で構成。 別名、舞鶴赤レンガ倉庫群、北吸赤れんが倉庫群。 舞鶴旧鎮守府倉庫施設として国の重要文化財、近代化産業遺産に指定。 1901年、舞鶴鎮守府が創設。 明治時代に9棟、大正時代に3棟建てられた。 敷地内には旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫、旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫、旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫、旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(雑品庫並損兵器庫とも)などが現存する。
1903年、旧日本海軍の兵器廠魚形水雷庫として竣工。 1993年、世界の歴史的建造物で使用された様々な煉瓦の展示、世界の著名な煉瓦建造物の紹介、煉瓦の製法などの紹介を目的としたホフマン式輪窯が再現されるなど、煉瓦について様々な視点からの収集・展示を行っている。 鉄骨構造で煉瓦の積み方がフランス積みであることが特徴とされ、日本最古級とされる。 2008年、舞鶴赤煉瓦倉庫群の一つとして重要文化財に指定された。
舞鶴赤れんがパーク内にある施設。 赤れんが2号棟は舞鶴市政記念館となっている。 1902年、旧海軍兵器廠の倉庫として建設され、砲銃庫として使用されていた。 戦後、市役所の第二庁舎として使用されていた。 1階には、赤レンガカフェ(軽食・喫茶) jazzがあり、海軍・海上自衛隊で愛されてきたカレーライスのレシピをそのまま再現したという海軍カレーや東郷平八郎氏の案によって誕生したという肉じゃがを元にした肉じゃが丼などを楽しむことができる。
肉じゃが
肉じゃがは、1870年代、イギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたというビーフシチューの味を再現し、日本の艦上食として料理長に作らせたことがはじまりといわれ、東郷平八郎のゆかりの地である舞鶴と呉との間でしばしば論争が起きることも。
海軍カレー
海軍・海上自衛隊で愛されてきたカレーライスのレシピをそのまま再現したという海軍カレー。
海軍カレー
海軍・海上自衛隊で愛されてきたカレーライスのレシピをそのまま再現したという海軍カレー。
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1901年、舞鶴鎮守府初代司令長官であった東郷平八郎海軍中将が、開庁以来、2年間を過ごした。 以来、歴代長官の官邸として終戦時まで使用されていたという。 東郷平八郎は1848年生まれ。 薩摩藩士、海軍軍人として活躍し、日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。 日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り、日本海海戦での完勝したことにより「陸の大山 海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれた。 世界三大提督(ジョン・ポール・ジョーンズ、ホレーショ・ネルソン、東郷平八郎)の1人に数えられた。
海上自衛隊の鶴総監部内にある展示施設。 1964年、自衛隊員の教育に資することを目的として舞鶴地方総監部大講堂(旧海軍機関学校大講堂)に設置された。 1901年、舞鶴市に鎮守府が設置され、初代司令長官に赴任した東郷平八郎元帥に関する資料の他、旧日本海軍の資料が展示されている。
海上自衛隊
周辺には多くの船が停泊している。
海上自衛隊
周辺には多くの船が停泊している。
正式名称は、五老ヶ岳公園展望タワー。 1995年、舞鶴市市制50周年事業として建設された。 東舞鶴と西舞鶴を分ける標高約301mの五老岳に整備された五老ヶ岳公園内にある展望塔。 近畿百景第1位に選定された。
展望室から
タワーの最上階にある展望室からは舞鶴湾やリアス式海岸、舞鶴市街地、国際ふ頭の舞鶴国際ふ頭などを一望することができる。
展望室から
タワーの最上階にある展望室からは舞鶴湾やリアス式海岸、舞鶴市街地、国際ふ頭の舞鶴国際ふ頭などを一望することができる。
展望室から
タワーの最上階にある展望室からは舞鶴湾やリアス式海岸、舞鶴市街地、国際ふ頭の舞鶴国際ふ頭などを一望することができる。
別名、舞鶴城。 室町幕府、丹後守護所は加佐郡の八田であり、丹後守護の一色氏は八田の守護館において政務を執っていた。 平地に位置するため、有事の際には建部山の建部山城に籠って戦うこととした。 1578年、織田信長の命によって守護大名の一色義道を攻撃し、丹後を制圧した細川幽斎氏(別名、長岡藤孝)は、宮津城を居城とした。 旧丹後守護所の加佐郡八田の地名を田辺と改めた上で田辺城を築城し、隠居。 子の忠興を入城させた。
細川忠興
1600年、関ヶ原の戦いが勃発し、当主となっていた細川忠興は石田三成氏率いる西軍の誘いを退け、徳川家康氏率いる東軍に加勢した。 藤孝氏は宮津城を焼き払い、田辺城に入城、西軍を迎え撃った。 田辺城は石田三成氏の家老島清興氏の親族にあたる小野木重勝氏や豊臣家の重臣前田玄以氏の子茂勝氏が率いる西軍に包囲された。 戦闘の末、藤孝氏は「古今伝授の書」が戦火で忘却されるのを恐れ、後陽成天皇に献上した。
京極高三
藤孝氏の戦死を憂いた後陽成天皇の仲介で西軍は攻撃をやめた。 藤孝氏は敵将前田茂勝氏の丹波亀山城に入城。 細川忠興は豊前国小倉に転封され、京極高知氏が丹後一国を与えられ、田辺城に入城したが、宮津城に移った。 初代舞鶴藩主の京極高三氏により再建。
現在の田辺城跡は舞鶴公園として整備され、二層櫓の彰古館、田辺城資料館、天守台石塁などがある。
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吉原地区にある入江。 昔から漁業が盛んで、全国から人が集まり、半農半漁が主流の時代に専業漁師が約600人いたとも。 1600年、田辺城の細川幽斎(藤孝)は関ヶ原合戦に向けて西軍に城を取り囲まれながらも籠城を決意。 吉原の人々は深夜、田辺城の兵士らに魚など食糧を届け、徳川家康率いる東軍が勝利。 籠城戦の手柄として、城下の漁民に領内で自由に漁ができる特権を与えたとか。 1727年、火災に見舞われ、吉原が火元とされた。 城主より伊佐津川の対岸へと集団移転を命じられた。 大阪への鉄道が開通し、線路は舞鶴港まで引き込まれた。 都市部への魚介類の流通が盛んとなるも舞鶴湾に軍港が整備され、衰退。
「日本のベネチア」「日本のベニス」
大正時代、底引き網船や巻き網漁船を導入し、吉原は日本海域で有数の漁港に成長。 吉原には約6000年前の丸木舟・手こぎ舟が約10隻、現存。 明治時代、若狭湾の冠島・老人島神社に参拝後、島から吉原まで速さを競い合っていたとか。 現在では「日本のベネチア」「日本のベニス」と呼ばれているとも。
1743年、創建。 1728年、田辺城下の竹屋町に住んでいた住民らは火災により、当地へ移住。 当地はかつて葦が茂る低湿地で悪疫の流行が絶えず、災厄を免れる為に川下に祭神・月夜見命を祀った。 夏越の祓いを行うことから水無月神社が祀られた。 疫病や災難除けのご利益があるとされていることから牛頭天王社が祀られた。
「なるかならぬか水無月さまよ かけた願いが今日とける」
「なるかならぬか水無月さまよ かけた願いが今日とける」と舞鶴小唄に歌われている。 江戸時代から大正時代にかけて奉納されたとされる21面の絵馬は有形民俗文化財に指定。
日本海側では最大級の規模を誇る道の駅。
刺身や寿司、海鮮丼など
舞鶴魚市場の仲買人による出店で新鮮な魚介類が販売されている。 またフードコートやレストランもあるので、刺身や寿司、海鮮丼などを味わうことができる。
ファーマーズマーケット「あぐり」
京都の地酒を中心とするお土産の販売、舞鶴産の野菜だけのファーマーズマーケット「あぐり」も。
刺身や海鮮丼などを味わうことができる飲食店。 店内はテーブル席のみ。 市場仲買人として舞鶴漁港直送の新鮮な魚介類が人気。 メニューは海鮮刺身定食、うに丼、釜揚げしらす丼など。 あら汁も好評!
商業施設エールのフードコート内にある飲食店。 エールとは、京都府舞鶴市に本社を置く小売店で1921年、創業。 とと楽は海鮮丼が中心でぶりの海鮮丼やまぐろの海鮮丼などがある。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
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うどんやそば、刺身、海鮮丼などを味わうことができる居酒屋。 店内はカウンター席とテーブル席があり、テイクアウトも可能。
牛すじカレー
海上自衛隊の補給艦ましゅうの艦長指令味見認定「牛すじカレー」が人気。 コラーゲンが豊富で、カレーライスの上には日章旗も。
西日本旅客鉄道(JR西日本)舞鶴線、京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮津線(宮舞線)の停車駅の一つ。 1904年、官設鉄道の舞鶴駅として開業。 1907年、阪鶴鉄道が国有化。 1927年、北丹後地震で被災するも1932年に全通。 1944年、西舞鶴駅に改称。 1949年、日本国有鉄道(国鉄)となる。 1987年、西日本旅客鉄道(JR西日本)となる。 1990年、宮津線が北近畿タンゴ鉄道となる。 2015年、宮津線が京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮津線(宮舞線)となる。 かつては、駅弁が販売された。 第2回近畿の駅百選に選出。
舞鶴市内の観光案内や情報発信などを行っている観光案内所。 施設内では舞鶴名産のかまぼこ、お菓子、グッズ等も販売。
天然温泉を楽しむことができる銭湯。 泉質はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉 (低張性弱アルカリ性)。 効能はきりきず、やけど、慢性皮膚病、神経痛、筋肉痛など。