ハイカラなまち・広島県呉市をお散歩
広島ハイカラなまち・広島県呉市をお散歩
まいどまいど! 大日本帝国海軍・海上自衛隊の拠点の一つとして知られておます広島県呉市。 呉の海岸沿いには、普段、目にすることがおまへん護衛艦や潜水艦が海に浮かんでおました。 ほんで、周辺をぶらぶら歩いてますと、海上自衛隊の制服を着た人が歩いてはりましたな。 観光においては、呉市や呉市周辺の歴史、護衛艦、潜水艦のことが詳しく展示されている呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)、海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)などがおまして、実際に使用されていた潜水艦の中を見学することもできまんねん。 その他、入船山記念館でも、呉市や呉市周辺の歴史ことが詳しく展示されている他、かつては東郷平八郎が使用していたという家屋も一般公開されてはりまんな。 グルメにおいても、広島では定番のお好み焼きをはじめ、もみじ饅頭、カレーライス、オムライス、そして、東郷平八郎が考案したという呉発祥の肉じゃがが有名やそうでおまして、それらを呉でいっぺんに味わうことができまんねん。 ほんで何よりも、テレビで取り上げられたという呉焼きも味わってみることにしましてん。 美味しくて楽しい呉、ぜひ、皆さんも堪能しておくれやっしゃー。
愛称は、てつのくじら館。 2007年、海上自衛隊の広報を目的としてオープン。 主に、海上自衛隊に関する歴史や装備品の紹介などを展示、公開している。 1階では海上自衛隊の歴史について。 2階では機雷の脅威と掃海艇の活躍について。 3階では潜水艦の活躍について。 その他、実物・模型・絵図や映像などの資料を用いて紹介している。 一番の人気は、2004年まで実際に使用されていたゆうしお型潜水艦「あきしお」が日本で初めて展示され、一部を見学することができる。
愛称は、大和ミュージアム 2005年、明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、また、日露戦争・日本海海戦から100年目、大東亜戦争(太平洋戦争)終戦から60年目にあたる節目の年に開館。 戦艦陸奥や重巡洋艦青葉に搭載され、主砲身、戦艦金剛のイギリス・ヴィッカース社から輸入したボイラーや戦艦陸奥の錨、航空戦艦日向のマストに掲揚されていた軍艦旗、零式艦上戦闘機六二型、人間魚雷回天10型(試作型)、特殊潜航艇「海龍」、海軍兵器などが展示。
大和ひろば
戦前・戦後を歩んできた呉市の歴史と船舶製造技術を展示の他、旧日本海軍の超大型軍艦「大和」の建造と軍事活動が紹介。 施設内の「大和ひろば」では、実物の10分の1の大きさで再現された戦艦大和の模型が展示されている。
1階は、お土産や物産展、2階はレストラン。 エスカレーターで2階に上がってみると、昭和時代の街並みを再現したという「high collar ハイカラ」な雰囲気を楽しむことができる。 奥には、大食堂と潜水艦の中を再現したサブマリンレストラン。 ここのレストランでは、カレーライスがおすすめ。 海上自衛隊の隊員の皆さんはほとんどの場合、毎週金曜日の昼食にカレーを食べるといい、そのカレーは、隊員の健康を第一に考える調理員のこだわりが詰まっている。 ここでは、海上自衛隊の呉基地に所属する艦船などで出されているカレーのレシピを元に忠実にを再現され、本物そっくりのカレーを味わうことができる。
男たちの大和
売店コーナーとなっていて、広島県の地酒をはじめ、お土産も販売されている他、映画の「男たちの大和」で実際に使用された貴重な三連機関銃や、呉海上自衛隊員さんが製作された1/30戦艦大和の模型なども展示されている。
人気NO.1であるという潜水艦そうりゅうテッパンカレー
海上自衛隊の呉基地より認定書が送られたお墨付きのカレー。 鉄板プレートは、給食スタイルの鉄板容器で、艦船内で使用しているものと同じもの。 カレーのライスの上には、日章旗が掲げられている。 その他、戦艦霧島で考案されたクジラ肉のカツレツ、サラダ、東郷平八郎が考案したという呉発祥の肉じゃが。 今でも海上自衛隊のカレーとともに出されている牛乳が添えられていた。
海に面した場所に位置しているため、目の前に広がるオーシャンビューを楽しみながら、呉の新鮮な魚介類や季節の野菜を使用したご当地メニューも楽しむことができる。
ここでは、戦艦大和の前甲板を実物の4分の1の大きさでイメージして作庭され、司令塔や艦橋、船首などが再現されている。 2014年、恋人の聖地に認定された。
屋外展示
実物の潜水調査船「しんかい」、水中翼船「金星」などの屋外展示もされている。
海上自衛隊呉基地は、「東洋一の軍港」と謳われた、神奈川県横須賀市の横須賀港と並ぶ、海上自衛隊の主要基地。 呉基地付近にある大和波止場付近からはクルーズ船が運行され、呉艦船めぐりを楽しむことができる。 主に、海上自衛隊に所属する潜水艦や護衛艦などを間近で眺めることができ、海上自衛隊自衛官OBによる案内も聞くことができる。
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季節限定をはじめ、6種類の地ビールはもちろん、呉名産、広島県産のオツマミや、ビールによく合う単品料理やコース料理、バーベキューや飲み放題コース、すき焼・しゃぶしゃぶなどを楽しむことができる。
正式には、呉市道幸町3号線。 1981年に整備され、名称は1987年公募で決定。 美術館通りには呉市立美術館が立地していることから、美術館外観と合わせた歩道敷や10体を超える彫刻の屋外美術が点在する。 太平洋戦争以前は、呉市市街地と海軍工廠、海軍病院などの旧日本海軍の施設を結ぶ道路であった。 1987年、日本の道100選に選定、建設省(国土交通省)手づくり郷土賞を受賞。
日本の歴史公園100選に選定。 公園内には、入船山記念館や呉市立美術館がある文化ゾーンと、市民広場の多目的広場がある。 当地は、休山麓の台端部の入船山にあたり、かつては703年に建立された亀山神社が鎮座していた。 1889年には呉鎮守府司令長官官舎、1956年にはイギリス連邦占領軍司令長官庁舎が置かれていた。 公園内にある記念館は、呉市の歴史的資料や旧海軍資料を展示、本館にあたる旧呉鎮守府司令長官官舎は明治期に建築され国の重要文化財である。 美術館は、ブールデルやルノワールや地元出身芸術家作品を展示、枯山水庭園を配する。
1982年、開館。 1993年、収蔵庫や喫茶スペースを兼ねた別館を新築。 本館は地上2階、地下1階、別館は地上1階。 美術館前には、枯山水の庭、本瓦寄棟造や亀甲模様の煉瓦タイルやイタリア大理石内装など、同園内にある入船山記念館との景観を配慮し、明治時代の洋風建築を模している。
ヘリテージング100選。 1967年、開館。 旧呉鎮守府司令長官官舎(本館)を中心に郷土館や歴史民俗資料館などから構成。 呉市の郷土資料や大日本帝国海軍資料、金唐革紙関連資料を展示。 旧司令長官官舎は、海軍高級将校庁舎として国の重要文化財に指定。 かつて703年に建立された亀山神社が鎮座していたが、1886年に鎮守府が開設されたのに伴い、大日本帝国海軍に接収され、軍政会議所兼水交社が建てられた。 1892年、司令長官官舎となった。 1956年、イギリス連邦占領軍の司令官官舎となり、大蔵省が管理した。 1966年、旧軍港市転換法に基づき呉市に無償貸与移管、入船山記念館として一般公開を開始。
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国の重要文化財に指定。 木造平屋建で、入船山記念館の本館にあたる。 1905年、初代の司令長官官舎は芸予地震により倒壊し、その後、再建。 設計は呉鎮守府建築課課長の桜井小太郎。 洋館部はイギリス風半木骨造(ハーフティンバー様式)、屋根は天然粘板岩(スレート)の魚鱗葺、玄関のステンドグラスはイギリス製、執務室には日本国内に数例しかない金唐革紙が貼られている。
木造平屋建て
昔の雰囲気をそのままに保存、公開されている。
別名、近世文書館。 1986年、開館。 鉄筋コンクリート構造地上2階、地下1階。 呉市の歴史的資料や旧海軍関係資料などを収集、公開している。 伊能忠敬が測量する様子を描いた「浦島測量の図」「伊能忠敬御手洗測量之図」は共に市指定有形文化財に登録。
1979年、開館。 旧海軍関係資料を中心に展示。 2号館。 1967年、開館。 煉瓦造平屋建。
旧高烏砲台火薬庫
かつては呉軍港への外国の敵艦船の侵入を防ぐ為、大日本帝国陸軍が整備した呉要塞(広島湾要塞)の一つ「高烏砲台」に置かれた火薬庫。 1901年、音戸の瀬戸を見下ろす呉市警固屋に整備。 戦後、音戸の瀬戸公園が整備された際、再整備。 1967年、移設復元。 国の登録有形文化財に登録。 現在、郷土画家が書いた呉市の歴史絵画を展示。 「呉軍港全図」は明治時代に作られた呉鎮守府建設計画の図面が公開。
構造は親子時計(設備時計)で、四方に見えている文字盤の部分は子時計と呼ばれるもの。 塔の内部には子時計を制御する親時計があり、親時計からパルス(衝動)を送り、子時計を同時に動かしている。 また、国産初の「電動親子式衝動時計」。 歯車にネーバル黄銅(海軍黄銅とも)という耐海水性に優れた材質を用いているなど、艦艇兵器用の機械構造の特徴がある。 定刻になると、市内の小・中学生が作曲したメロディが流れる。 1921年、呉海軍工廠造機部の屋上に設置。 呉市有形文化財に指定。
別名、旧東郷家住宅離れ。 国の登録有形文化財。 元々は呉市宮原通り(宮原5丁目)正圓寺の山手付近にあった邸宅の離れ。 1890年、呉鎮守府第2代参謀長として在籍した東郷平八郎が利用していた。 母屋は明治時代に焼失した。
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愛称は、フラワー通り。 国道185号線の本通沿いにある商店街で、飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 かつては本通りの中央を路面電車が走り抜けていたとか。 現在、本通りには市役所通りや有楽町、パルス通り、花見橋通り、センター通りなどと交差する。
約36万個のレンガが敷き詰められた商店街。 1990年、日本で初めてとなる開閉式ドーム型のアーケードが設置。
1階と2階は絵画等の展示スペース。 3階と4階は漫画家で松本零士氏の代表作「宇宙戦艦ヤマト」の作品展示を行っている。
別名、赤ちょうちん通り。 呉の夜の風物詩の一つで蔵本通りには多くの屋台が立ち並ぶ。 屋台は、上下水道・電気を完備したといい、全国的にも珍しく、メニューはラーメンや焼き鳥、串カツ、イタリアン、創作料理など様々。
下町らしい雰囲気漂う呉中通り商店街(別名、れんが通り)にある一軒のお店。 今も昔も地元で愛され続け、主に常連客を中心に賑わいを見せる。 また、テレビやラジオ、雑誌などの芸能界で活躍する有名人や著名人も訪れるほどの人気で店内の壁面には有名人の描いたサイン色紙も展示。 店内にはテーブルと座敷がありテイクアウトや配達も行っている。 メニューは大きく分けて、広島風お好み焼きと関西風お好み焼き、たこ焼きがあり、地ビールや地酒も味わうことができる。 今回、注目したのが日本テレビ系列で放送されている「カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW」でも取り上げられたという「呉焼き」を味わうことにした。
呉焼き
呉焼きとは、呉名物「細うどん」を使って半月型に折る呉独特のお好み焼きとして知られ、昔から地元に愛されてきたとか。
呉焼き
細うどんは戦時中に呉で発展した食べ物で、呉の軍港の造船業を務めていた職工さんが、短い休憩時間でさっと食べるのに重宝されたという。
海軍さんの麦酒
広島の地ビールに代表される海軍さんの麦酒を味わった。
広島風お好み焼き
広島風お好み焼きを味わった。 大阪と広島のお好み焼きで大きく違うのは、焼き方と中身。 まず焼き方は、大阪の場合、生地と肉などの具を一緒に混ぜてから焼くが、広島の場合、生地を混ぜずに重ね上げて焼くこと。
広島風お好み焼き
中身は、大阪の場合、中身は、肉(豚・牛)キャベツなどが中心であるが、広島の場合、そば、野菜が中心となっている。 広島で本場のお好み焼きを味わい、満足となりました。
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愛称は、「クレスト(CREST)」。 1903年、日本国有鉄道の海田市駅と呉駅間の開業により、設置。 1946年、イギリス連邦占領軍専用列車「BCOF train」の始発駅となった。 2013年、列車接近メロディが漫画家の松本零士氏の代表作「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌に変更された。
1918年、呉海軍工廠は中国地方と四国地方の小学校高等科二年卒業生より、厳重な試験により、優秀者を採用し、中堅工員養成の目的でこの地に職工教習所(後に工員養成所を開校。 終戦までの27年間に多くの卒業生を送り出した。 生徒は一般に見習工と云われていたとか。 三年間の本科、選ばれて補修科、更に全国の工廠からの技手養成所等への道を設けられ、名実共に工廠を担う者となった。 周辺には、過去の海軍の名残を今に伝える呉海軍工廠 電気部外業および製図工場、呉海軍工廠 電気部電気機械試験室などが立ち並ぶ。
広島県呉市にある公園。 「アレイ(ALLEY)」は英語で路地という意味。 「からすこじま」という名の由来は、呉浦にあった「烏小島」。 公園には、煉瓦色のインターロッキングブロックが敷き詰められている。 2009年、「旧呉鎮守府兵器部護岸および関連施設」として土木学会選奨土木遺産に選定。
烏小島
烏小島は周囲約40mの小島であったが、大正時代に魚雷発射訓練場の整備のため、埋め立てに使用され消滅した。 海上自衛隊第1潜水隊群司令部付近にあたるため、日本で唯一、間近で潜水艦を眺めることができる。
歴史など
戦前、呉海軍工廠本部と兵器製造所前の岸壁で、1895年に切石積護岸を整備した。 1956年、呉市に進駐したイギリス連邦占領軍が用いていた。
モニュメント
園内には、魚雷積載用クレーン、係船柱など旧海軍が用いていたものをモニュメントして設置。
モニュメント
園内には、魚雷積載用クレーン、係船柱など旧海軍が用いていたものをモニュメントして設置。
モニュメント
園内には、魚雷積載用クレーン、係船柱など旧海軍が用いていたものをモニュメントして設置。
護衛艦や潜水艦など
実際に使用されている護衛艦や潜水艦などが停泊していた。