伊藤博文銅像台座
兵庫県神戸市中央区楠町7丁目4兵庫県神戸市の大倉山公園内にある伊藤博文公銅像台座。
銅像は太平洋戦争中の金属供出により撤去。
伊藤博文は初代兵庫県知事、初代内閣総理大臣。
初代は1904年に湊川神社本殿横に設置されたが、日露戦争の講和条約の内容に不満を募らせた民衆に引き倒され、姿を消した。
伊藤の暗殺後、親交のあった大倉財閥創始者、大倉喜八郎が再建し、2代目として神戸市に寄付。
銅像はフロックコートを着用、自身が起草の中心となった帝国憲法草案を手に持っていた。
台座の設計は、京都大学の時計台や京都府立図書館などを手掛け、「関西建築界の父」と呼ばれた武田五一。
弟子の一人、吉武東里がデザインしたとされる国会議事堂にも通じる。