北条早雲公像
神奈川県小田原市城山1丁目4
後北条氏の祖、伊勢宗瑞(新九郎、早雲庵宗瑞)。
応仁の乱で駿河守護今川義忠が上洛し東軍に加勢。
京で幕府に出仕、建仁寺と大徳寺で禅を学ぶ。
9代将軍義尚に仕えて奉公衆となった。
駿河では龍王丸を補佐、石脇城(焼津市)で駿河館を襲撃し範満と小鹿孫五郎を攻撃。
龍王丸は駿河館に入り、元服して氏親を名乗り今川家当主となる。
早雲は興国寺城(沼津市)を所領とし、幕府奉公衆小笠原政清の娘・南陽院殿と結婚。
堀越公方足利政知の子茶々丸を襲撃。
享徳の乱で鎌倉公方足利成氏が幕府に叛き、将軍の命を受けた今川氏が鎌倉を占領。
伊豆を平定、今川氏の武将としての活動を行い、兵を指揮して遠江へ侵攻、中遠まで制圧。