ラジオ体操考案者・大谷武一生誕の地の碑
兵庫県加西市大柳町日本の学校体育指導者で日本体育指導者連盟元会長。
ラジオ体操の考案者の1人として知られ、海外で親しまれていたソフトボール、ハンドボール、ウェイトリフティングなどの競技を日本に持ち込んで広げた。
その他、「デッドボール」と呼ばれていた競技を「ドッジボール」に改名。
兵庫県加西市出身。
1887年、兵庫県加西市生まれ。
1917年、文部省留学生として渡米、欧州諸国(イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、フィンランドなど)を視察。
1928年、文部省ラジオ体操検討委員(体育研究所技師)。
1932年のロサンゼルスオリンピック、1936年のベルリンオリンピックに体操競技総監督として参加。