東海道散歩その2 (三条大橋から新居宿)
東海道五十三次 宿場を歩く。 ファイルが大きくなったので日本橋から浜松宿までの東海道散歩その1と京都三条大橋から舞坂宿までの東海道散歩その2に分けました。
西追分
西の追分 西の追分は大和街道との分岐点にあたり、東海道・京都方面への次の宿は坂下宿で、鈴鹿峠を越えて京都へは19里半(78㎞)ある。また、大和街道は加太(かぶと)越えをして伊賀から奈良に至る。
関神社御旅所
関神社御旅所
地蔵尊(御旅町)
地蔵尊(御旅町)
旧田中
旧田中
関地蔵院
関地蔵院 天平13(741)年、奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられる、日本最古の地蔵菩薩。 境内の本堂、愛染道、鐘楼は国指定重要文化財。
会津屋
会津屋 福蔵寺にある墓の小万は、ここで育てられた女性。 かつて殺された久留米藩士牧藤左衛門の娘。その娘が身重ながら父の敵討ちの旅に出て、旅籠山田屋(現会津屋)で、小万を生んだのちに客死した。小万は山田屋で養われ、東海道を亀山の道場へ通ったという。最後、見事に母の志をついで、祖父の仇を討っている。
福蔵寺
福蔵寺 織田信長の三男織田信孝の菩提寺。 首が葬られている。なお、胴体は、信孝が信雄の命令で自害させられた知多郡にある安養院に葬られている。 母の遺志を継ぎ父の仇を討った関の小万の墓がある。殺された久留米藩士牧藤左衛門の娘。その娘が身重ながら父の敵討ちの旅に出て、旅籠山田屋(現会津屋)で、小万を生んだのちに客死した。小万は山田屋で養われ、東海道を亀山の道場へ通ったという。最後、見事に母の志をついで、祖父の仇を討っている。
深川屋
関の戸 深川屋陸奥大掾
関宿旅籠玉屋歴史資料館
関宿旅篭玉屋歴史資料館
伊藤本陣跡
伊藤本陣跡 広重の関宿は、この伊藤本陣の前の風景を描いている。
百六里庭
百六里庭
川北本陣跡
川北本陣跡
関宿問屋場跡
関宿問屋場跡
鶴屋脇本陣跡
鶴屋脇本陣跡
関まちなみ資料館
関まちなみ資料館
関宿
関宿
御馳走場
宿場の役人が、関宿に出入りした身分の高い武家や公家に対し、衣服を改め宿場両端の御馳走場まで出迎えや見送りを行った場所。
東追分
東の追分 鳥居 7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのがはじめで、これが地名の由来ともなっている。鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅として、また伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄した。 ここ東の追分は伊勢別街道の分岐点で、鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築するのがならわしになっている。
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