石橋山古戦場
神奈川県小田原市石橋頼朝は、伊豆地方の霊山である箱根権現、走湯権現(伊豆山神社)に深く帰依して読経をおこたらず、亡父・義朝や源氏一門を弔いながら日々を送っていた。
1180年後白河法皇の皇子である以仁王が平氏追討を命ずる令旨を諸国の源氏に発している。頼朝も立ち上がっている。
三浦義澄、和田義盛らの三浦一族が頼朝に参じるべく三浦を発していたが、三浦軍との合流前の8月23日にここ石橋山の戦いで、頼朝軍三百騎は三千余騎と戦って敗北し、土肥実平ら僅かな従者と共に山中へ逃れる。
数日間の山中逃亡で、頼朝らは、ここ箱根権現で身を潜めた。
そして、頼朝らは、8月28日に真鶴岬から船で安房国(房総半島)へ向かっている。