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紫式部の「源氏物語」賢木にこの寺名がでてくる。源氏が藤壺との逢瀬が巧く行かず心沈んでいる時、秋の野に誘われて紫野雲林院に詣でた、とある。ここは、亡き母桐壺の御息所の兄君の律師が籠っているお寺であると物語では書かれている。源氏はここに二、三日逗留している。その状況を事細かに描写している事から考えると紫式部もこの寺に逗留した事があるのだろうと思うのも面白い。
また、紫式部はこの辺りで生まれ育ったと言われている。そして、紫式部のお墓はここから東の近くにある。
2020年9月29日
旧大宮通りを下がったところにある大徳寺の境外塔頭で臨済宗寺院。でも最初から塔頭だったわけではないようです。平安時代に淳和天皇の離宮「紫野院」として建てられ、貞観11年(869年)には歌人でもある僧正・遍照に付され天台宗「雲林院」と呼ばれるようになり多くの塔頭を有する大寺院となったようですが、その後 戦乱などにより徐々に衰退していったと言います。江戸時代になってようやく、大徳寺の前身である由緒あるお寺として見直され、観音堂が再建されました。それでも、かつての隆盛を取り戻すことはできず小さなお寺としてひっそりこの地で地域の方々に見守られ佇んでいます。
2017年5月2日
2017年4月16日
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紫式部の「源氏物語」賢木にこの寺名がでてくる。源氏が藤壺との逢瀬が巧く行かず心沈んでいる時、秋の野に誘われて紫野雲林院に詣でた、とある。ここは、亡き母桐壺の御息所の兄君の律師が籠っているお寺であると物語では書かれている。源氏はここに二、三日逗留している。その状況を事細かに描写している事から考えると紫式部もこの寺に逗留した事があるのだろうと思うのも面白い。
また、紫式部はこの辺りで生まれ育ったと言われている。そして、紫式部のお墓はここから東の近くにある。
2020年9月29日
旧大宮通りを下がったところにある大徳寺の境外塔頭で臨済宗寺院。でも最初から塔頭だったわけではないようです。平安時代に淳和天皇の離宮「紫野院」として建てられ、貞観11年(869年)には歌人でもある僧正・遍照に付され天台宗「雲林院」と呼ばれるようになり多くの塔頭を有する大寺院となったようですが、その後 戦乱などにより徐々に衰退していったと言います。江戸時代になってようやく、大徳寺の前身である由緒あるお寺として見直され、観音堂が再建されました。それでも、かつての隆盛を取り戻すことはできず小さなお寺としてひっそりこの地で地域の方々に見守られ佇んでいます。
2017年5月2日
2017年4月16日