広徳寺 (細川高国 自刃の地)
兵庫県尼崎市寺町8臨済宗大徳寺派の寺院。
山号は瑞雲山。
1390年、京都紫野大徳寺の第七世・言外宗忠和尚によって開基。
宗忠の法嗣で大徳寺27世の明遠宗智が住し、柔仲宗隆が住持となった。
1531年、室町幕府の細川家の後継者争いから発展した大物崩れの戦いで、敗れた細川高国が三好一秀に捕らえられて自刃。
1560年頃、笑嶺宗訢は栖賢寺とともに再興。
1600年代、現在地に移転。
1582年の山崎の合戦前には豊臣秀吉が訪れ、休息を取った。
豊臣秀吉は明智光秀の軍勢に追われ、廣徳寺に逃げ込み、髪を剃り落として僧と一緒に台所で味噌をすって敵の目を欺いた「味噌すり坊主」の逸話がある。
現在も、すり鉢とすりこ木が現存。