小名木川かさ上げ護岸の歴史
東京都江東区北砂5丁目20 Unnamed Road、5丁目-20江戸時代、小名木川は隅田川と旧中川を結ぶ運河として建設。
途中、横十間川、大横川と交差。
小松橋と新扇橋の間には扇橋閘門を設置、閘門より東側は地盤沈下が著しく0m地帯のため水位を1m下げている。
1590年頃、江戸城主の徳川家康は兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(千葉県)に着目。
小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削、河川の名称の由来に。
完成後、塩の運搬が安全で容易となり、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の年貢米など塩以外の品物や客も運搬。
1629年、江戸物流の重要河川となり、利根川東遷事業と併せて拡幅、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所」が設置。