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標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。
2023年1月5日
2日目にして3つ目のお城はこちらの山城!
2021年4月26日
細ぃ道を抜けて山を車で上り 駐車場に車を停めてから 700m徒歩で登ります。マロンU´•ﻌ•`Uも抱っこして結構しんどかったです。駐車場からシャトルバスも有り。日本で唯一現存天守を持つ山城。わんこは 天守に入れません。
2021年1月25日
眺め最高
2020年9月23日
別名、高梁城、備中松山城。 日本100名城(68番)の一つ。 標高430mの臥牛山頂にあり、現存する天守を持つ山城としては最も高い所に位置する日本三大山城の一つ。 山麓の城下町には藩主の御殿と家来の武家屋敷が集まる「御根小屋」を構え、藩の政務を行った。 1240年、秋庭三郎重信が備中有漢郷(岡山県高梁市有漢町)の地頭となり大松山に築城、高橋宗康が城を拡張。 戦国時代、三村元親は大松山・小松山を範囲とする一大城塞とした。 1570年、元親が備中に兵を進めた宇喜多直家を迎え撃つために出撃した際、直家と通じた庄高資・庄勝資親子に松山城を占拠されたが穂井田元清の協力により庄高資を討ち、松山城を奪還。
2020年1月11日
現存する天守としては日本一標高の高い場所にある。展望台から眺める備中松山城は、まさに「天空の城」。
2015年10月20日
日本で唯一現存天守を持つ山城です。 山頂付近に建っているため、本丸付近までは山道を20分ほど歩かなくてはなりません。 その道のりを歩くことで、こんなところへよくお城を建てたものだと身に染みて感じることができます。
2014年10月15日
2022年9月21日
営業時間外9:00~16:30
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標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。
2023年1月5日
2日目にして3つ目のお城はこちらの山城!
2021年4月26日
細ぃ道を抜けて山を車で上り 駐車場に車を停めてから 700m徒歩で登ります。マロンU´•ﻌ•`Uも抱っこして結構しんどかったです。駐車場からシャトルバスも有り。日本で唯一現存天守を持つ山城。わんこは 天守に入れません。
2021年1月25日
眺め最高
2020年9月23日
別名、高梁城、備中松山城。
日本100名城(68番)の一つ。
標高430mの臥牛山頂にあり、現存する天守を持つ山城としては最も高い所に位置する日本三大山城の一つ。
山麓の城下町には藩主の御殿と家来の武家屋敷が集まる「御根小屋」を構え、藩の政務を行った。
1240年、秋庭三郎重信が備中有漢郷(岡山県高梁市有漢町)の地頭となり大松山に築城、高橋宗康が城を拡張。
戦国時代、三村元親は大松山・小松山を範囲とする一大城塞とした。
1570年、元親が備中に兵を進めた宇喜多直家を迎え撃つために出撃した際、直家と通じた庄高資・庄勝資親子に松山城を占拠されたが穂井田元清の協力により庄高資を討ち、松山城を奪還。
2020年1月11日
現存する天守としては日本一標高の高い場所にある。展望台から眺める備中松山城は、まさに「天空の城」。
2015年10月20日
日本で唯一現存天守を持つ山城です。
山頂付近に建っているため、本丸付近までは山道を20分ほど歩かなくてはなりません。
その道のりを歩くことで、こんなところへよくお城を建てたものだと身に染みて感じることができます。
2014年10月15日
2022年9月21日