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東の追分 鳥居
7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのがはじめで、これが地名の由来ともなっている。鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅として、また伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄した。 ここ東の追分は伊勢別街道の分岐点で、鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築するのがならわしになっている。
2021年5月6日
内宮正殿の棟持柱は、20年後の式年遷宮を経て解体され、宇治橋 神宮側の鳥居となります。 そしてさらに20年後の式年遷宮のあと、ここ関にある 東の追分の鳥居となるのです。 関の追分は 江戸時代の 東海道と伊勢街道の分岐点だったので、こちらも「ここから伊勢」という目印だったのでしょう。
2016年12月9日
左が江戸、右は京、鳥居の先は 伊勢別街道になっている。
2015年9月12日
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東の追分 鳥居
7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのがはじめで、これが地名の由来ともなっている。鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅として、また伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄した。 ここ東の追分は伊勢別街道の分岐点で、鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築するのがならわしになっている。
2021年5月6日
内宮正殿の棟持柱は、20年後の式年遷宮を経て解体され、宇治橋 神宮側の鳥居となります。
そしてさらに20年後の式年遷宮のあと、ここ関にある 東の追分の鳥居となるのです。
関の追分は 江戸時代の 東海道と伊勢街道の分岐点だったので、こちらも「ここから伊勢」という目印だったのでしょう。
2016年12月9日
左が江戸、右は京、鳥居の先は 伊勢別街道になっている。
2015年9月12日