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鳥羽伏見の戦い勃発の地碑
ここは鳥羽の戦い勃発の地。
滝川氏が率いるフランス仕込みの幕府軍歩兵は最新式の銃に弾も込めずに竹田街道を北に歩きここに小枝橋を渡るために来ている。
滝川氏は幕府軍を攻撃する藩などあり得ないとの思い込みだけで御所に向かっていた。しかも、薩摩軍が御所から許しを求めるまでこの地に待てとの言葉を信じて滝川軍はこの地で待っていた。その間に薩長軍は鳥羽に更なる陣の展開を進めた。城南宮に大砲を置いている。
この逸話が幕府軍官僚意識を象徴していると思えて面白い。
2021年1月30日
鳥羽伏見の戦い勃発の地
2020年9月17日
1868年、鳥羽・伏見の戦いが勃発、後の戊辰戦争の初戦とも。 鳥羽街道を封鎖した薩摩藩兵と街道の通行を求める旧幕府軍先鋒が接触。 薩摩藩兵は京都から許可が下りるまで待つように返答するも小枝橋付近で対峙。 大目付の滝川具挙の家臣も断念、業を煮やした旧幕府軍は隊列を組んで前進を開始、強引に押し通る旨を通告。 薩摩藩側も通行を許可しない旨を回答したが、銃兵、大砲が一斉に発砲、旧幕府軍先鋒は混乱。 歩兵隊は不意の攻撃に狼狽、旧幕府軍の先鋒は潰走、見廻組など一部が踏みとどまって抗戦、後方を進行した桑名藩砲兵隊等が到着し反撃を開始。
2019年11月16日
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鳥羽伏見の戦い勃発の地碑
ここは鳥羽の戦い勃発の地。
滝川氏が率いるフランス仕込みの幕府軍歩兵は最新式の銃に弾も込めずに竹田街道を北に歩きここに小枝橋を渡るために来ている。
滝川氏は幕府軍を攻撃する藩などあり得ないとの思い込みだけで御所に向かっていた。しかも、薩摩軍が御所から許しを求めるまでこの地に待てとの言葉を信じて滝川軍はこの地で待っていた。その間に薩長軍は鳥羽に更なる陣の展開を進めた。城南宮に大砲を置いている。
この逸話が幕府軍官僚意識を象徴していると思えて面白い。
2021年1月30日
鳥羽伏見の戦い勃発の地
鳥羽伏見の戦い勃発の地碑
ここは鳥羽の戦い勃発の地。
滝川氏が率いるフランス仕込みの幕府軍歩兵は最新式の銃に弾も込めずに竹田街道を北に歩きここに小枝橋を渡るために来ている。
滝川氏は幕府軍を攻撃する藩などあり得ないとの思い込みだけで御所に向かっていた。しかも、薩摩軍が御所から許しを求めるまでこの地に待てとの言葉を信じて滝川軍はこの地で待っていた。その間に薩長軍は鳥羽に更なる陣の展開を進めた。城南宮に大砲を置いている。
この逸話が幕府軍官僚意識を象徴していると思えて面白い。
2020年9月17日
1868年、鳥羽・伏見の戦いが勃発、後の戊辰戦争の初戦とも。
鳥羽街道を封鎖した薩摩藩兵と街道の通行を求める旧幕府軍先鋒が接触。
薩摩藩兵は京都から許可が下りるまで待つように返答するも小枝橋付近で対峙。
大目付の滝川具挙の家臣も断念、業を煮やした旧幕府軍は隊列を組んで前進を開始、強引に押し通る旨を通告。
薩摩藩側も通行を許可しない旨を回答したが、銃兵、大砲が一斉に発砲、旧幕府軍先鋒は混乱。
歩兵隊は不意の攻撃に狼狽、旧幕府軍の先鋒は潰走、見廻組など一部が踏みとどまって抗戦、後方を進行した桑名藩砲兵隊等が到着し反撃を開始。
2019年11月16日