
歴女の京めぐり♡テーマは”家康&大阪の陣”
京都歴女の京めぐり♡テーマは”家康&大阪の陣”
京都にある徳川家康ゆかりの地と、徳川家、豊臣家の戦いとなった”大阪の陣”をテーマとした、歴史と文化財を巡る旅です。 家康が御所の警護と上洛時の宿所として造営した、絢爛豪華な二条城からスタート。 家康ゆかりのスポットのほか、大阪の陣に関わった阿茶局、長宗我部盛親、織田有楽斎ゆかりのお寺なども巡ります。 二条城、南禅寺、金地院などは、徳川幕府の栄華を語る桃山時代~江戸初期の豪壮華麗な障壁画、立派な庭園があり、とても見応えありました。 京都を代表する有名観光スポットから、歴史マニアだけが知っている地味~なお寺まで盛りだくさんです。 このコースはすべて、京都観光一日乗車券を使い、全部京都駅から地下鉄、市バスで回りました。おまけとして京都ならではのスイーツのお店も紹介します。
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最初にご案内する”家康スポット”は、二条城です。 家康が造営した二条城は、15代将軍、徳川慶喜の大政奉還の舞台として知られています。 また大阪の陣にも大きく関わっていました。 家康が立派に成長した豊臣秀頼と顔をあわせ、危機感を感じたという「家康&秀頼の会見」は、二条城が舞台でした。 そして大阪の陣では徳川方の軍議の場となり、ここから出陣しています。 その後二条城は、三代将軍家光公が後水尾天皇の行幸にあわせて、さらに豪華に改修して完成。今では京都の代表的な観光スポットとなり、世界遺産に登録され、外人観光客にも人気です。
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二の丸御殿障壁画
狩野探幽が中心となり、狩野派一門で、徳川家のために描いた絢爛豪華な障壁画が見どころです。徳川家は朝廷を守護するためというより、朝廷に徳川家の力をアピールするため豪華な御殿を作ったのかも…。
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御殿の中は意外と暗い…!
家康が秀頼と会った部屋は…?大阪の陣の軍議をした部屋は…?捜しましたが、よくわかりませんでした。二条城は家光の時代に改修されていたから…?御殿の中は思ったより暗く、照明は最小限になっていたのが意外でした。
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唐門
伏見城から移築したと伝えられる門です。修理が完成し、金色の飾りも輝き、豪華な彫刻も色鮮やか。伏見城の遺構なのに、なぜか日光の東照宮と共通する”徳川オーラ”を感じてしまいました。
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二の丸庭園
後水尾天皇の行幸にあわせて小堀遠州が改修した庭だと伝えられています。お庭は徳川家の権勢を示す豪壮なもの…。後水尾天皇を歓迎して作ったものですが、徳川幕府が「どうだ~!」と、天皇を威圧するかのように感じられました。
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一口城主募金
家康くんと一緒に、二条城の城主になろう…!「二条城は、新たな城主をお迎えします。」との看板が…。”一口城主募金”は、二条城の本格修理を支援するものです。募金すると特典もあります。
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和楽庵 茶房前田
二条城のお休みどころです。きれいなお庭を眺められる場所でほっと一息。お抹茶やかき氷、あんみつの他、コーヒーもあります。お抹茶は麩饅頭が付いて700円です。
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築城400年記念収蔵館
二条城の障壁画は、描かれてから400年近く経って剥落退色が目立つようになりました。そこで、文化財の模写、修理、保存に取り組んでいます。ここでは、模写が終わった原画が展示されています。隠れた名品に出会えるかも。
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桜の季節のライトアップも…!
二条城は桜の季節にライトアップしています。いつもとは違った幻想的な姿を見せてくれます。ただ、この時期、京都の夜は思ったより寒いです。夜桜見物は、厚着してお出かけください。
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二条城の休憩所の中にある日本茶カフェです。 ここは金箔を貼り付けたソフトクリーム”黄金ソフト”で知られていますが、「デザートソフトクリーム”京もてなし”」にも注目を…。 ”京もてなし”は、自分でトッピングを選ぶソフトパフェ。 まず4種類のソフトクリームから1種類を選びます。 それに10種類以上のトッピングの中からお好みのものを選び、お店のスタッフさんに盛り付けてもらいます。 栗、茶団子、わらび餅、黒豆、京ゆば、生八つ橋などの他、金箔も…!自分だけのパフェが完成です。 値段はソフトクリーム代450円+トッピングのお値段の合計となります。
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金箔ソフトクリーム”黄金ソフト”
金箔を一枚まるごと貼り付けたソフトクリームです。トッピングはその季節をあらわすものになっています。1200円です。
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私だけのソフトパフェです
私が選んだのは、ソフトクリームは”濃抹茶”,トッピングは茶団子、わらび餅、生麩、白玉、ゆであずき、金箔の6種類。甘さをおさえた大人のパフェが出来上がりました。合計900円でした。
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お店は朝8時45分から営業
二条城の拝観受付開始は朝8時45分から。お店のオープンもこの時間です。二条城内の拝観は9時からなので、城内拝観の前にここでティータイム休憩もできます。二条城の拝観終了時間にクローズします。
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南禅寺も、”家康スポット”です。 五山の上位として格式を持つお寺でしたが、応仁の乱で火災に逢い、荒廃しました。 その復興に尽力したのが家康のブレーン、金地院崇伝です。 徳川家をバックに南禅寺は見事に復興しました。 大方丈の建物は、豊臣秀吉が寄進した御所の建物を移築したもの。 小方丈は伏見城の小書院を移築したものです。 方丈庭園、狩野派の豪華な襖絵など見どころがあります。
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大方丈の障壁画
大方丈の障壁画の原画は剥落退色が目立ち、収蔵庫に収納。現在、復元模写されたものと交換されています。麝香の間には、麝香猫カップルが描かれた絵も…。男のコの麝香猫の顔がおじさんみたいで笑えました。
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小方丈、水飲み虎の障壁画
小方丈は伏見城の遺構を徳川家が寄進したとか…。小方丈の障壁画も狩野派の傑作です。有名な「水飲み虎」は狩野探幽の筆によるもの。数ある虎の絵の中、最もいい出来栄えだそうです。
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方丈庭園
方丈の前には江戸初期の枯山水庭園が広がっています。「虎の子渡しの庭」の別名を持ち、慶長年間に小堀遠州が作庭したものだそうです。
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お抹茶席
南禅寺の建物の入口右側にお抹茶席があります。庭園の滝を眺めながらお抹茶をいただきました。お菓子は南禅寺の印の入った干菓子です。緑あふれるお庭と滝を眺めるだけで心癒されました。
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なんと…!京都にも東照宮があるのです。 南禅寺、金地院の境内にひっそりと…。 この”家康スポット”は、家康のブレーン、金地院崇伝ゆかりのお寺です。 金地院崇伝は、徳川幕府の基礎固めに尽くしたお坊さんです。 方広寺の”国家安康の鐘”にクレームを付けるなど、豊臣家の滅亡への道に暗躍。 徳川家の支配を強力にするため、武家や朝廷、公家の力を抑え、切支丹禁教令の文書作成に関わりました。 本堂は、徳川家光から伏見城の遺構を賜ったもので、優れた障壁画があります。小堀遠州の作庭した庭園、茶室などの見どころも…。
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東照宮
徳川三代に仕えた金地院崇伝は、家康を祀る日光東照宮を自分のお寺にも造りたいと思い、境内に東照宮を建立しました。この東照宮には、家康の遺髪と念持仏が納められているそうです。
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鶴亀の庭
小堀遠州の作庭した江戸初期の枯山水庭園です。白砂の向こうに亀島、鶴島が配置され、徳川家の繁栄を願う意味を持つそうです。金地院崇伝は、この完成した庭を見ることなく江戸で亡くなったとか…。
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八窓席茶室
特別拝観(通常の拝観料込みで1100円)を申し込むと、説明付で重要文化財のお茶室や長谷川等伯の襖絵など拝観することができます。八窓席は、外からの自然光が射し込む明るい雰囲気のお茶室でした。
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南禅寺山門の南側、金地院の近くにある塔頭寺院です。 信長、秀吉、家康に重用された細川幽斎が再建しています。 庭園が美しく、紅葉の季節は特にオススメです。 以前11月下旬に訪れた時のもみじの美しさは心に残るものがありました。 長谷川等伯の襖絵もありますが、襖絵は普段非公開です。
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障壁画の特別公開も…!
普段は非公開の障壁画も、”京の冬の旅”キャンペーン期間や、毎年秋の観光シーズンに行われる、未公開文化財の特別公開など、時々期間限定で公開されています。
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知恩院も”家康スポット”です。 浄土宗の大寺院で、家康をはじめ、徳川家の菩提寺として知られています。 境内は、徳川家のパワーを感じさせる大伽藍が…。 現在、国宝の本堂は大規模な修理中で立ち入ることはできません。 事前に申し込むと修理を見学することもできるそうです。 家康を祀る「権現堂」のお参りはいつでもOKです。 庭園の奥にあるので、庭園拝観を申し込みましょう。
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法然上人御堂
本堂が大修理中なので、ここに法然上人をお祀りしています。修理中はここが本堂の役割を果たしています。家康くんに会う前に、法然上人にご挨拶。”知恩院の七不思議”のパネル展示もここです。
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知恩院の七不思議
有名な”知恩院の七不思議”。「抜け雀」「三方正面真向きの猫」など知恩院には不思議スポットが7か所あります。現在見ることができるのはわずか。拝観できない部分はパネル展示で…。
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権現堂
知恩院の庭園の奥にありました。正しくは「権現様影堂」と呼ばれ、徳川家康、秀忠、家光三代の霊を祀るお堂です。徳川家の将軍は三代に渡って知恩院の伽藍を創建しています。三人の将軍の位牌と肖像画をここに祀っています。
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庭園
大方丈、小方丈の建物は江戸時代の建築で、狩野派の豪華な障壁画で飾られています。残念ながら非公開。でも、庭園だけならいつでも拝観できます。江戸初期に作られた池泉回遊式の庭園。ちょっとした穴場スポットです。
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お城みたいな石垣も…!
本堂までの道は石垣があり、いかめしい城郭のような雰囲気があります。これは徳川幕府が「いざ、戦い!」となった時、砦の役割をするように知恩院の伽藍を築いたため…と伝えられています。
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正伝永源院は、臨済宗大本山建仁寺の塔頭の一つです。 鎌倉時代に創建されましたが、その後荒廃…。 それを再興したのが、信長の弟である織田有楽斎です。 有楽斎は大阪の陣の時、大阪城で豊臣徳川間の和平に尽くします。 なぜか大阪夏の陣の前に大阪城を退き、京都に隠棲しました。 その後、このお寺の建物、お庭、茶室「如庵」を完成させ、晩年は趣味の世界に浸り、優雅な生活を送ったそうです。 正伝永源院は、普段非公開ですが、春と秋、期間限定で公開されます。
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有楽斎の墓もあります
有楽斎は関ヶ原の戦いの後、家康に録を与えられ、秀頼の補佐役として大阪城にいました。大阪の陣の時、両家の和平に努力したようですが、実は徳川方のスパイで、豊臣方の情報がダダ漏れだったのはこの人が原因という説も…!
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茶室「如庵」の写しも…!
美しい庭園があります。奥に見えるのは、茶室「如庵」の写しです。有楽斎ゆかりの国宝「如庵」は現在、愛知県犬山市に移されています。これを摸したもので、「暦張り」「有楽窓」などの特徴を真近で見ることができます。
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有楽斎の肖像画
有楽斎は茶々(淀殿)の叔父、信長の実の弟です。信長との年はかなり離れていたようです。これはお寺に伝わる、狩野山楽の筆による有楽斎の肖像画です。本堂には有楽斎の像も祀られていました。
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「世継地蔵」で知られる上徳寺は、徳川家康が側室である阿茶局のために建立したお寺です。 ご本尊の阿弥陀如来さまはもとは滋賀県にあり、霊験あらたかな仏さまとして知られていました。 慶長8年、家康がその噂を聞いてこのお寺に招いたそうです。 拝観はできませんが、お参りならいつでもOKです。
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阿茶局のお墓もあります
阿茶局は家康の側室でしたが、家康のブレーンの一人として、家康を支え、大阪の陣では和平交渉の場で活躍しました。「大阪城の外堀、埋めちゃいましょ~よ。」と徳川方に有利な条件で話しを進めた人です。
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大阪の陣で活躍した長宗我部盛親ゆかりのお寺です。 大阪の陣の時、豊臣方には多数の牢人達が集まりましたが、長宗我部盛親もその一人。 もとは四国の大名だったのですが、関ヶ原の戦いで西軍についたため領地を追われ、京都で寺子屋を営んでいました。 この頃、蓮光寺の住職と親交があったそうです。 大阪の陣では豊臣方で活躍しましたが、戦いに敗れ死罪になり、ここの墓地に葬られました。
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長宗我部盛親の肖像画
蓮光寺には盛親の肖像画(鈴木松年筆)や武具などの遺品が残されています。非公開のお寺ですが、ゆかりの品々は博物館の特別展で展示されることがあります。最近では”真田丸特別展”で東京、上田、大阪で公開されました。
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豊臣家滅亡のきっかけとなった、「国家安康」の鐘があることで有名なお寺です。 方広寺は豊臣秀吉が東大寺大仏殿にならって創建しました。 お寺の建物は、慶長の大地震で倒壊。秀吉の死後、家康のすすめで茶々(淀殿)と秀頼が再建しました。 その時、この鐘の銘文に家康が怒り、「自分の名前を真っ二つにする不吉な銘文だ…!」と、クレームを付けました。 これが徳川VS豊臣、大阪の陣が始まるきっかけになったと伝えられています。 鐘に彫られた「国家安康、君臣豊楽」の文字はとても小さくめだたない…。わざわざ白く塗っています。塗っていないと気が付かないほどでした。
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京都を代表する観光スポットであり、真宗大谷派の本山、”親鸞聖人のお寺”として信仰を集める寺でもあります。 この東本願寺も”家康スポット”です。 慶長年間に家康が、西本願寺の東に寺域を与え、創建を援助したと伝えられています。 度々火災があって、現在の建物は明治になっての再建。家康ゆかりのものは見つけることができませんでした。
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