
読める?「住道」と書いて「すみのどう」。大阪・大東の街をぶらり歩き
大阪読める?「住道」と書いて「すみのどう」。大阪・大東の街をぶらり歩き
まいどまいど! 大阪には、難読地名がぎょうさん点在しまんねん。 十三(じゅうそう)駅に代表されるように、簡単そうで読まれへん、そんな地名がぎょうさんおます。 たとえば、大阪府大東市の住道っちゅうとこでんねんけど、「住道」と書いて、「すみのどう」やのに、大阪市東住吉区住道矢田は、「すんじやた」。 これって、どやね~んっちゅうツッコミはあとにしつつ、歴史に浪漫あふれる大阪府大東市を旅しまひょ! 古くは、古城が築城、現在は神社となったスポットや昔ながらの雰囲気が残る庶民的な商店街もご紹介! さらには、大阪府大東市で楽しめるオススメのお店もご紹介していきまっせ! ほんでまた、大東市には大阪平野を一望することのできる飯盛山っちゅう場所がおまして、眺めも最高でんねん。 近所まで車で走行できるので、ドライブ途中に立ち寄るのもおすすめ。 ほんでなんや飯盛山には城跡がおまして、ご近所にもえらいおもろい寺院仏閣があるっちゅうことで、寄り道していくことにしまひょ。 訪れて、見て、びっくり。 そんな体感できる場所が大阪におます。 ほな、まいどおおきに!
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大東市では古くからキリシタンの町として知られている。 また、石文化では、スペインとのつながりは深い。 ライオン像は、スペイン南部に位置するアンダルシア州グラナダ県グラナダ市「アルハシブラ宮殿」の中庭にある12頭のライオンの彫刻がモチーフ。 彫刻には、黒御影石を使用していると言う
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住道本通商店街
毎月、寄席、展覧会などのイベントが開催されている。 都市開発、河川改修等で多くの店舗が移転となり、かなり減少したという。 2010年、マスコットキャラクター「すみちゃん」が誕生した。
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すみちゃん
「竹橋地蔵尊」のお地蔵様がモチーフ。 竹橋地蔵尊とは、住道本通商店街の入り口付近に鎮座している。 昔、嵐の日に川の上流からこの場所に流れ着いた。 現在では、水難除けとして信仰を集めている。
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古堤街道
古堤街道とは、大阪と奈良・大和国北部を結ぶ街道として知られる。 別名、「中垣内越」「竜間越」とも呼ばれる。 かつて、河内国に「深野池」「新開池」と呼ばれる池が2つあり、京橋を始点に、新開池の北側を通り、角堂浜から船で深野池の東岸へ渡った。 1700年、大和川の付け替え工事が完了し、池は消滅。 京橋から住道までは寝屋川右岸に沿い、橋を渡って、中垣内から竜間方面へ山を越えた。
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緑色の頭部には、大東の「大」。 11月3日生まれ。 11月3日の誕生花である黄色い菊の花の花言葉は「高潔」。 赤色の胴体が特徴的で、触れると幸せがやってくるとか。 好きな歌は、大東市歌。 性別は、不明。 血液型は、D型。 性格は、いつも明るく元気。 人と触れ合うことが好きで、主に大東市のイベントに登場する。
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市内を散策してみると、高校野球で有名な大阪桐蔭、そして、付近には、大阪産業大学があるなど、勉強に運動に盛んな町である。 大阪外環状線が南北に貫き、東には山が連なる。 また、市内には城址や神社、寺院などが数多く点在し、観光としても楽しめる。 そんな町で散策していると、一件のうどん屋さんを見つけた。 学生やファミリー客でにぎわいを見せる店内では、うどんなど数多くのメニューが。 うどんもええけど、カツもよろしおますな。 っちゅうことで、「やわらかロースかつ重」のセットをいただきました。
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祭神は、菅原道真。 創建時期など詳細は不明となっている。 1600年代、「氏神天満宮」と称し、住道地区の氏神として知られている。 境内には、五穀豊穣の神様として知られる稲荷社も鎮座している。 江戸時代まで曹洞宗宇治興聖寺末「水月院」が隣接していた。 付近は、飯盛城の支城として知られる「三箇城」の推定地で、石碑が建立されている。
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三箇城跡
中世、付近は、大和川の氾濫原となっていた。 「三箇」は、深野池に点在した複数の島が水量の加減によって三つに見えたことから、その名がついた。 その島の一つに三箇城を築城し、伯耆守頼照氏が城主となった。 1500年代、飯盛城を拠点に、戦国武将として活躍した三好長慶氏に仕えた一人として知られる。 伯耆守頼照は洗礼名「サンチョ」と名乗るキリシタン信徒であった。
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大東市では古くから慈眼寺、別名、野崎観音の参詣道として栄えた。 野崎まいりは、大坂からの舟路と平行して堤防を行く陸路があった。 舟は大坂・八軒家浜から大川、寝屋川を経由し、徳庵・諸福を通って、角堂浜で一休み、その後、北に進み、西村橋付近に到着する。 ここには、野崎道の道標がある。 他説によると、乗りかえて観音井路を進み、観音浜で舟を降りて、専應寺さんにお参りし、野崎観音にお参りしたともいわれている。
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四条小学校が閉校。 廃校後、総合施設が開館。 大東市立歴史とスポーツふれあいセンターは、歴史民俗資料館、四条体育館、四条グラウンド、ふれあいルームなどで構成。
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歴史民俗博物館
歴史民俗博物館では大東市内の歴史や文化遺産などの展示、公開。 また、堂山古墳から出土した甲冑のレプリカの試着体験ができる他、土器づくりの体感ができる。
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別名、野崎観音と呼ばれ、親しまれている。 本尊は十一面観世音菩薩、宗派は曹洞宗である。 江戸時代より、野崎参りで知られ、参拝客でにぎわっている。 神仏習合や修験道の歴史を今に伝え、境内には、南條神社や役小角像も鎮座している。 本堂は、四天王によって守護され、十一面観音菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩が祀られている。 壁画「花蝶菩薩」には、黄道十二星座が表現されている。 また、遊女、江口の君を祀り、江口堂や、三十三所観音堂、羅漢堂などがある。 平安時代、現在の場所に寺院を移転したとされる。
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創建時期など詳細は不明となっている。 祭神は、大国主命。 一説によると、古くは出雲大社と同体で大祭をしていたと言う。 讃良郡から若江郡に至るまで多くの氏子を抱えていた。 明治時代、寺川・大谷神社、龍間・龍間神社、深野・坐間神社の三社を合祀した。 現在は中垣内の産土神である。 境内には合計11基の燈籠がある。 境内入り口燈篭は道標を兼ねており、付近の東高野街道筋から移築した。 かつて、大阪には河内湾が存在し、付近には集落が形成され、遺跡が発掘されている。
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標高は約314.3m。 飯盛山は交野山、生駒山、高安山、信貴山などと並ぶ生駒山地の一部に属し、かつては河内国と山城国・大和国との国境であった。 一部が金剛生駒紀泉国定公園に指定。 山頂や山頂付近には在阪FMラジオ放送局の送信所があり、大阪府の広範囲を管轄。
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眺望
大阪平野を一望。
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山頂付近には1939年に設置されたという大阪防空監視所の一部が現存。
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別名、飯盛城。 飯盛山山頂付近にある史跡。 天文年間、畠山義堯が河内を支配、家臣の木沢長政に命じて飯盛山に城郭を構えた。 1531年、義堯は三好元長の一族三好勝宗(三好一秀)に頼んで飯盛山城を攻撃。 1532年、飯盛城の戦いが勃発、籠城方・木沢長政が勝利。 太平寺の戦いで木沢長政が討ち死に、畠山高政の家臣・安見宗房で交野城城主・安見宗房が城主となる。 自ら河内の守護代を名乗り主君の高政を紀伊に追放。 長慶は高政のために兵をあげ、宗房は大和に敗走。 高政は河内への進出阻止の為、敵対した宗房を守護代に任命、飯盛山城に配置。 長慶は高政の高屋城を攻囲、安見軍を撃退、高政・宗房は敗走。
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飯盛山城への総攻撃
1560年、飯盛山城に入城。 畠山高政は根来衆を引き連れ反撃、飯盛山城支城・三箇城を攻め落とし、久米田の戦いで長慶の弟実休を討ち取り、飯盛山城への総攻撃を開始。 長慶の弟安宅冬康や松永久秀が攻撃、長慶も狭撃して畠山軍を撃退(教興寺の戦い)。 1563年、長慶も飯盛山城、芥川山城、高屋城を拠点に畿内で勢力拡大を計画も、三好義興が急死、安宅冬康も自殺、長慶自身も病死。
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続日本100名城
三好義継や三好三人衆が飯盛山城を治めたが、織田信長による摂河平定が行われると三人衆も軍門に下り、飯盛山城は畠山秋高の所有となった。 遊佐信教の反乱で秋高が殺害、信長の攻撃を受けて信教は没落(高屋城の戦い)。 1576、落城。 全盛期には三好政権による「首都」として造営、公家や海外から宣教師らが訪れた。 2017年、続日本100名城に選定。
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楠木正行
1348年、南朝方の楠木正行と北朝方の高師直による四條畷の戦いが勃発。 山頂には楠木正行の銅像が建立。 楠木正行の像は1937年に建立、1943年に解体、1972年に再建。
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田伐兼松氏
銅像の傍には再建に尽力した田伐兼松氏の像が建立。
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交野山、生駒山、高安山、信貴山などと並ぶ生駒山地の一部である飯盛山の山頂付近にある寺院。 1950年、妙春日祥法尼によって開山。 高僧によって開祖。 妙春日祥法尼は能勢の山中で日蓮宗の布教に精進していた頃、南北朝時代に活躍した楠木正成公の長男で武将の楠木正行公の御霊が現れ、「法華経で我が魂を鎮めよ」と告げられた。 正成公は1336年、京都に向かう途中、北朝の足利尊氏を湊川で迎え撃って討死。 1348年、正行公は足利軍と戦い、高師直の軍と戦ったが四條畷で討死。 妙春日祥法尼は付近にある飯盛山に当寺を開山。 「楠公寺」という寺号は池田勇人氏によって命名。 本尊は鬼子母神、黒龍大明神。
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別名、生駒の荒神さん。 妙久法尼によって開基。 妙久法尼は四国巡錫中、虚空蔵菩薩様が現れ、「生駒の山に龍の住む山あり。供養すべし」と霊示を受け、生駒の山に登り、当地にたどり着いたとか。 そこでは、護摩供養を続けていると不思議と水が湧いた。 八面六臂の三寳荒神様が現れ、「龍の眼を持って世の中を見渡し、衆生の苦悩を救わん」と説いたという。 以後、寺号を龍眼寺とし、本尊を虚空蔵菩薩様に、鎮守を三寳荒神様とした。
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楽しみ方もいろいろ
境内では随所に「一寸法師」や「三国志」「桃太郎」「一休さん」など子供から大人まで楽しめるオブジェがいっぱい。 多くのお地蔵さんが寝ていたり、座っていたり昔から慣れ親しんできたおとぎ話や昔話と出会うことができる不思議な場所。
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楽しみ方もいろいろ
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楽しみ方もいろいろ
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楽しみ方もいろいろ
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楽しみ方もいろいろ
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楽しみ方もいろいろ
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楽しみ方もいろいろ
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楽しみ方もいろいろ
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楽しみ方もいろいろ
境内では随所に「一寸法師」や「三国志」「桃太郎」「一休さん」など子供から大人まで楽しめるオブジェがいっぱい。 多くのお地蔵さんが寝ていたり、座っていたり昔から慣れ親しんできたおとぎ話や昔話と出会うことができる不思議な場所。
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