広島を歩く
広島広島を歩く
世界的にも有名な都市の一つに数えられる広島県広島市。 市内中心部には、原爆ドームや原子爆弾に関する平和記念資料館があり、実際に訪れてみることによって改めて「戦争と平和」を考えた。 最近では、2016年5月27日に当時のアメリカ合衆国の大統領であったバラク・オバマ氏が広島平和記念公園内にある原爆ドームや広島平和記念資料館を見学し、話題になった。 その他、プロ野球で活躍する広島東洋カープの本拠地があり、熱狂的な野球ファンが多い町として知られている。 巷では赤色の帽子にカープのユニフォームを身に纏った女性が増え、「カープ女子」という言葉も生まれた。 広島市民球場内にあったグッズ売り場に立ち寄ってみると、カープのグッズをはじめ、多くの商品が店頭に並び、同時に多くの人が赤色の帽子やカープのユニフォームを身に纏っていた。 この他、広島市内を走る路面電車は日本最大規模としても知られ、最近ではバリアフリーにも対応した最新型が導入され、話題になっている。 広島城など一度は訪れてみるべきスポットがたくさん。 今回のお出かけプランではそんな広島をご案内します。
広島県内のターミナル駅として知られる広島駅構内にあるおみやげ街道。 ここでは広島を代表するお土産「もみじ饅頭」や宮島の杓子の他、プロ野球「広島東洋カープ」のグッズなど、広島県内のお土産が揃う。
広島県広島市にある球場。 プロ野球・セントラル・リーグ、広島東洋カープの本拠地球場(専用球場)。 老朽化した初代広島市民球場が移転。
赤いメロンパンサンド
広島県を代表するスタジアムから近いスーパーマーケットで販売されていた赤いメロンパンサンド。 いちごホイップ味。 パッケージには広島東洋カープの増すことキャラクターが描かれている。
1939年に日本とドイツ、イタリアの日独伊三国同盟による枢軸国陣営とアメリカ、イギリス、ソビエト連邦、中華民国などの連合国陣営との間で勃発した第二次世界大戦。 1945年8月6日、アメリカ軍による原子爆弾が広島市に投下された。 現在、世界に向けて人類の平和を願い訴えることと、過去の過ちを繰り返さないことを目的に整備。 設計には、丹下健三氏、アメリカ人彫刻家イサム・ノグチ氏らが携わった。 毎年8月6日、平和記念式典が開催され、原爆が投下された午前8時15分には黙祷が捧げられる。 式典では、市内中学校、高校の吹奏楽部による「ひろしま平和の歌」の伴奏、広島市の合唱団等による合唱が行われる。
広島平和記念碑。 1945年8月6日、アメリカ軍によって投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建造物)。 設計はチェコ人の建築家ヤン・レッツェル氏。 1915年、広島県の様々な物産を展示するための広島県物産陳列館(広島県産業奨励館)として開館。 現在、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産と呼ばれている。
実はバウムクーヘンの日本初
1919年に開催された「似島独逸俘虜技術工芸品展覧会」では、日本で初めてバウムクーヘンの製造販売が行われた。 これは、第一次世界大戦中に中国の青島で日本軍の捕虜となり、広島湾に浮かぶ似島の似島検疫所内「俘虜収容所」に収容されていたドイツ人の菓子職人カール・ユーハイム(後に株式会社ユーハイムを創業)によるもの。 また、同年に第4回全国菓子飴大品評会も開催されたとか。
広島国際会議場は、1955年に広島市公会堂として建設され、第1回原水爆禁止世界大会を開催。 施設内には、フェニックスホール、国際会議ホール、大小会議室などがある。 広島平和記念資料館(広島平和会館原爆記念陳列館は、原子爆弾が投下される以前の広島市の歴史や投下された以後の歴史的背景に関する展示、保存が行われている。 原子爆弾投下直後の壊滅した市街地の縮小模型、被爆者の等身大ジオラマ、動員学徒の制服の残骸を組み合わせた「三位一体の遺品」や「黒焦げの弁当箱」など被爆死した動員学徒たちの遺品が保存、展示されている。 また、本通の住友銀行広島支店から1971年に移設された「人影の石」などが有名。
像のモデルとなったのは、原子爆弾によって被害を受けた佐々木禎子氏。 像は、同級生らによる募金運動により作られた像であるという。 像の周辺には市内や全国から集まった平和の願いが込められた千羽鶴がある。
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1978年、「広島東京海上ビル」として開業し、「広島マツダ大手町ビル」に改称。 2016年、1階のカフェと物産館、展望スペースが整備。 設計は三分一博志氏が担当し、コンセプトは「世界文化遺産と共存し得る建物」。 展望スペースには、「おりづる広場」、「ひろしまの丘」が整備された。
江戸時代、福島正則が太田川河口のデルタ地帯に築城。 名古屋城、岡山城と共に日本三大平城の一つで、日本100名城の一つに選定。 広島城があるその周辺はかつて「己斐浦」と呼ばれていたことから、別名、鯉城、在間城、当麻城。 広島藩の太守浅野家12代の居城で大天守は、毛利輝元によって創建された。 日清戦争時、大本営が置かれ、軍都広島の中心施設であったとか。 アメリカ軍による広島市への原子爆弾投下の際には破壊目標地点となり、天守、櫓、城門などが倒壊した。 現在は復元され、大天守は歴史博物館「広島城」となった。 1958年、「広島城郷土館」が設置され、広島復興大博覧会開催を開催。
灘尾 弘吉氏
昭和時代に活躍した日本の内務・厚生官僚、衆議院議長、文部大臣、厚生大臣を歴任した。 1899年、広島県江田島市に生まれ。 農業の傍ら、木綿の製造・醤油醸造を営でいた家庭で育った。 父・灘尾夫子俟は、早稲田大学の講義録で独学した。 遠縁には5代目三遊亭圓楽。 皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)がヨーロッパ訪問の際、一高校旗の旗手を務め、見送りの学生の先頭に立った。
1910年、広島電気軌道として創業して以後、路面電車での一日当たりの平均利用者数、車両数は日本一である。 軌道線では、本線、宇品線、江波線、横川線、皆実線、白島線。 鉄道線では、宮島線。 日本最大規模を誇る広島電鉄の路面電車では全国各地の車両が活躍している。 また、歴史を感じさせる古い車両が今も現役で活躍している。 なかでも、原子爆弾が投下された1945年8月6日の3日後には営業運転を再開し、今も当時の車両が現役で活躍しているとか。
超低床電車LRT
多くの都市部では路面電車が廃止される中、京都市内や大阪市内、神戸市内で走っていた路面電車が広島電鉄に移籍し、活躍している。 最近では、路面電車が進化したバリアフリー対応の超低床電車(LRT:Light Rail Transit)がヨーロッパの主要車両メーカーで製造、広島電鉄に導入された。 その他、車内で飲食ができる観光電車「TRAIN ROUGE(トラン・ルージュ)」の営業運転も開始した。