
2015年大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台を先取り!萩を旅しよう!
山口2015年大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台を先取り!萩を旅しよう!
「古地図で歩ける町」といわれるほど江戸時代の区画に沿った町並みが残る城下町「萩」。 2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となる萩の町を先取りしよう! 萩城城下町から松陰神社まで、レンタサイクルで半日でまわることができました。萩城博物館や三の丸の武家屋敷なども一緒にまわっても1日でまわることができます。
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2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台である萩。 ここから高杉晋作、久坂玄瑞、山縣有朋、伊藤博文などそうそうたるメンバーが巣立って行きました。 ドラマを楽しむために、舞台となる萩の町をご紹介します! 写真は松陰神社内にある松下村塾の建物。 神社内の敷地に建物が保存されています。
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松下村塾の建物
「松下村塾」は、「農民だろうと武士だろうと、学びたい人は誰でも無料で学べる場」。
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松下村塾の建物
自宅の物置小屋を改造して開かれたそうです。 塾生が増えると手狭になり、塾生と一緒になって改築したものの、その広さは18.5畳。 ここから幕末や明治時代に活躍した人達が学んだと思うと、思わず背筋が伸びます。
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松陰神社
奥にある松陰神社。ここのおみくじは、「松陰先生の教訓入り」。 旅の記念にいかがですか?
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松陰だんご
松陰神社の境内で一服。 「松陰だんご」は、ゆずの香りが香る「ゆずみそ」のお団子です。 おやつにいかが?
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吉田松陰 幽囚の旧宅
境内の敷地内には、吉田松陰が下田で黒船に密航しようとして捕らえられた後、蟄居していた「吉田松陰 幽囚の旧宅」も残されています。
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今回の旅はレンタサイクルで。 萩はこじんまりとした町の中に見どころがたくさん! 東萩駅前でレンタサイクルを借りたら幕末の志士達が生まれ育った地「萩城 城下町」へ。 萩城 城下町は「日本の道 100選」にも選ばれていて、ゆっくりそぞろ歩くにはぴったりの場所。 江戸時代の区画割りが残っていて城下町であった当時の姿を感じることができます。
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萩城 城下町の案内版
萩の城下町は「日本の道 100選」にも選ばれていて、ゆっくりそぞろ歩くにはぴったりの場所。 江戸時代の区画割りが残っていて城下町であった当時の姿を感じることができます。 高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)など幕末に活躍した維新の志士の旧宅以外では、重要文化財となっている「菊谷家住宅」「旧久保田家住宅」など商人の屋敷を見学することができます。
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城下町の街並み
レンタサイクルで周る際には、駐輪場があちこちに設けられていて便利。 とはいえ、その駐輪場も屋敷跡の区画を利用しているので、自転車をたまたま停めたら有名人の屋敷跡だった!ということも。
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木戸孝允の旧宅跡は、木戸孝允が誕生した部屋や庭園など当時の姿を残しています。 当時の上流・中流階級の屋敷の造りについて知ることができます。
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木戸孝允旧宅
木戸孝允(桂小五郎)は桂家に養子に出されて桂小五郎となりました。 ここは桂家ではなく、実家の和田家の建物です。 大正時代に子孫により萩町に寄贈されたということで、つい最近まで暮らしていたように錯覚するほど、建物が良い状態で残っています。
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木戸孝允旧宅 手習い
正面にある習字「今日」と書いてあります。 桂家の養子になる前の「和田小五郎」の時に書いたもの。 案内板によると、7、8歳頃のものだそうです。 朱書きで「以っての外よろし」(もってのほかよろし)と書かれていて、最大の褒め言葉だったそうな!
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城下町の中には商人の屋敷もあり、内部を公開しています。 こちらは重要文化財の菊屋家住宅。とても大きなお屋敷です。 ナマコ壁の続く屋敷は、周りの屋敷とは違い、当時の菊屋がいかに儲かっていたのか。と考えがちですが、実は藩の御用の時に借りあげられたり、研究施設として使われたりと「御用屋敷」を兼ねていたそうです。 「来週から使わせてほしい。」とか、急な依頼をされたりしたのでしょうか・・・。
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御成門
菊屋家の中には使う人によって異なる門がいくつかあります。 料金を払うところが長屋門。 写真は御成門。御上使(幕府から使わされた使者のこと)が使った門。他にも藩主以下、藩のお役人が使用する門である「中門」があります。
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お庭の見える「書院」
庭に面した「書院」。 幕府からの使いの応接用などで使用されました。 現在の建物は復元されたものだそうです。
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通常非公開のお庭を散策
この時はラッキーなことに、通常は非公開である南側の庭園が公開されていました。通常、公開されている書院から見える庭よりも広い! 商人の屋敷でこれだけのお庭があるってすごい!さすが藩の御用で使われる屋敷です!
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高杉晋作、木戸孝允の旧宅近くにある円政寺。 ここは神仏分離令(明治新政府が神道と仏教、神社と寺院とを分離させた)にもかかわらず、寺と神社が同じ敷地内にある珍しいお寺。 高杉晋作や伊藤博文は子どもの頃に、この円政寺で学びました。 なお、円政寺の近くには楫取素彦(かとりもとひこ)が住んでいました。 大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公である杉文はのちにこの楫取素彦と結婚するのだけど、「楫取」と改名する前の小田村家は円政寺の本堂の左側にある池の先にあったそうです。
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天狗の面
金毘羅社の社殿に飾られている巨大な「天狗の面」。子どもたちにとっては恐ろしいものでした。しかし、高杉晋作は近づいて行くことができたという武勇伝が伝わっています。 高杉晋作、伊藤博文が遊んだ木馬(神馬)が残っていたりと、彼らの幼い頃の姿が目に浮かぶようです。
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「珈琲 蔵」の前にある大きな通りは、かつて萩城の三の丸と城下町を分ける「堀」がありました。 すぐ近くに当時の門「北の総門」が再建されています。この門は三の丸への入口の門。 堀と土橋、木造の門、船着場(ふなつきば)が再現されています。 門の両サイドには土塁が築かれ、守りのためのテクニックである「枡形(ますがた)も組まれているので城好きなら要チェック!
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武家屋敷
北の総門から武家屋敷を抜けて萩城の本丸を目指す。 城内に入っただけあって、道幅も広くなり、並ぶ建物も大きく敷地も広くなりました。 日本各地に「城下町」や「武家屋敷跡」は残っているけれど、ここまで広い範囲で当時の区画や建物が残っていることは珍しい。時間に余裕があるなら、立ち並ぶ立派な長屋門を眺めながら武家屋敷散策を楽しもう!
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萩城は指月山(しづきやま)のふもとにあり、山麓に平城、山頂には「詰丸(つめまる)」を配置した平山城でした。 「詰丸」とは、「攻められたときの最終拠点」のことです。 敗北した西軍であったことからか、あるいは江戸幕府に後ほど攻められる可能性を考慮していたのか、「守ること」を意識した作りになっている城です。
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天守台
残念ながら明治7年(1874)に建物は解体されてしまい、お城のシンボルである天守などの建物は残っていません。でも、この石垣の「反り」は見事。一見の価値アリです!
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天守台の入口
天守台には当時、五重の望楼型天守が建っていました。
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天守台
柱が建っていた礎石跡が残っているので、入口がどこにあり、天守台のどのくらいの位置まで建物が建っていたかがわかります。
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天守台から眺める
天守台に立ったら周りを見回してみましょう。 本丸の周囲は内堀で囲まれています。当時は石垣が並び、その上には城壁や櫓が立ち並んでいました。
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東側の守りの要 潮入門跡
守りが弱いとされていた建物が立ち並ぶ東側に築かれた土塀や城壁。復元ですが、こちらも見ごたえアリです。
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土塀跡(復元)
復元された土塀跡です。これだけの城壁が海沿いに築かれていました。
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