黒田官兵衛最後の城、福岡城をじっくり堪能する官兵衛三昧の福岡!
福岡黒田官兵衛最後の城、福岡城をじっくり堪能する官兵衛三昧の福岡!
2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が高視聴率で非常に好評だったことからわかるように黒田官兵衛は歴史上のヒーローであり大人気です。そんな黒田官兵衛が築城に関わった最後の城である福岡城を中心に福岡市内で黒田官兵衛三昧で回れるプランを作ってみました。 崇福寺→早めのランチ→福岡城→大濠公園→スタバで休憩→(光雲神社→)福岡市博物館って東から西への流れがスムーズですかね。
黒田如水、長政ともに従軍する秀吉の朝鮮攻めの際に、日本軍が攻めあぐんだ朝鮮の難攻不落の城・晋州城をモデルにして造られたそうです。福岡城の特徴は、三の丸→二の丸→本丸→天守と綺麗に一段ずつ高さが上がって行く構造にあります。門を1つくぐる毎にこれが進んでで行きますので非常にわかり易いのですが、攻め手にとっては非常に攻めづらい構造なんだそうです。
「福岡」の名
城名は黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡に由来しており「福崎」を「福岡」に改めたそうです。福岡という地名自体が黒田家の影響なのですね。
外堀石垣
珍しい外堀の石垣跡です。上之橋御門から明治通りを地下鉄赤坂駅の方向に歩いたら入り口があります。週末の10時から17時にだけ公開してます。地下鉄工事の際に発見されたそうです。
堀には3つの橋
堀には3つの橋だけがかかっていました。上之橋・下之橋・追廻橋の3つです。
上之橋大手門
ここが福岡城の正門です。現在は裁判所に隣接したところにあります。ここから三の丸に入るのですが現在はその手前を右に折れて三の丸に向かいます。
古写真でみる上之橋御門
橋は木造ですし今の写真と比べると大分違うのがわかります。左の石垣と白塗り部分の感じが共通してますかね。
平和台球場
上之橋を渡って右に上って行くとそこは広い円形の空き地になっています。かつて西鉄ライオンズの本拠地の平和台球場があった場所です。写真の碑は上之橋を渡る手前にあります。
平和台球場跡発掘場
現在はこんな発掘場になっています。時間かかりますねこれは。
平和台球場姿
いまや伝説の西鉄ライオンズです。神様仏様稲尾様のもの凄い活躍もこちらでした。
鴻臚館跡/三の丸スクエア
平和台球場の解体工事の過程で鴻臚館の遺跡が発掘されました。飛鳥・奈良、平安時代の外交や海外交易に関わる公的な施設で遣唐使などもここから出発したようです。ここから太宰府まで幅10mの直線道路で結ばれていたというから凄い! 鴻臚館や福岡城の説明は三の丸スクエアでどうぞ。
福岡城むかし探訪館
東御門に向かい歩いていると右側に茶色いむかし探訪館が見えてきます。福岡城の復元模型が展示され城趾をガイドしてくれる動画を見ることができます。無料ですのでこちらで予習するのがよいでしょう。茶房「光姫(てるひめ)」も併設してます。
東御門
三の丸を歩いて来てここから二の丸に入ります。福岡城趾ではなんとなくここからがお城という気持ちになります。
古写真にみる東御門
ちょっとアングルが違うから比べにくいですね。
表御門
本丸にあがるための表玄関です。ここにあったのが崇福寺山門です。
古写真にみる表御門
古写真にみる表御門です。これが崇福寺山門ですがもう少しボロそうです。
祈念櫓
本丸の東北隅にある祈念櫓で、鬼門封じの祈念をするために建立されたそうです。
小天守台跡
福岡城の天守は大天守から中天守、小天守と続いています。写真は小天守から大天守をみたところです。
鉄御門跡(くろがねごもん)
鉄御門(くろがねごもん)は本丸から天守曲輪へ向かうための門です。非常に狭い門になっていますが防御上の理由からのようです。
天守台跡
天守台跡です。階段で登ります。福岡城の天守台は実在したという説と家康に配慮して造らなかったという説があり謎とされていますが、近年発見された文献からは一旦造られ配慮から取り壊されたという説が有力です。
天守台からの眺め
最高に気持ちよい眺めです。
小天守・中天守と大天守閣
実在の疑義がありますが復元模型の小天守・中天守・大天守です。
埋門(うずみもん)
天守台の勝手口ですが、敵が攻め入った時など、土砂などで埋めて塞ぎ、侵入を防ぐ目的で造られた門です。
裏御門
本丸の裏玄関です。
多聞櫓
福岡城の遺構は築城当時の位置に現存する多聞櫓だけです。平時は武器庫、有事は石落としを備えた防衛用の平櫓です。二の丸南郭(にのまるみなみくるわ)にあり南側に張り出しています。
三の丸と二の丸の間の石垣
大濠公園側の三の丸と二の丸の間の石垣ですが石垣の隙間から育った木がこんなにも大きくなっています。生命力を感じますね。
下之橋御門
大濠公園に隣接する側の下之橋御門。潮見櫓もみれます。ただし、この櫓は平成3年の調査の結果、潮見櫓ではなく、別の櫓であったということがわかっています。
古写真でみる下之橋門
古写真で見ると門の屋根も潮見櫓も見えません。明治時代に上層部を失い、長く一層のままだったものを復元したそうです。
水に囲まれているのが特徴の福岡城ですが、一面は湿地帯となっていたそうで、それが現在の大濠公園部分に当たります。海から引かれた水がこの湿地帯を形成していたよう非常に堅固な守りを誇る福岡城の1つの武器になっていたそうです。
御鷹屋敷跡
晩年の黒田如水(官兵衛)が過ごした居宅は、福岡城の三の丸内で現福岡城趾の隣、この大濠公園を眺める岡の上でした。
旧母里太兵衛邸長屋門
黒田二十四騎の中でも勇猛で知られた母里太兵衛は最後まで官兵衛のすぐそばに仕えたということがよくわかります。御鷹屋敷跡のすぐ隣です。 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では速水もこみちさんが演じてました。
公園
大濠の存在感が凄いです。住んでたらきっと走るんだろうな。
子供向けも
こんな子供向けスポットも。
全国名物スタバの一つ大濠公園店。ロケーションが最高です。
ソファテラス
こんなソファテラスもあります。
店内
店内からも大濠ビューです。
本物の「漢委奴国王」(漢ノ委ノ奴ノ国王=かんのわのなのこくおう、と読みます)の金印が展示されていることで有名な福岡市博物館ですが、実は黒田官兵衛、長政親子はもちろん黒田家に伝わる数々の家宝が展示されています。全部見れれば良いのですが、所蔵だけで展示のないものもありますので事前にご確認下さい。
黒田如水像
福岡市博物館所蔵の掛け軸。長政が描かせた黒田如水像だそうです。白髪混じりのヒゲなど晩年のものということがわかります。御鷹屋敷での姿でしょうかね。 いずれにしてもNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のV6岡田君とはほど遠いか。
「朱漆塗合子形兜」(しゅうるしぬりごうすなりかぶと)
黒田如水が関ヶ原の戦いに乗じて九州を平定しようと動いた間に使われた合子兜を模して福岡三代藩主黒田光之がつくったものが所蔵されています。「如水」が器の中身という意味でこの形なのでしょうかね。 官兵衛のものは「銀白檀塗合子形兜」といわれ、これを受け継いだ栗山善助(栗山利安)の子孫が流されたもりおか歴史文化館にあります。 福岡では2015年2月2日からは赤合子形兜のレプリカの着用体験が始まるようです。
国宝圧切長谷部
官兵衛が中国攻めの方法を進言した際に織田信長から褒美として直接頂戴した刀で国宝に指定されている傑作です。
大身鎗 名物「日本号」
官兵衛の家臣・母里太兵衛は酒豪だったそうですが、福島正則に強要された大盃の酒を見事呑みほし、飲み競った正則からこの鎗を呑み取ったといわれています。別名「呑み取りの鎗」。このエピソード「黒田節」のモチーフになっています。裏側に敵の刃を受けた跡もあります。非常に長いです。
太刀 名物「日光一文字」
秀吉の小田原攻めの際単身交渉に乗り込んだ官兵衛に感謝し北条家が官兵衛に贈った名刀。
黒田長政「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」(くろうるしぬりももなりだいすいぎゅうわきだてかぶと)
長政がこの兜を着用して戦場に赴く度に勝利をもたらすという「縁起の良い兜」。黒田家の象徴のような兜です。朝鮮出兵の折に長政は、福島正則と不和になり帰国後和解の証しとして、この兜と正則愛用の「一の谷兜」(福岡市博物館)と交換したそうです。一の谷の兜は竹中半兵衛の兜で、長政は幼少期に信長から命を守ってくれた半兵衛の兜をかぶって関ヶ原、大坂の陣に出たことになります。バッファローマンのモチーフか?
黒田長政「黒田二十四騎図」から
福岡市博物館所蔵の「黒田二十四騎図」の黒田長政は大水牛脇立兜をかぶっていますね。 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では松坂桃李さんです。
黒田長政「銀箔押一の谷形兜」(ぎんぱくおしいちのたになりかぶと)
黒田長政は戦場に赴く度に勝利をもたらすという縁起の良い「黒漆塗桃形大水牛脇立兜(くろうるしぬりももなりだいすいぎゅうわきだてかぶと)」を使っていたのですが、朝鮮出兵の折に福島正則と不和になり帰国後和解の証しとして、正則愛用の「一の谷兜」と交換したそうです。一の谷の兜は竹中半兵衛の兜として知られ長政としては幼少期に信長から命を守ってくれた半兵衛の兜をかぶって関ヶ原、大坂の陣に出たことになりますね。
黒田長政像
福岡市博物館所蔵「黒田長政像」では一の谷形兜です。
崇福寺黒田家の菩提寺であり、その墓所もこの一角にあります。藩祖黒田如水、初代長政、四代綱政、六代継高、七代治之、九代斉隆とその一族、また直方藩主などが奉られています。
如水の石塔
黒田如水の石塔には、外交僧であった景轍玄蘇(けいてつげんそ、聖福寺第百九世)の撰文が刻まれています。
山門
立派なもんですが、それもそのはずで、旧福岡城の表御門です。大正時代に払下げの許可を得て移築されました。
黒田官兵衛(如水)と子長政が祀られている神社です。2人の龍「光」院殿(如水)、興「雲」院殿(長政)という法名から一字ずつ取って名付けられているそうです。この場所には江戸時代は徳川家康を祀る東照宮があったそうですが、徳川の威光が薄れた明治時代に入り2人を奉って作られたそうです。そういうわけで当時の所縁はありません。
母里太兵衛の銅像
黒田節の元になったと言われる母里太兵衛の像です。福島正則から呑み取った大槍「日本号」とともに銅像になっています。
水牛の兜の像
母里太兵衛の像の隣には黒田長政の水牛の兜の像もあります。
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黒田家をめぐる散策の途中でランチを取るならやっぱり和食でしょう。鯛茶漬けなどどうでしょう。
鯛茶漬け
まずは漬けの鯛をおかずにご飯を食べ、次にお茶漬けにします。
中途半端な時間になってしまったら連続ランチ営業の水たき長野へ。交通の便的にはタクシーですかね。
水炊き
このコースでビール結構飲んで1人3500円くらいです。超お腹いっぱいになります。
鶏スープ
このスープがやめられません。