
インスタントラーメン発祥の地・大阪府池田市
大阪インスタントラーメン発祥の地・大阪府池田市
まいど! 京都、神戸、宝塚などとを結ぶ私鉄としては日本最大のターミナル駅として知られる阪急電車梅田駅。 梅田駅発の宝塚線に乗ってやってきたのは、大阪府池田市。 池田市は、大阪を代表する数々の著名人ゆかりの地で、阪急電車の創業者、宝塚歌劇団の創設者として知られる小林一三氏が住んでいた。 また、市内にはインスタントラーメン発明記念館があり、日清食品創業者でインスタントラーメンを考案した安藤百福氏も住んでいた。 そんな池田市には、皆様にご案内したい場所がたくさん! まずは、織姫ゆかりの地で、機織の技術発祥の神社・呉服神社を散策してみまひょ! 古くは応神天皇の時代、機織、縫製の技術を得るため、大陸・呉の国に派遣。 日夜、機織、縫製の技術を学び、日本に帰国、池田の地に広めた。 これが縁で、市内各地で機織産業が盛んとなり、後々にいろんな伝説を残すこととなる。 そんな呉服神社では、日本に機織の技術を伝えた呉服・穴織姉妹の姉、呉服媛、仁徳天皇を祀る。 神社付近を流れる猪名川の畔には、石碑「唐船ケ渕」が建立され、今も多大な業績を残したことで語り継がれている。
大阪府池田市の阪急宝塚線池田駅前にある市民共同発電一号機「ふくまるの家」。 ここでは、太陽光発電を行っている。 不用になった衣類や食器など、寄付されたものを販売、再利用。 その売り上げで、公共施設など市民共同発電所を設置した。 「ふくまるの家」の「ふくまる」とは、池田市のマスコットキャラクターのことで、五月山動物園のウォンバットと大黒点がモチーフとなっている。 中央には、お父さんは「ふくまるくん」、お母さんは「ふくまるちゃん」が並び、まわりに、4つ子の長男「ふー」、長女「くー」、二男「まー」、二女「るー」が並んでいる。
池田市観光案内所
池田市には、春の桜と秋の紅葉が楽しめる五月山と日本最小の動物園として知られる池田市立五月山動物園、池田城跡公園、水月公園などがある。 阪急電車の創業者で、宝塚歌劇団と劇場などを創設した小林一三氏の記念館、世界で初めての「チキンラーメン」出身地でもあり、安藤百福氏とインスタントラーメン発明記念館などがある。
衣被きの碑
オブジェ。 中国出身の阿知使主と都加使主が日本を訪れた際、当時の日本の文化の遅れを憂い、日本に貢献したいと天皇に願い出た。 織物・衣服の技術向上のため呉の国に渡り、裁縫と機織の師を得て帰国、池田市内で上陸した。 猪名の津(池田市と豊中市)を中心に、多くの技術者を育成した。 この織姫伝説をモニュメントに設置されている。
呉の国とは、中国の三国時代に孫権が長江流域に建てた王朝のこと。 五月山山麓にある伊居太神社の「上の宮」に対し、呉服神社は「下の宮」となっている。 その他にも古くから大陸との深い縁を持っていた池田市には伝説がぎょうさん残ってまんねん! たとえば、明星太神宮、通称、星の宮では、呉から来朝した穴織姫・呉織姫が明かりも灯さず、ここで夜遅くまで機織りをしていた。 すると、天から7つの星が降ってきて織殿を真昼のように明るく照らし、作業を助けたという、幻想的やけど、どこか心温まるエピソード。 1月9日から11日にかけては十日戎。 商売繁盛を願って、戎様にお願い事をしまひょ!
1957年に創業したこの市場では、地域の交流の場として発展し、現在も数多くの店舗が軒を連ねている。 阪急池田駅すぐにあり、時々、テレビや新聞で取り上げられ、話題となっている。
阪急電車、阪急百貨店、宝塚歌劇団など数々の業績を残してきた小林一三氏。 小林一三記念館では、これまで小林氏が手掛けてきた企業の創設や都市開発にいたるまでの経緯が展示されている。
逸翁美術館でも、小林氏が生涯、集めてきたコレクションなどを展示している。
阪急グループの創業者として知られる小林一三氏が開館。 館内には演劇に関する図書、雑誌、宝塚歌劇の上演資料、歌舞伎資料をはじめ宝塚歌劇、阪急電車、阪急東宝グループの書籍等を蔵書している。
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池田駅前の栄町商店街。 昔ながらの雰囲気漂う商店街を抜けると、能勢街道と交差する。 レトロ(モダニズム)建築が並ぶこの道を、たどっていくと、池田のビリケンさんと出会うことができる。 そもそもビリケンさんとは、米国の女性芸術家フローレンス・プリッツ氏が描いた作品。 せやさかい、大阪のシンボルタワー通天閣生まれのマスコットキャラクターではおまへん。 足の裏をくすぐると、幸せがやってくる。 今年一年も、幸せになれますやろか。 池田の幸福の神様、ビリケンさんに願いことを叶えてもらいまひょ!
栄町商店街
飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。
能勢街道
大阪府大阪市北区から大阪府豊能郡能勢町まで続く街道。 始点は、大阪府大阪市北区中津付近。 途中、十三、庄内、服部、石橋、池田などを経由する。 終点は、大阪府豊能郡能勢町に建立された妙見山能勢妙見宮。 食料や物資などが大坂へ運ばれた。 撮影場所は、大阪府池田市栄町付近。
2007年、日本で初めてとなる上方落語専門の博物館として開館した。 館内では、上方落語に関する情報や特別展示がされている。
さきほども先述したように、呉服神社が「下の宮」に対し、五月山山麓にある伊居太神社は「上の宮」と呼ばれ、信仰を集めている。 ここにも、呉服媛・穴織媛・兄媛・弟媛の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の妹、穴織媛が祀られている。
伊居太神社が鎮座する五月山は、標高約315mの高さを持つ。 頂上付近には展望台があり、大阪平野を一望できる。 また山の中腹には、五月山動物園と呼ばれる日本で2番目に小さな動物園(日本動物園水族館協会に加盟)。 入園料は無料で、姉妹都市ローンセストン市(オーストラリアタスマニア州)から贈られた全国的にも珍しいウォンバットやアルパカなどを観察できる。
五月丘にある古墳。 史跡公園「茶臼山公園」として整備されている。 古墳時代前期、前方後円墳として築造。 佐伯氏一族が眠ると考えられている。
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池田市内で発見、発掘された遺跡、遺構からの出土遺物などの歴史、文化など様々な資料を展示している。 今から1万数千年前、後期旧石器時代からさかのぼり、弥生時代、中世~戦国時代、江戸時代、元禄時代へと続く。
牡丹の名所として知られ、季節になると見ごろを迎える。 1395年、池田城主の池田充正が創建、天巌禅師が開基。 池田允正が本堂を修築した。 1513年、連歌師の肖柏が応仁の乱で戦乱の最中であった堺から移住。 荒木村重によって伊丹市に移築されたが、池田知正によって当地に中興された。 1694年、当時の住職が本堂などを再建、傘下の子院は40余りを設けたが現在は衰退。 池田氏の菩提寺となり、代々池田城主の墓や池田氏が寄進したと伝わる梵鐘も現存。 白龍がいたとの伝説が残っている。 白龍は、毎晩、弁天池の水を飲みに来た。 和尚は目の玉を白く塗りつぶし閉じ込めたが、敷石には龍の爪の跡が残っているとか。
五月山麓に位置する池田城址は、池田氏ゆかりの史跡公園。 築城主は池田教依、城主は、池田勝正など、池田家が名を連ねる。 また、重臣「池田21人衆」の一人として数えられる荒木村重ゆかりの城址でもある。 1300年代に築城され、池田市、豊中市、箕面市周辺を長らく治めていたが、1580年、織田信長の命により廃城となった。
別名、「星の御門」とも呼ばれている。 創建時期など詳細は不明となっている。 一説によると、大阪府池田市に鎮座する伊居太神社の御旅所と言われている。 呉から来朝した穴織姫・呉織姫が明かりも灯さず、ここで夜遅くまで機織りをしていた。 すると、天から7つの星が降ってきて織殿を真昼のように明るく照らし、作業を助けたという。
大衆演劇の専門劇場。 呉服座は、池田市西本町付近にあった芝居小屋が前身である。 漫才、落語、歌舞伎など様々な演芸を催していたが、1969年の興行を最後に、幕を閉じた。 閉館後、解体され、愛知県・明治村で復元公開された。 江戸時代の貴重な建築様式として国の重要文化財に指定。 池田呉服座は江戸時代の貴重な建築様式を一部再現して、再建。 池田呉服座では、大阪市北区太融寺町8-17に梅田呉服座として専用劇場を設置している。
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阪急電車宝塚線池田駅前にある案内表示板。 池田市には、春の桜と秋の紅葉が楽しめる五月山と日本最小の動物園として知られる池田市立五月山動物園がある。 そのほか、池田城跡公園、水月公園など自然豊かな一面を持っている。 阪急電車の創業者として知られ、宝塚歌劇団と劇場などを創設した小林一三氏の小林一三記念館がある。 また、世界で初めてインスタントラーメン「チキンラーメン」の出身地でもあり、創業者の安藤百福氏の銅像とインスタントラーメン発明記念館がある。 上方落語の保存にも活発で、素人の落語家のための入門講座やプロによる落語会、六代目桂文枝氏提供の物品が保存されている。
インスタントラーメン、チキンラーメンを開発した安藤百福氏の業績を記念したインスタントラーメン発明記念館。 記念館前には安藤氏の像が建立され、右手にはおなじみのカップヌードルを持っている。 また、施設内では、チキンラーメンの研究小屋が再現され、他にも、インスタントラーメンやカップヌードルの製法と改良の歴史が模型とともに展示されている。 さらに、日本のみならず世界で販売されているカップヌードルの展示もあり、おもしろさ満点。 自分だけのオリジナルカップヌードルを作る体験コーナーもあり、好評となっている。 また、ここだけしか手に入らないグッズなども販売されており、お土産にもおすすめ!
記念館前に安藤百福さん
インスタントラーメン発明記念館前には安藤百福像。 右手にはカップヌードルを持っているが、実は、足の下にもカップヌードルが。 日夜、研究に取り組み、世界で初めてとなるインスタントラーメンが誕生するまでの思いが伝わってくる。
複合型商業施設。 1987年、オープンした。 当店は、日本のスーパーマーケットの大型店で初めて夜9時まで営業した店舗である。 入り口付近には、「サンシティ池田店舗名案内掲示板」として案内。 その上部には、「ようこそ、憩いとゆとりのサンシティ池田」として、サンサンくんが座っている。
中国出身の阿知使主と都加使主が日本を訪れた際、当時の日本の文化の遅れを憂い、日本に貢献したいと天皇に願い出た。 織物・衣服の技術向上のため呉の国に渡り、裁縫と機織の師を得て帰国、この付近で織姫が糸を染めた。
大阪府池田市を流れる猪名川付近にある石碑。 中国出身の阿知使主と都加使主が日本を訪れた際、当時の日本の文化の遅れを憂い、日本に貢献したいと天皇に願い出た。 織物・衣服の技術向上のため呉の国に渡り、裁縫と機織の師を得て帰国、この付近で上陸した。 猪名の津(池田市と豊中市)を中心に、多くの技術者を育成した。
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歴史的建造物。 1925年、鉄道院出身の小笠原鈅氏の設計により、旧池田実業銀行本店として建設された。 鉄筋コンクリート造2階建で、頂部をアーキトレイブ風に作られている。 2000年、池田市は、阪急電車、日清食品、池田銀行等の企業発祥地として知られ、中小企業や起業家を目指す人を支援する目的でインキュベーションオフィス(企業育成室)として開設。 名前の由来は、英語で桟橋や船着場を意味する「ピア(pier)」、ゼロからの出発やネットワークを意味する「まる○」から成っている。
公園の中心部には、池と人工滝がある。 友好都市である中国・蘇州市から寄贈された「源遠流長」「斉芳亭」などがある。 蘇州の石坊と「滄浪亭」(蘇州の4大名園のひとつ)がモチーフ。
724年、創建。 神功皇后が百済より釈尊の仏舎利多羅宝鉢を得て凱旋。 仲哀天皇の御代、散逸を恐れて鉢塚に隠した。 その後、行基が霊夢により石窟より仏舎利を掘出。 聖武天皇の勅命で精舎を建立。
祭神は、国常立尊、建速素盞鳴尊、五十猛尊、住吉大神、穴織大神。 行基が多罹山若王寺を創建し、その鎮守社として建立された。 鎌倉時代、若王寺が真言宗に属した。 社殿の背後の鉢塚古墳石室内に石造十三重塔を造立、金剛界五仏を本地仏とした。 また、境内には、鉢塚古墳が保存されている。 明治時代、英国のウィリアム・ゴーランドが造幣局技師として大阪に滞在。 論文「日本のドルメンとその築造者達」に「テラスのある墳丘」と記載されて以降、上円下方墳と考えられていた。 池田市教育委員会の調査後、円墳と考えられるようになった。 大型横穴式石室があり、蘇我馬子または秦氏一族らの墳墓と考えられる。