
え?猪頭!デカンショうどん!?ボタン鍋・炭酸飲料がうまい!?丹波篠山
兵庫え?猪頭!デカンショうどん!?ボタン鍋・炭酸飲料がうまい!?丹波篠山
まいどまいど! 全国的に「丹波篠山」で知られる一部に属する兵庫県丹波篠山市。 そんな丹波篠山で・・・「ん?イノシシ!?」 この迫力には圧巻で、一度見ると、忘れることはおまへんでっしゃろな。 その他、古くから篠山城下町として栄え、市内中心部では城下町が形成、一部が現存してはりますねん。 長らく篠山藩が当地を治めていた時代をそのままに残した街並みは、篠山市篠山伝統的建造物群保存地区 (国選定重要伝統的建造物群保存地区)に指定。 時はすすみ、江戸の姿も消しつつありますが、ここでは武家屋敷を保存、一般公開してはります。 特に、武家屋敷を建設した澤井家より市に寄贈されて以後、長屋門は江戸時代を知る上で、貴重な資料となってまんねん。 また、丹波立杭焼の名産地として知られ、丹波伝統工芸公園では、陶の歴史や文化の継承、登り窯を再現し、初めての人でもわかりやすい展示や工夫がされてまっせ。 さらに、篠山市立歴史美術館の建物も貴重で、1891年に竣工されたものとか。 市内には篠山城、酒蔵、春日神社など、古き良き日本を知る上で大切な資料が多数現存。 是非、観光にいかがでっしゃろか。
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宿泊、レストランが楽しめる宿泊施設。 庭は昭和時代に活躍した日本庭園の作庭家で研究家の重森三玲氏によるもので枯山水庭園の作品は今も残る。 またホテルの入り口には猪の顔が展示され、地域のランドマークにもなっているとか。
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畑宗志氏の邸宅
当地はかつて畑宗志氏の邸宅であったとか。
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兵庫県の丹波篠山市内にある篠山観光ホテル内にある飲食店。 店内はテーブル席、座敷など。
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ボタン鍋やデカンショうどん
猪の肉を使用したボタン鍋やデカンショうどんなどが名物。 デカンショうどんではうどんをはじめ、野菜などが豊富、豚肉も。
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兵庫県の丹波篠山市役所前に設置されたデカンショ像。 デカンショ節とは明治時代から全国的に歌われてきた曲の一つで「みつ節」が由来とも。 そもそも「デカンショ」という言葉の由来は諸説あり、杜氏らの「出稼しよう」または、東都に学ぶ鳳鳴出身の学生らがデカルト、カント、ショペンハーウエル等の哲学者の名の頭文字を取ったものであるとか。
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1609年、 徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、篠山城の築城を命じた。 藤堂高虎が縄張を担当した。 普請総奉行を池田輝政が務め、助役による天下普請により完成した。
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大書院
二の丸大書院が復元された。
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1810年頃に建築されたとされる旧篠山藩士澤井家の長屋門。 澤井家から寄贈された。
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武家屋敷の一部を保存
長屋門以外にも多数展示され、当時の生活の営みなどをうかがい知ることができる。
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1982年、開館。 篠山城主・青山家の家蔵品を中心に武具、漆芸、絵画、蒔絵のなどの美術品、王地山焼の名品を収蔵・展示する。
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美術館本館
美術館本館の建物は、1891年竣工の日本最古の木造裁判所「篠山地方裁判所」を使用しているとか。
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篠山商工会館1階にある昭和百景館。 旧ささやま屋を、町屋のイメージに全面改装した。 蓄音機や昔の看板、昔の篠山の街並みなど、昭和らしい展示が多い。 また、店舗内では、丹波篠山の特産物や加工品、王地山焼き、地酒などを販売。 さらに、昭和初期に流行したミルクホールを再現した、カフェ「いなぽんて」では、「ぽんてコーヒー」が楽しめる。
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1923年、篠山町役場として竣工した西洋館。 1992年、閉鎖。 1993年、「大正ロマン館」として開館した。 ここでは、篠山市内の観光名所の案内を行っているほか、お土産の販売、レストランなどがある。
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付近は、篠山市篠山伝統的建造物群保存地区に指定された伝統的建造物群保存地区。 国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 1609年、天下普請により篠山城を築城。 城の四方に城下町が整備されたことに始まる。 初代城主は松平康重であった。 1749年、青山忠朝が丹波亀山藩から移封され、以後青山氏が城主となる。 篠山では築城直後から城下町の整備が進められ、城の外堀周囲には侍町が配されていた。
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武家屋敷
昔ながらの雰囲気漂う屋敷が軒を連ねている。
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河原町妻入商家群
京街道に沿って丹波地区に特有の妻入りの商家が立ち並ぶ。
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園篠線発祥之地
かつての丹波篠山に位置する篠山市は、丹波国の一部で、交通の要所として栄えた。 江戸時代、丹波亀山藩・園部藩・綾部藩・山家藩・篠山藩・丹波柏原藩・福知山藩の7藩に分かれた。 明治時代、京都府と兵庫県に分割編入した。 園篠線は、福知山線の篠山口駅と本篠山を経て山陰本線の園部駅を結ぶバス路線として営業した省営バス。 以後、国鉄バスとなり、JRバスして運行されてきたが、廃止。
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酒造り・丹波杜氏の酒造記念館。 各種の酒造用具類や資料、酒造りの工程を公開、展示している。 丹波杜氏の由緒の資料、杜氏たちの歴史、昔ながらの手作り醸造過程を見学することができる。
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能楽に関する貴重な資料の展示、歴史の紹介を行っている。
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奈良の春日大社の分祠を祀る。 地元では「おかすがさん」と呼ばれている。 能楽殿で演じられる春の春日能と秋の祭礼の京都八坂の祇園祭を模したといわれる神輿、山鉾巡行では、笛や鐘の囃子を響かせながら町を練り歩く。 876年、日置荘を領有者であった藤原基経、藤原時平父子により藤原氏の氏神である春日大社(奈良県)より分祀し黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた現在は篠山城のある小山に勧請し、祀り氏神とした。 篠山城築城の際に現在の地に遷座。 秋の祭礼に使われる神霊を移した金神興は、黒岡村と篠山町より寄進されたもの。 ちんちき山と呼ばれる山鉾は各町内より寄進されたもので、京都の祇園の山鉾を模し造られている。
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奈良のような雰囲気。
奈良に鎮座する春日大社の文例を祀っているため、奈良県の鹿を模したものも。
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能楽殿
江戸時代、篠山藩主13代藩主青山忠良によって建てられた。 忠良は、能楽愛好家としても知られる。 建築は稲山嘉七、永井理兵衛、舞台背景に描かれた松の絵は松岡曾右衛門によるもの。 当時、箱根以西において最も立派なものであると称えられた。 床板を踏む音を反響させるため、床下には大甕が伏せられているとか。 国の重要文化財に指定される。
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1797年、創業の鳳鳴酒造。 ほろ酔い城下蔵の酒蔵見学施設が開設。 鳳鳴酒造関連の建造物は、国の登録有形文化財に指定された。 関西照明技術普及会主催の商店照明コンクールでは、兵庫県商店連合会長賞を受賞。
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1973年、松下電器産業労働組合が開設。 現在、パナソニックグループ労働組合連合会が運営している保養所。 宿泊施設やキャンプ場、屋外プール、テニスコート、グラウンド、パターゴルフ、釣り堀、登山などで楽しめる。
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佐仲自然公園内にあるキャンプ場。 場内では民宿、カナディアンロッキーバンガロー、レストラン、炊事棟やトイレ、シャワールームなどあり、バーベキューやキャンプなどが楽しめる。 その他、地域名産の地酒どぶろくやボタン鍋などを味わうことができる。
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兵庫県三木市の吉川ジャンクションから福井県敦賀市の敦賀ジャンクションまでを結ぶ舞鶴若狭自動車道上にあるサービスエリア。 現在、舞鶴若狭道では唯一のサービスエリア。 丹波篠山市特産で丹波黒豆を使用した黒豆パンや黒豆ソフトクリームなどが人気。 2021年、恐竜(丹波竜)の化石が発見されたことから、恐竜のベンチが設置されている。 レストラン「丹波路野菜食堂」ではメニュー考案の手間や労力を簡略化するため、カプセルトイで出た食券でメニューが決まる「ガチャめし」の試みを期間限定で実施。
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別名、八上高城。 波多野秀長は石見の人ともいわれ、応仁の乱で活躍、多紀郡郡代に就任。 高城山・法光寺山に築城、奥谷城を築城、八上城を本城とした。 細川氏両家の内紛が勃発、高国派・波多野氏は反勢力の澄元派の酒井氏、長沢氏らの豪族と対立。 酒井合戦、福徳貴寺の合戦で撃退、屈服。 酒井氏、長沢氏らは重臣に起用され、酒井豊教は主君の波多野元秀の書状の発給を行い活躍。 松永久秀によって城を奪われるも秀治が奪還。 織田信長の命を受けた明智光秀による攻略が開始、兵糧攻めにより困窮。 秀治、秀尚らが安土城下で処刑、秀香は大路城に放火、残兵を集め自らが総大将となって二か月間、八上城で明智軍の猛攻に耐えた。
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明智光忠
秀香が討ち死に落城、波多野氏は滅亡。 この合戦で明智光秀の母(伯母)が磔になった城とも。 明智光忠が城代として入城。 前田茂勝(五奉行の前田玄以の子)が入城。 茂勝が改易され、入封した松平康重が篠山城を築城。 1609年、八上城は廃城。
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八上城の危機を救おうとした四十九院の修業僧
明智光秀は、織田信長の命により八上城奪取を計画。 兵糧攻めを行うも城内からは誰も出てこなかったため、明智軍は不思議に思う。 曽地村の寺々から山の尾根づたいに兵糧を運ぶ修業僧を見つけ、取り押さえ。 明智光秀は放火隊を結成、福山寺、真如坊、長福寺、池の坊、観音寺など四十九院に放火。 明智軍は兵糧を運搬した修行僧の首を取り、その場に掘った穴の中へ葬った。
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八上城の危機を救おうとした四十九院の修業僧
八上城城主秀春の次男甚蔵は乳母に抱き抱えられ味間へ落ち延び、波多野定吉と名を改め、篠山藩の役人となったとか。
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泉質は含炭酸食塩泉。 羽束川は武庫川上流の源流にあたり、猪名川渓谷自然公園の山峡に湧く温泉地。 温泉街は羽束川沿いにあり、旅館、民宿の3軒が営業。 かつて平家の残党で落人が隠棲したともいわれ、戦いの傷を癒す場でもあったとか。 別名、塩ヶ崎、塩ヶ崎温泉。 また、アサヒ飲料が製造販売している商品の一つ「三ツ矢サイダー」の増産に伴い、当地に工場を建設。 1966年、閉鎖。
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場内では炊事棟やトイレ、コテージなどがあり、バーベキューやキャンプなどが楽しめる。
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兵庫県丹波篠山市の栗栖野城は戦国時代、栗栖野酒井氏の酒井越中守頼重によって築城。 丹波酒井氏の一族、栗栖野酒井氏の居城。 波多野氏の所領支配における役割もあり、八上城の狼煙、枝城としても機能した。 明智光秀の丹波攻めの際に落城。 城山にあった若林寺は焼失、江戸時代に再興、栗栖野酒井氏の菩提寺として継承。 登城口には栗栖野酒井氏の初代酒井信綱が葛原親王を祀った大歳神社が鎮座。 桓武平氏を先祖とする酒井氏の氏神である。 城内には丹波篠山市の民話で有名な「イボ取り地蔵」が安置。 篠山城築城時には多くの岩石が採掘され、城の周辺には使用されなかった石の残骸が散乱。
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若林寺
若林寺は信政が1558年に、頓譽露天上人を開基として建立、以後、栗栖野酒井氏の菩提寺として継承。 かつて、山上に位置したが丹波攻めの戦火により焼失、信政の孫である酒井孫左衛信蜜が若林寺を再興。
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1609年、西日本諸大名の助役によって築城された篠山城で使用された石垣は周辺の石切り場から運び込まれた。 石材の採掘には石にノミで穴をあけてクサビを打ち込み、割った巨石は修羅やコロテコなどを使って綱やクサリを取り付け、牛が引いて来たとも。
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日本六古窯の一つに数えられる丹波立杭焼がテーマの総合文化レクリエーション施設。 陶磁器専門美術館、ギャラリー、陶芸教室、登り窯とバンガロー、テニスコート、レストランなどがあり、丹波立杭焼の伝統文化を今に伝えている。
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登り窯
施設は虚空蔵山の麓に位置し、周辺は、伝統的な登り窯が点在する丹波立杭焼の産地。 一帯は清水東条湖立杭県立自然公園の一部となっており、関西自然に親しむ風景100選の「登り窯の煙が立ちのぼる六古窯の郷」にも選定。
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