穴重を食して、塩見饅頭をお土産に。忠臣蔵・赤穂事件で時代を動かした赤穂浪士とともに歩く
兵庫穴重を食して、塩見饅頭をお土産に。忠臣蔵・赤穂事件で時代を動かした赤穂浪士とともに歩く
まいどまいど! 兵庫県と岡山県との県境に位置する兵庫県赤穂市。 山々に囲まれた自然豊かな場所に位置し、昔は鷹の狩猟を行っていたとか。 また、鷹の狩猟を行っていた場所の一つが高取峠であったっちゅうて、その由来にもなってまんねん。 さらに、高取峠は、赤穂浪士ゆかりの場所として知られ、早駕籠の像が建立。 市内中心部では、赤穂城址があり、付近には大石神社、花岳寺が鎮座。 いずれも赤穂浪士ゆかりの地として知られ、特に大石神社では赤穂浪士を祀る神社として、花岳寺は菩提寺として知られてまんねやけども、この他にもぎょうさん、自然豊かな地域を生かした赤穂御崎や御崎温泉、昔ながらの雰囲気を今に伝える坂越界隈など見所がおまっせ。 特に赤穂御崎や坂越の展望台などから眺める瀬戸内海は絶景でおまして。 また、赤穂の名物である穴子を使用した穴重や赤穂の塩を使用した塩見饅頭、赤穂浪士たちが討ち入り前に味わったとされる蕎麦の討ち入り蕎麦など、赤穂を満喫。 赤穂のこと、もっと知りたい。 赤穂浪士について、もっと知りたいという皆様にオススメのスポットを集めてみましてん。
1400年代、岡光広が加里屋城を築城。 1600年、姫路藩主・池田輝政の弟・長政が赤穂領主となり大鷹城を築城。 1600年代、輝政の次男で備前岡山藩主・忠継の所領となり、忠継の弟・政綱によって赤穂藩が立藩。 1661年、近藤正純が設計図を作成、赤穂城が完成。 1702年、赤穂浪士討ち入り。 市内を流れる千種川から上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水され、日本三大上水道の一つに数えられている。
山鹿素行
江戸時代に活躍した日本の儒学者、軍学者。 山鹿流兵法及び古学派の祖であるとして知られる。 陸奥国会津(福島県会津若松市)生まれ。 大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を、小幡景憲、北条氏長の下で軍学を、廣田坦斎らに神道など様々な学問を学んだ。 播磨国赤穂藩にて赤穂藩士の教育を行う。 江戸へ戻り、軍学を教え、後代の吉田松陰などに影響を与えた。
赤穂事件以降、赤穂浪士を祀る神社として旧赤穂城内の大石邸内に建立。 赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)、森家の遠祖の七武将(森可成、森可隆、森長可、森成利、森長隆、森長氏、森忠政)を合祀した。
内蔵助(大石良雄)
大石内蔵助が吉良邸に討ち入る際に、山鹿流の陣太鼓を打ち鳴らす。
内蔵助(大石良雄)
大石内蔵助の立像。
大石主税
赤穂浪士として活躍した当時の最年少。 享年16歳。 とても大柄であったといい、約172cmであったとか。
赤穂に関する歴史資料の収集、保管、公開を行っている。 愛称は、「塩と義士の館」。 赤穂浪士と塩に関する展示を主に行っている史学系博物館。
塩と義士の館
かつて、赤穂城の米蔵が建てられていた場所に位置する。 建物の西側外観は5連の白壁土蔵を模しており、米蔵を再現したもの。
赤穂は瀬戸内海に面した海の幸の名産地。 塩見饅頭が名物で、市内各所で塩見饅頭が販売されている。 もちろん、ここでも、塩見饅頭が販売されているほか、塩に関する商品も多数、取り揃えている。 また、奥では、飲食スペースがあり、名物の討ち入り蕎麦などを味わうことができる。
討ち入り蕎麦
赤穂浪士47名は両国の蕎麦屋の2階に集まり、蕎麦を肴に最後の酒宴を開いた。 その後、火事装束に改め、江戸本所松坂町の吉良上野介義央の屋敷を襲い、主君浅野内匠頭長矩の仇を報いたとされている。 その時の蕎麦を赤穂で再現。 ここでは、赤穂名物の討ち入り蕎麦を食べることができる。
塩見饅頭
赤穂市の名産品の和菓子。 本来、皮は落雁と類似しており、小豆の餡に、赤穂の名産品である塩の風味を加えたもの。 発祥は江戸時代。 塩を隠し味に使った「赤穂まんじゅう」は、京洛の宮家や江戸の将軍家への献上菓子に用いられていた。
古い民家を利用した博物館。 まるで昭和時代にタイムスリップしたかのような古い看板やブリキのおもちゃ、ヒーローのお面、車などが所狭しと並んでいる。
1983年、開館。 1908年、日本で初めてとなる塩務局庁舎である旧大蔵省赤穂塩務局庁舎および塩倉庫、文書庫の保存と再生利用を主たる目的として設立された。 兵庫県重要有形文化財指定。
施設内は自由に写真撮影が可能
江戸時代から昭和時代にかけて実際に使用されていた生活雑貨や祭事用具、美術工芸品や戦時資料にいたるまでの資料を展示、保存を行っている。
- アプリで地図を見る
赤穂城址周辺を歩いてみると、「名物 穴重」と書かれたひときわ目立つ看板を目にした。 「穴重」って何やねん? そんな疑問を胸に、気になったので、お店の扉を開けてみた。
穴重
穴重とは、海の幸である穴子を中心に、重箱のことで、穴子の下には、たっぷりとご飯が入っていた。 穴子は、瀬戸内海に面した赤穂で獲れた新鮮な食材、肉厚があるのに、柔らかいのが特徴で、お箸で簡単にほぐすことができる。 タレは、代々、伝わるタレ。 汁物と小鉢がついて、1480円と納得の価格。
赤穂は瀬戸内海に面した海の幸の名産地。 塩見饅頭が名物で、市内各所で塩見饅頭が販売されている。 もちろん、ここでも、塩見饅頭が販売されているほか、塩に関する商品も多数、取り揃えている。
ここには、広場があり、広場の中心にからくり時計と井戸がある。 からくり時計は、「義士あんどん」と呼ばれている。 高さ約4mの。 朝9時から夜8時のまで、毎正時、陣太鼓の音と共に扉が開き、からくり人形が忠臣蔵の4つの名場面を再現する。 上演時間はナレーション付きで約3分間。
息継ぎ井戸
江戸時代、江戸の浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、3月14日の夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで江戸を出発した。 赤穂城下に到着したのは、3月19日の早朝。 約620kmに及ぶ長距離移動は4昼夜半。 早かごに揺られ続けた両人は、城下に入って、この井戸の水を飲んで一息ついたといわれている。
旧赤穂上水道モニュメント
赤穂旧上水道は、良質な水を得るために約7km上流にある千種川から取水し導水路を経て城下町・城内へ配水した。 当時、江戸の神田上水、備後の福山上水とならぶ日本三水道の一つといわれた。
スイスやアメリカなどの海外製を含め、多数のオルゴール商品を取りそろえるオルゴール館。 珍しいものから癒されるものまで幅広い。
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺。 大石良雄の祖先にあたる大石家墓地、義士墓がある。 浅野家、赤穂浪士に関する展示物が収蔵されている義士宝物館が併設。 1645年、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直が浅野家菩提寺として創建した。 1701年、浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となり、赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きた。(赤穂事件) その後、赤穂藩には永井家が入り、森家が赤穂藩主となった。 明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。 現在、山門は、赤穂市文化財に指定されている。
- アプリで地図を見る
昭和49年創業の蕎麦専門店。 石臼挽き蕎麦を自家製粉、製麺している。 店頭ではメニューと食品サンプルが並んでいる中、人形のそば吉さんが蕎麦を片手に箸で食べる仕草をしている。
赤穂市に関するお土産を主に販売している。 赤穂は海に面した場所に位置しているため、塩の名産地。 店内では塩に関する商品なども多数、取り揃えている。
JR西日本赤穂線の駅。 現在の駅舎は第3回近畿の駅百選に選ばれた。 駅周辺では商業施設「プラット赤穂」やホテル、商店街などがある。
赤穂義士ライダー47
赤穂の有志が赤穂浪士を元に立ち上げたローカルヒーローの赤穂義士ライダー47。 「討ち入りのために義士が雇った助っ人」という設定。
観光情報センター
赤穂観光協会が運営する施設。 ここでは、播州赤穂駅周辺を中心とする赤穂市内の観光案内や特産物の販売などを行っている。 また、レンタサイクル情報、ボランティアガイドの予約も可能。
陣たくん号
赤穂市内の観光名所めぐりを目的とした周遊バス「陣たくん号」。 陣たくんとは、赤穂観光協会に所属するマスコットキャラクター。 赤穂の忠臣蔵で主人公の大石内蔵助が討ち入りの時に持っていたとされる陣太鼓がモチーフ。 義士装束を身に付け、赤穂の観光PRに励んでいる男の子。 好物は赤穂銘菓の塩味まんじゅう。