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せんとくん
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奈良公園
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東大寺
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東大寺二月堂
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春日大社
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奈良国立博物館
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宝蔵院跡 宝蔵院流 鎌槍発祥之地
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若草山
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なら工藝館
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下御門商店街
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MIKO MUSEUM
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奈良市杉岡華邨書道美術館
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奈良市立史料保存館
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高御門町
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奈良町からくりおもちゃ館
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奈良町資料館
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奈良町にぎわいの家 Naramachi Nigiwai-no_Ie
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奈良町物語館
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吉田蚊帳(株)
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木奥家住宅(登録文化財)
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元興寺(塔跡) 山門
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御霊神社
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藤岡家住宅
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奈良市ならまち格子の家
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高林寺
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奈良町南観光案内所
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川之上町街区公園
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奈良女子大学 奈良町セミナーハウス
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ならまち工房
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今西家書院
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福智院
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名勝旧大乗院庭園
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なら和み館
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荒池
奈良の大仏さんに会いにいこう!
奈良奈良の大仏さんに会いにいこう!
まいどまいど! 今回のおでかけプランでは、奈良県の定番中の定番でおます東大寺、春日大社などを取り上げていきまっせ。 奈良県内では、歴史的に価値のある場所や建築物が多く、毎年、全国各地の学校から校外学習や修学旅行で訪れてはりまんな。 っちゅうことでさかい、関西地域の小学校、中学校のご出身の皆様であれば、1度や2度、訪れたことがあるのとちゃいますやろか。 ほんでまた、若草山や奈良公園だけやなく、この周辺に生息する野生の鹿も、外国人観光客に人気やそうでございまして。 若草山や奈良公園に暮らす鹿は、神の使い。 せやけど、今や外国人観光客に愛される存在となり、記念撮影を楽しむ人の姿が目立ってまんな。 元々、日本最古の本格的な首都として栄えた難波宮(現在の大阪府大阪市)の後を引き継ぐように、奈良県に遷都、平城京が発展し、一時、難波宮に遷都しながらも、長らく日本の首都としての機能を果たしていました。 そのほか、奈良の名物の一つでおます柿の葉寿司もおすすめ。 っちゅうことで、まだまだ、ご紹介したいスポットがぎょうさんありまんねやけど、まずは、奈良県の定番中の定番を、めぐっていきまひょ!
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奈良県の公式マスコットキャラクターのせんとくん。 2010年、奈良県で開催された平城遷都1300年記念事業(平城遷都1300年祭)の公式マスコットキャラクターとして登場。 2011年、奈良県のマスコットキャラクターとなった。 特徴は鹿の角が生えた童子の姿。 制作者は大阪府出身で東京藝術大学大学院教授・彫刻家の籔内佐斗司氏。
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なーむくんのおうち
奈良市を中心とした寺院の有志会・南都二六会のマスコットキャラクター。 2010年、平城遷都1300年祭関連のマスコットキャラクターの一つ。 本名は、南都なーむ。 名前は「南無」に由来。 モチーフは聖徳太子の少年時代。 聖徳太子の生まれ変わり。 眉と目は十七条憲法にちなむ漢数字の「一七」で表現。
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奈良県立都市公園奈良公園。 一般的には、奈良公園と呼ばれている。 ここでは、約1100頭の鹿が生息し、国の天然記念物に指定されている。 1671年から続く伝統行事の「鹿の角切り」や、ホルンで鹿を集め餌をやる「鹿寄せ」というイベントが有名である。 そもそも、奈良公園に生息する鹿は春日大社の神使。 春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる。 現在、奈良市の「財団法人 奈良の鹿愛護会」が鹿の保護に努めている。 また、奈良公園は、桜の名所として知られ、日本さくら名所100選に選定。
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華厳宗大本山の寺院で、金光明四天王護国之寺。 奈良時代、聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏を本尊。 開山(初代別当)は良弁である。 現存する大仏殿は江戸時代の再建。 東大寺は古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
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中門
重要文化財。
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奈良時代に創建の仏堂。 日本の国宝に指定されている。 奈良の早春の風物詩「お水取り」が有名。 「お水取り」は修二会といい、8世紀から続く行事である。
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奈良市街地を一望
奈良市街地を一望することができる。
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こちらにも
こちらにも奈良の鹿が。
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768年、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために創設。 神紋は「下がり藤」。 全国の春日神社の総本社である。 武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。 ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。
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仏教美術を中心とした文化財の国宝、重要文化財等を収集、展示している博物館。 1894年、宮廷建築家・片山東熊の設計により竣工。 1895年、帝国奈良博物館として開館。 開館へは寺社が1875年の上知令で所領が国に没収、1868年廃仏毀釈で仏像仏画等の文化財の保護。 第1回奈良博覧会は東大寺大仏殿と周囲の回廊を会場とし、正倉院宝物をはじめ、社寺等から出品された書画、古器物、動植物標本、機械類を陳列。 その後、毎年開催。 当時、宮内省所管の博物館(東京国立博物館の前身)があったが、名称を「帝国博物館」に改称。 京都と奈良にもそれぞれ帝国博物館を設置することが決定し、帝国奈良博物館が発足。
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奈良国立博物館
当地は興福寺旧境内にあたり、1900年には奈良帝室博物館に改称。 1972年、吉村順三の設計による新館が完成。 東新館が完成、従来の新館は西新館と改称。 ミュージアムショップや軽食ラウンジ、トイレや簡単な展示パネル、仏像の構造や印相の解説の展示などを備えた無料ゾーン。 古美術商店「不言堂」創業者坂本五郎から寄贈された中国古代青銅器の常設展示スペース。
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江戸時代、宝蔵院流槍術の流祖宝蔵院覚禅房胤栄は南都興福寺の学侶であった。 武芸を好み、柳生但馬守宗厳と共に上泉伊勢守から刀術を学ぶ。 槍の修練に努め、猿沢池に浮かぶ三日月を突き十文字鎌槍を工夫、宝蔵院流槍術を創めるに至ったという。 槍は通常の素槍に対し鎌槍と称する十文字形の穂先に特徴がある。 宝蔵院は興福寺子院の一つで、中世末・近世初頭以来、当地にあったが、江戸時代に退転。 明治時代、廃仏毀釈の際、取壊され、帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)構内に組込まれた。
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山頂からは奈良市内を一望することができ、特に夜景は、新日本三大夜景のひとつに認定されている。 山頂には前方後円墳の鶯塚古墳がある。 また、「鶯山」とも呼ばれ、菅笠のような形の山が三つ重なって見えることから俗に「三笠山」とも呼ばれている。 若草山は芝のノシバに覆われ、全国的にも珍しい品種である。 若草山の山焼きは、毎年1月に行われ、恒例行事となっている。
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こちらにも
こちらにも奈良の鹿が。
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奈良の工芸品を展示する施設。 2000年、開館。 館内では、奈良の工芸品である奈良漆器、一刀彫、奈良人形、赤膚焼、奈良筆、奈良墨、奈良晒、古楽面、乾漆、秋篠手織、鹿角細工等の作品を展示。 工芸教室や工芸の実演、工芸品の販売も。
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商店街では飲食店や雑貨店、お土産店などが立ち並ぶ。 古くは奈良時代、興福寺の境内にあり、「下御門」の名称は当時の僧坊の名称に由来するとも。 かつては興福寺、東大寺、春日大社の門前町として布(奈良晒)、刀、鎧、甲等を扱う店が集積。
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オリジナルキャラクターのグッズなどを販売する専門店。 施設内では「ミコマート名物 今引くよ当たるよ」「オリジナルガチャガチャ」、フォトスポットの「花山田栄子さんの花園」などがある。 オリジナルキャラクターは、おねーこちゃん、みーこちゃん、ぼーくん、ずーくんなど。 オリジナルグッズはアパレルグッズやスマートホングッズを中心とする生活雑貨など。
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書家として活躍した杉岡 華邨氏を中心とする作品を展示する施設。 本名、杉岡 正美。 1913年、奈良県吉野郡下北山村生まれ。 奈良師範学校を卒業後、辻本史邑・尾上柴舟・日比野五鳳に師事。 奈良県立高等女学校、大阪教育大学でも指導。 京都大学で文学や美学を聴講、久松真一から禅美術の思想的背景を学んだ。 「王朝文学にあらわれた日本書道について」の研究で大成。 日展・朝日現代書道二十人展・毎日書道展・読売書法展に作品を発表。 奈良県文化賞、日展文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞。 日本芸術院会員に選出、文化功労者として顕彰。 2000年、杉岡華邨書道美術館が開館。
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奈良市内の旧蔵文書類、明治時代の新聞など、近世・近代の貴重な史料を多数、展示、公開している。 元興寺の鐘楼推定地から出土した礎石、奈良奉行所復元模型など、所蔵史料の一部を展示。
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元興寺の中大門があったところで、平城京の四条大路の通っていたところである。 1451年、小塔院からの出火で、元興寺の金堂以下主な堂宇は焼失した。 その際、この門も焼け、その後、再興されず在家となった。
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からくりおもちゃを中心とする作品を展示、公開している施設。 2012年、奈良町からくりおもちゃ館として開館。 奈良町の活性化と奈良市の観光振興に役立ててほしいと旧松矢家住宅が寄贈。 からくりおもちゃは、奈良大学名誉教授の鎌田道隆氏より寄贈。 「からくりおもちゃ」の遊び方や由来などを紹介。
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各種民具、奈良町に伝わる仏像、その他の美術品が展示、公開されている施設。 1985年、館長の自宅を改造し、奈良町の保存を目的として開館。 江戸時代、明治時代、大正時代の看板や生活用品などの民俗資料や、仏像や骨董品などを展示。
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1917年、美術商が町家(表屋造)として建設。 2015年、当時の暮らしや文化を体感できる施設として開館。 町家の空間を活かしたイベントや伝統行事などを開催。
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ギャラリー、コンサート、イベントスペースを中心とする施設。 木の暮らし相談・町づくりセミナー・展示会なども。 1995年、奈良まちづくりセンターが空き家をまちづくり活動の拠点として整備。
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吉田蚊帳が運営する店舗。 1921年、創業。 蚊帳生地でふきんや暖簾などを製造販売している。
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木奥家住宅 表屋造、桟瓦葺、平入の町家。 1792年、建設。 1820年、主棟を建設、北側を増築。
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元興寺は現在の明日香村にあった日本最古の本格的仏教寺院・法興寺(飛鳥寺)。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院であったが、平城遷都のときに移設。 奈良時代、東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退。 奈良市中院町・元興寺(旧元興寺極楽坊)、奈良市芝新屋町・元興寺、奈良市西新屋町・小塔院に分立。 1859年、焼失。 基壇と礎石などが現存。 塔跡から出土した元興寺塔跡土壇出土品、薬師如来立像(国宝)は、奈良国立博物館に寄託。
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別名、南都御霊神社、木比御霊。 祭神は井上皇后、他戸親王等八所大神。 西紀寺町の崇道天皇社とともに南都二大御霊社の一つ。 平安京で疫病が流行、その原因は怨霊であるとした桓武天皇は、旧都の平城京内で3つの入口に、早良親王を祀る崇道天皇社、他戸親王を祀る他戸御霊社、井上皇后を祀る当社・井上御霊社を造営。 800年、五條市の霊安寺・御霊神社から井上皇后の御霊を勧請し当社を創建。 かつては元興寺南大門前にあり、その門前は井上町と呼ばれる。 1451年、土一揆による元興寺焼き討ちの火災により焼失、現在地に遷宮。
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古民家の一つである藤岡家住宅。 1700年代、商家として建築。
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町家(主屋、中庭、離れ、蔵)を再現した施設。
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融通念仏宗の寺院(尼寺)。 780年頃、藤原魚名の娘が中将姫に仕えて尼となり、現高御門町の居室を尼寺となし、中将姫の父・豊成の廟塔を守った。 1180年、平重衡の南都焼討によって焼失。 東大寺三昧堂旧本尊の千手観音像は高林寺本尊であった。 1534年、現在地に尼室を移し、寺を再興。 豊成卿の屋敷跡で廟塔があったという。 浄土真言兼学より、融通念仏宗に改宗。 奈良茶人で連歌師の北端宗陳も、この寺の北端に住んだ。 寿保尼を迎えて寺運栄え発展。
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観光案内所、食堂、カフェを併設した複合施設。 2015年、文化観光施設「旧ならまち振興館」が奈良町南観光案内所「鹿の舟」として開設。 奈良市やその周辺の観光案内をはじめ、奈良県産の旬の食材を使用した食堂など。 施設全体は大きな舟に例え、訪れる人々を鹿に例えているという。 訪れた人々は様々な物や事柄に触れ、深く知り、学んで、それらを自らの体験として習得し、新たな知識として繋いでいく。 そのような、多くの人や物をのせて、次の目的地(段階)へ進んでいく舟のような場所でありたいという思いを込めているという。
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遊具やベンチなどが設置された公園。 市民の憩いの場となっている。 公園内には狂言大蔵流宗家屋敷跡の碑が建立。 大藏 彌右衛門は狂言方大蔵流の歴代宗家が名乗る名跡。 狂言大蔵流十二世大蔵彌右衛門が、豊臣秀吉よりこのところに家屋敷を拝領し、二十二世まで住居した。 狂言は奈良に生まれ育ち、大蔵家は代々、奈良の伝統行事に奉仕されている。
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奈良女子大学の奈良町セミナーハウス。 2005年、町家の正木家を奈良女子大学 奈良町セミナーハウスとして開設。 正木家の敷地には主屋、土蔵がある。 かつては乾物屋、診療所、カメラ店。 明治時代、建築。
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作家の工房やカフェ、雑貨店などが集まる複合施設。 明治時代から昭和時代にかけての民家を改装。 手づくり雑貨・アクセサリー・アイラッシュ・タピオカティー・パン屋などがある。
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元々は興福寺大乗院の坊官である福智院家の居宅。 庭に面する九畳と八畳の2室は室町時代のもの。 1924年、今西家書院は興福寺大乗院家の坊官を努めた福智院氏の居宅を今西家が譲り受けた。
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真言律宗の寺院。 736年、聖武天皇が発願して玄昉が創建した清水寺が始まり。 1254年、興福寺の僧が再興して福智院に改名、叡尊が再建。
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日本庭園。 1087年、興福寺の門跡寺院である大乗院の創建と同時に庭園が築造。 平重衡による南都焼討で被災、興福寺別院である定禅院跡地に移築。 徳政一揆で荒廃、尋尊が慈照寺(銀閣寺)庭園を作った善阿弥父子を招いて池泉回遊式庭園を改造。 明治時代、大乗院は廃仏毀釈の影響で廃寺。 東池と西池の中間に2つの小さな丘、溝、滝、中島を備えた池が発見。 名勝大乗院庭園文化館は休憩所を備えた博物館。 館内には大乗院の復元模型や大乗院に関する資料が展示。
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飲食店や喫茶店、エントランスホール、ギャラリーなどがある施設。 みやげものスペース、カフェ&ランチスペース、団体さま向きレストランスペースの3つから構成。
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ため池。 奈良ホテルと菊水楼(料亭)に囲まれた場所に位置する池「荒池」。 明治時代、奈良市が干ばつに見舞われ、農家から「ため池を築いてほしい」という要望により、築造。 北岸の柳は奈良発祥の能「金春流」に因んで、東京・銀座にある金春通りと御門通りから寄贈された銀座の柳。