
柿の葉寿司を食べて奈良の大仏さんに会いにいこう!
奈良柿の葉寿司を食べて奈良の大仏さんに会いにいこう!
まいどまいど! 今回のおでかけプランでは、奈良県の定番中の定番でおます東大寺、春日大社などを取り上げていきまっせ。 奈良県内では、歴史的に価値のある場所や建築物が多く、毎年、全国各地の学校から校外学習や修学旅行で訪れてはりまんな。 っちゅうことでさかい、関西地域の小学校、中学校のご出身の皆様であれば、1度や2度、訪れたことがあるのとちゃいますやろか。 ほんでまた、若草山や奈良公園だけやなく、この周辺に生息する野生の鹿も、外国人観光客に人気やそうでございまして。 若草山や奈良公園に暮らす鹿は、神の使い。 せやけど、今や外国人観光客に愛される存在となり、記念撮影を楽しむ人の姿が目立ってまんな。 元々、日本最古の本格的な首都として栄えた難波宮(現在の大阪府大阪市)の後を引き継ぐように、奈良県に遷都、平城京が発展し、一時、難波宮に遷都しながらも、長らく日本の首都としての機能を果たしていました。 そのほか、奈良の名物の一つでおます柿の葉寿司もおすすめ。 っちゅうことで、まだまだ、ご紹介したいスポットがぎょうさんありまんねやけど、まずは、奈良県の定番中の定番を、めぐっていきまひょ!
奈良県の公式マスコットキャラクターのせんとくん。 2010年、奈良県で開催された平城遷都1300年記念事業(平城遷都1300年祭)の公式マスコットキャラクターとして登場。 2011年、奈良県のマスコットキャラクターとなった。 特徴は鹿の角が生えた童子の姿。 制作者は大阪府出身で東京藝術大学大学院教授・彫刻家の籔内佐斗司氏。
奈良県立都市公園奈良公園。 一般的には、奈良公園と呼ばれている。 ここでは、約1100頭の鹿が生息し、国の天然記念物に指定されている。 1671年から続く伝統行事の「鹿の角切り」や、ホルンで鹿を集め餌をやる「鹿寄せ」というイベントが有名である。 そもそも、奈良公園に生息する鹿は春日大社の神使。 春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる。 現在、奈良市の「財団法人 奈良の鹿愛護会」が鹿の保護に努めている。 また、奈良公園は、桜の名所として知られ、日本さくら名所100選に選定。
華厳宗大本山の寺院で、金光明四天王護国之寺。 奈良時代、聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏を本尊。 開山(初代別当)は良弁である。 現存する大仏殿は江戸時代の再建。 東大寺は古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
中門
重要文化財。
奈良時代に創建の仏堂。 日本の国宝に指定されている。 奈良の早春の風物詩「お水取り」が有名。 「お水取り」は修二会といい、8世紀から続く行事である。
奈良市街地を一望
奈良市街地を一望することができる。
こちらにも
こちらにも奈良の鹿が。
768年、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために創設。 神紋は「下がり藤」。 全国の春日神社の総本社である。 武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。 ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。
山頂からは奈良市内を一望することができ、特に夜景は、新日本三大夜景のひとつに認定されている。 山頂には前方後円墳の鶯塚古墳がある。 また、「鶯山」とも呼ばれ、菅笠のような形の山が三つ重なって見えることから俗に「三笠山」とも呼ばれている。 若草山は芝のノシバに覆われ、全国的にも珍しい品種である。 若草山の山焼きは、毎年1月に行われ、恒例行事となっている。
こちらにも
こちらにも奈良の鹿が。
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近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の停車駅の一つ。 1914年、開業。 1969年、奈良市内の都市計画事業の一環として地下化が実施。
会いたいし、伝えたいし、聖徳太子。
奈良県を代表する歴史上人物の一人に数えられる聖徳太子の没後1400年にあたり、奈良県では「奈良県観光キャンペーン」が展開。 キャッチコピーは「会いたいし、伝えたいし、聖徳太子。」。 デザインは幼少期の聖徳太子と愛犬雪丸をイメージ。 写真の背景には飛鳥、甘樫の丘、二上山、畝傍山、斑鳩の里などを望む。 ポスター前にはマスコットキャラクターのせんとくんと鹿が展示。
奈良県奈良市に本店を持ち、奈良県五條市に本社を置く柿の葉すし本舗たなか。 1903年、五條市にて創業。 田中徳松は大工の棟梁を生業とし、多くの職人を抱え、日々の食事は妻ヨシが賄っていた。 西日本旅客鉄道(JR西日本)五条駅前に食堂を出店し、夏季限定で作っていた「柿の葉すし」を本格的に販売。 以後、柿の葉寿司は五條市を代表する名物となり、昭和時代に天皇陛下に献上、平成時代に皇太子殿下に献上するなどの実績を持つ。
「しめる」「押す」
寿司は鯖を塩や酢で「しめる」、重石をきかせて一晩「押す」ことで味をなじませたもの。
ビタミンC
柿の葉はビタミンCが豊富で抗菌・抗酸化作用に優れ、すし飯を乾燥から防ぐ以外に保存性を高める効果があると言われている。
近鉄奈良駅前の登大路から三条通りまでを結ぶ商店街。 商店街では飲食店や雑貨店、お土産店などが立ち並ぶ。 かつて東向商店街は平城京の外京六坊大路で、東側は興福寺の境内、通りの西側にのみ建物が建てられ、全ての建物が東を向いていることから「東向」と呼ばれるようになった。 興福寺の衰退後、通りの東側にも建物が建てられた。 1914年、近鉄奈良駅の開業に伴い、駅前商店街として発展。 戦前、最盛期には髙島屋や大軌百貨店が出店し、奈良最大の繁華街となった。 1984年、アーケードが再建。 同時に記念して「ギャルみこし」が弁財天祭りのイベントとして行われるようになった。
1926年、奈良郵便電信局跡地に旧六十八銀行の奈良支店として竣工。 旧六十八銀行は国立銀行で南都銀行の前身にあたり、4つの銀行のうちの1行であるとか。 設計監理は工学博士で建築士の長野宇平治氏。 施工は大林組。 外壁は岡山産の花崗岩と褐色の煉瓦、構造は鉄筋コンクリート造の3階建(一部4階建)、地下1階の建物。 当時、米国製金庫扉、窓口シャッター、消火栓、温水暖房、天井扇などが随所に施された。 1928年、旧六十八銀行は奈良支店を新本店とし、他3行との合併により「南都銀行」が発足。 以降、南都銀行 本店営業部・奈良市役所出張所・紀寺支店 共同店舗となった。
コンビニエンスストアのローソンが運営する店舗。 かつて、国の登録有形文化財指定のぜいたく豆本舗本店 主屋があった。 明治時代以降、主屋、東蔵、西蔵、旧応接室が建設。
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奈良市の公民館、生涯学習センター。 施設内には学習室や会議室、茶室などがある。 公民館の1階には奈良市観光センター「ナラニクル」がある。 館内では観光案内の他、観光客・市民向けのワークショップやセミナーを開催。 その他、イタリアンが味わえるカフェ&レストランも。
奈良県桜井市に鎮座する大神神社の境外摂社。 正式名称は率川坐大神御子神社。 別名、子守明神、春日三枝神社。 祭神は媛蹈韛五十鈴姫命、狭井大神、玉櫛姫命。 593年、大三輪君白堤が勅命により神武天皇の皇后・媛蹈韛五十鈴姫命を祭神として奉斎されて以降、奈良市内最古の神社となった。 後に元正天皇によって媛蹈韛五十鈴姫命の父神である狭井大神、母神である玉櫛姫命が祀られた。 1180年、平重衡による南都焼討によって社殿が焼失。 1190年、興福寺の支援により再建。
大神神社摂社率川坐大神御子神社
近世、春日大社の大宮外院11社に含まれたが、大神神社摂社率川坐大神御子神社と定めた。 御子神(媛蹈韛五十鈴姫命)、父母神(御父神、狭井大神、御母神、玉櫛姫命)が鎮座していることから「子守明神」とも。
奈良の工芸品を展示する施設。 2000年、開館。 館内では、奈良の工芸品である奈良漆器、一刀彫、奈良人形、赤膚焼、奈良筆、奈良墨、奈良晒、古楽面、乾漆、秋篠手織、鹿角細工等の作品を展示。 工芸教室や工芸の実演、工芸品の販売も。
商店街では飲食店や雑貨店、お土産店などが立ち並ぶ。 古くは奈良時代、興福寺の境内にあり、「下御門」の名称は当時の僧坊の名称に由来するとも。 かつては興福寺、東大寺、春日大社の門前町として布(奈良晒)、刀、鎧、甲等を扱う店が集積。
オリジナルキャラクターのグッズなどを販売する専門店。 施設内では「ミコマート名物 今引くよ当たるよ」「オリジナルガチャガチャ」、フォトスポットの「花山田栄子さんの花園」などがある。 オリジナルキャラクターは、おねーこちゃん、みーこちゃん、ぼーくん、ずーくんなど。 オリジナルグッズはアパレルグッズやスマートホングッズを中心とする生活雑貨など。
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書家として活躍した杉岡 華邨氏を中心とする作品を展示する施設。 本名、杉岡 正美。 1913年、奈良県吉野郡下北山村生まれ。 奈良師範学校を卒業後、辻本史邑・尾上柴舟・日比野五鳳に師事。 奈良県立高等女学校、大阪教育大学でも指導。 京都大学で文学や美学を聴講、久松真一から禅美術の思想的背景を学んだ。 「王朝文学にあらわれた日本書道について」の研究で大成。 日展・朝日現代書道二十人展・毎日書道展・読売書法展に作品を発表。 奈良県文化賞、日展文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞。 日本芸術院会員に選出、文化功労者として顕彰。 2000年、杉岡華邨書道美術館が開館。
奈良市内の旧蔵文書類、明治時代の新聞など、近世・近代の貴重な史料を多数、展示、公開している。 元興寺の鐘楼推定地から出土した礎石、奈良奉行所復元模型など、所蔵史料の一部を展示。
元興寺の中大門があったところで、平城京の四条大路の通っていたところである。 1451年、小塔院からの出火で、元興寺の金堂以下主な堂宇は焼失した。 その際、この門も焼け、その後、再興されず在家となった。
からくりおもちゃを中心とする作品を展示、公開している施設。 2012年、奈良町からくりおもちゃ館として開館。 奈良町の活性化と奈良市の観光振興に役立ててほしいと旧松矢家住宅が寄贈。 からくりおもちゃは、奈良大学名誉教授の鎌田道隆氏より寄贈。 「からくりおもちゃ」の遊び方や由来などを紹介。
各種民具、奈良町に伝わる仏像、その他の美術品が展示、公開されている施設。 1985年、館長の自宅を改造し、奈良町の保存を目的として開館。 江戸時代、明治時代、大正時代の看板や生活用品などの民俗資料や、仏像や骨董品などを展示。
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1917年、美術商が町家(表屋造)として建設。 2015年、当時の暮らしや文化を体感できる施設として開館。 町家の空間を活かしたイベントや伝統行事などを開催。