
らんらんドライブ。大阪のオモロー伝説を探しに行こう!
大阪らんらんドライブ。大阪のオモロー伝説を探しに行こう!
まいどまいど! 日本全国、どこを探してみても、大阪ほどおもろい街はあらへん!と、わては思てんねん。 全国的に知られてる伝説・おとぎ話の「一寸法師」や「七夕伝説・天の川伝説」も大阪が舞台なら、陰陽師で知られる安倍晴明も大阪生まれ、大阪育ち。 なんや、京都人から、「京都生まれちゃうかー?」って言われそうな気もすんねやけど、そこは、「大阪が好きやねん!」。 奈良・平城京、京都・平安京よりも古い歴史を持ったホンマの古の都・大阪が最有力説として皆さんにご紹介していきまっせ! ほんで、な、な、なんと、童謡で知られる「サッちゃん」も実は大阪生まれやそうで。 っちゅうて、なんやかんやと伝説やおとぎ話、童謡がぎょうさんあふれてる大阪やねんけど、これら以外にも、羽衣伝説(天女伝説)や真田幸村(信繁)、聖徳太子、そして、蛸が残した逸話もありまんねん。 大阪はおもろい! わての大好きな大阪、もっともっと「おもろナーレ!」。 っちゅうことで、皆さんも納得の「おでかけプラン」や思いますので、ぜひ、参考にしてってんか~♪ ほな、まいどおおきにー!
なんやなんや、グリコやかに道楽、づぼらやなど、派手な看板が所狭しと並ぶ天下の台所、大阪・道頓堀が一寸法師にゆかりがあるんやて!? そんなうわさを聞きつけてやってきたのは、一寸法師の伝説が残る道頓堀の一角、浮世小路。 この狭い路地にはミナミの歴史物語が展示され、かつて存在した芝居茶屋や楽器店と一寸法師ゆかりの大明神。 また、初代桂春団治の「野崎参り」が試聴できるねんて。
一寸法師に関してはもう一件、ゆかりのスポットがあります。 それが、日本三大住吉の一つに数えられる住吉大社やその付近やねん。 住吉大社の近くには細江川と呼ばれる河川があり、そこから、当時の京の都へと旅立ったっちゅう伝説が残されてんねん。 まあ、せっかくやし、すみよっさんでご挨拶も兼ねて参拝。
お友達との、ご家族との楽しいドライブ途中に是非、立ち寄りたいのは、テイクアウト専門店の洋食やろく。 実際には洋食のレストランもあるねんけど、ここでは、テイクアウト専門店っちゅうことで、注文してからつくりはじめるので、つくりたてほやほや。 ほんで、なんちゅうても、住吉に来たのなら、名物の玉子コロッケがおすすめやね。 玉子のふわふわが優しく包み込まれ、食感は、コロッケよりも柔らかい印象であり、特徴。
大阪・なにわには、伝説がいっぱい。 次におすすめなのが、三光神社。 四天王寺からは少し離れた場所に鎮座してんねんけど、この付近は豊臣方と徳川方で勃発した大坂の陣の激戦地。 時は1614年と翌年の1615年。 大坂冬の陣と大坂夏の陣の2度、激戦を繰り広げ、豊臣方の真田幸村は、豊臣秀頼の居城、大阪城から南へ少し離れた場所に鎮座する三光神社にかけて、抜け穴を掘ったとの伝説があるねん。 境内にはひっそりと穴の入り口があるねんけど、安全のために封鎖され、今では柵の外から入り口付近を眺められるのみとなってんねん。 また、今では都市開発もすすみ、抜け道の途中はなくなったというが、当時の光景が思い浮かぶ。
阪田寛夫が作詞した日本の童謡「サッちゃん」。 「サッちゃん」とは、幼少期、同じ幼稚園に通い、近所に住んでいた少女のことで、1年上のクラスやったとか。
公園の中央部には大きな池があり、市民の憩いの場として親しまれてんねん。 また、聖徳太子は当地を訪れ、桃ヶ池と呼ばれる池に棲んでいた大蛇を聖徳太子が退治した、という内容の伝説が残っているオモローな場所。
- アプリで地図を見る
昔々、ここに白龍がいた。 白龍は、毎晩、弁天池の水を飲みに訪れていたため、 和尚は目の玉を白く塗りつぶして、閉じ込めてしまったという。 敷石には、龍の残した爪の跡が残っているとか。
大阪府外からお越しの皆様におすすめなのが、名神高速道路の下り側に位置する吹田サービスエリア。 ここは、ドライブ途中に気軽に立ち寄ることができるだけやなく、お土産の販売コーナー、フードコーナーも。 フードコーナーでは、吹田名物のラーメン「吹田ブラック」。 富山ブラックならぬ吹田ブラックを味わうなら、吹田軒で。
七夕伝説、羽衣伝説ゆかりの地として知られ、市内中心部を天野川(通称、天の川)が流れてんねん。 付近にも、星にまつわる地名が多く、織姫と彦星の伝説も仰山残ってまんな。 また、二番目に古いとされる816年の星の降臨によって、この山の大部分が吹き飛ばされ、馬蹄形になってんねんやとか。
御神体は、舟形巨岩「天の磐船」であるといい、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊が「天の磐船」に乗って河内国河上の哮ヶ峯に降臨されたと言う。 境内中心部に位置する拝殿には、大きな巨石「天の磐船」が横たわり、境内奥では、岩窟巡りが可能。 ここでは、平安時代から修行のために、慣行されていたとされ、今では、その洞窟巡りが注目を浴び、密かな話題を呼んでいる。
羽衣伝説とは、天から舞い降りた白鳥(天女)が水浴びをしているとき、老人の男性に羽衣を隠されてしまう。 いたずらによって羽衣を見失ってしまった天女は、天に帰ることができず・・・と言った内容で知られる、そのゆかりの地。
- アプリで地図を見る
岸和田城に高波が襲った時、海の彼方より大蛸に乗った法師が海岸まで近付き波風を鎮められ、城は救われた。 小牧・長久手の戦いが勃発し、豊臣秀吉が尾張へ向けて大坂城を出発。 紀州征伐で敵対する根来衆・雑賀衆が、岸和田城を攻撃。 蛸に乗った一人の法師が現れて、次々と紀州勢を薙ぎ倒したが、紀州勢が盛り返して、蛸法師を取り囲んだ。 海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ、紀州勢を退却させた。 一氏は喜び、法師の行方を追ったが、不明に。 ある日、一氏の夢枕に法師が立ち、そのお告げの通り、その昔、戦乱から守るために埋めた地蔵菩薩像を掘り出して祀ったという。 蛸を一切食べずに願をかける、蛸絵馬が奉納。
摂津国の僧・法海が槇尾山寺に住していた時、突如、一人のみすぼらしい格好をした修行僧が現れた。 その修行僧は、「夏の間だけここで過ごさせてほしい」と言う。 以後、修行僧は槇尾山寺にて客僧として過ごし、修行に励んだ。 客僧が槇尾山寺から去ろうとしたある日、「帰りの旅費を出してほしい」と寺僧に願い出るが、拒否されてしまう。 客僧は怒って、出て行ってしまった。 法海が追いかけると、客僧は海上を、沈みもせずに歩いていた。 これを見た法海は、千手観音の像を刻んで祀ったと言う。
昔、槇尾山の麓にある坪井の里で、女児が置き去りにされていた。 里に住んでいたある夫婦が女児を引き取り、「お照」と名づけ、大切に育てた。 お照が13歳のとき、両親がこの世を去り、両親の供養を考えたが、金銭的な余裕が無かった。 そこで、当時、女の命とも言われていた黒髪を切ってお金に換え、「灯篭」を購入、高野山にて仏様に捧げた。 高野山では多くの灯籠が灯されていた。 僧侶がお経を読み始めた頃、突然、強い風が吹いて、多くの灯篭の灯が消えたが、お照の灯籠は消えることがなかった。 人々は、この灯を「お照の一灯」と呼び、現在も高野山で光り輝いていると言う。
陰陽師で活躍した安倍晴明所ゆかりの地として知られ、葛の葉物語の舞台ともなっている。 晴明の母・白狐(葛の葉)が住んでいたと伝えられる。 信太森は、奈良時代、元明天皇が楠の神木の化身である白龍に対して祭事を行ったことを縁起としている。 700年代、信太森神社はその神木を御神体とした神社として建立。 平安時代、安倍保名が家名復興を祈願した帰り、猟師に追われた白狐を助けるが負傷。 これが縁で安倍保名は葛の葉と結婚し、童子丸(安倍晴明)を授かる。 白狐の化身である葛の葉は我が子に正体を悟られ、別れを決意。 安倍晴明は陰陽師として活躍した。