
TDR? USJ? 葛飾柴又にゃ「寅さんワールド」があるゼ!
東京TDR? USJ? 葛飾柴又にゃ「寅さんワールド」があるゼ!
> 私、生まれも育ちも葛飾柴又です。 > 帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。 > 人呼んで "フーテンの寅" と発します。 このセリフでおなじみの国民的映画「男はつらいよ」。 舞台となった東京都葛飾区の柴又には今も寅さんを慕う人たちの姿が絶えません。 その「寅さんの世界」は、ここ柴又の「寅さん記念館」で体験できます。 また、記念館の向かいには「男はつらいよ」の生みの親、山田洋次監督の記念館。 寅さん映画以外にも数々の名作を世に送り続けている監督の業績を一望できます。 無論、映画に毎回のように登場する“象徴”柴又帝釈天(題経寺)も欠かせません。 さらに東京に現存する唯一の渡船「矢切の渡し」も合わせて乗りたいところです。 この「矢切の渡し」は歌謡曲にも歌われ、細川たかしらの競作で大ヒットしました。 オススメのルートは、まずJR常磐線松戸駅から京成バスで矢切の渡しバス停へ。 船で対岸に渡り、寅さん記念館や帝釈天を見て、参道で名物の草団子や鰻などを賞味し、京成柴又駅へ。 映画と歌謡曲と現実の世界が交錯する葛飾柴又で人情味あふれる休日を過ごしてみませんか?
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映画「男はつらいよ」は1969(昭和44)年の1作目から1995(平成7)年の最終作まで全48作が作られました。 主演の渥美清は最終作が公開された翌年に逝去し、追って政府から国民栄誉賞が授与されます。 1997(平成9)年の開館以来、その世界観が古びぬように展示内容が幾度もリニューアルされています。 開館時間は午前9時から午後5時まで。 休館日は第3火曜日ですが休日の場合は開館。 12月第3水木曜日も休館しますが、年末年始は開いてます。 入館料は大人500円、小・中学生以下300円。 矢切の渡し柴又側乗り場から歩いて10分ほどです。
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アクセスは柴又公園側からだとエレベーターの利用が便利
記念館は平家で、中央の広い中庭を囲むように「回」の字の形をして立っています。 ただし矢切の渡し乗り場から来る場合は、堤防から下の道路に降りることなくエレベーター乗り場までアクセスできます。
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「光庭」には寅さん旅の記録が刻まれています
吹き抜けの中庭は「光庭」といいます。 ここには全国のロケ地を焼き付けたタイルを地図状に並べた「こころのふるさとマップ」が設置されています。 各タイルにはロケ地のイラストや作品番号が記されており、寅さんが巡り歩いた記録をたどることができます。 この「光庭」までは無料で入れます。
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「柴又下町や」で寅さんに変身!
光庭に面して土産屋「下町や」があります。 寅さんといえば 帽子に腹巻、雪駄、さらにあの衣装まで販売しています。 これら一連の装束はレンタルもしているので、記念撮影もOK! もちろんキーホルダーやオモチャなど普通のお土産も販売してますよ。
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入り口に再現された山田組の撮影現場「葛飾柴又撮影所」
入り口を入ると撮影現場が再現されています。 山田洋次監督をはじめ撮影、照明、メイク、大道具など“山田組”の仕事ぶりがパネルと映像で再現されています。 また、山田監督が実際に使っていたディレクターチェアやカチンコ、メガホンやトラメガが展示されています。
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再現された撮影セット「くるまや」
中に入ると正面に、おなじみの団子屋「くるまや」。 寅さんファンなら感涙ウルウル間違いなし! これは実際に撮影で使用されたセットを移設したものです。 往時このセットは松竹大船撮影所第9ステージに、半月程度かけて建てていました。 完成すると中に小道具を飾り、ひと月半ほどで撮影を終え、その後は解体して倉庫に保存。 このサイクルを28年間ずっと続けていたそうです。
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ここ柴又の地で永久の命を得た「くるまや」
傷んだところを補修しつつ、柱や建具などは毎回同じ物を繰り返し使用し続けてきました。 しかし、シリーズの終焉とともにセットも役割を終えます。 大船撮影所が閉鎖されたのを機に、この記念館に永久保存されることになりました。
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時間が止まった「お茶の間」という空間
「男はつらいよ」の全てが詰まっていると言っても過言ではない小宇宙「お茶の間」。 黒電話やちゃぶ台、ブラウン管テレビなど、昭和30年代の雰囲気が丸ごと永久保存されています。 本来なら床の間がある奥の部屋にスクリーンを設置。 映画の名場面が上映されています。
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「とらや」と「くるまや」の関係とは?
作品によって店名が「とらや」「くるまや」と混在しています。 シリーズ当初の店名は「とらや」。 このセットではなく帝釈天参道にある団子屋「柴又屋」でロケをしていました。 ところが「柴又屋」が映画に便乗して屋号を劇中と同じ「とらや」に変更。 そこで松竹は大船にセットを建て、ここでの撮影に移行。 合わせて劇中の店名も「とらや」から「くるまや」に変更したわけです。
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あまり見た記憶のない厨房も…もちろんあります!
「くるまや」は団子屋なので当然ながら厨房があるはず。 しかし、劇中で団子を作っているシーンを見かけた記憶がありません。 店内で本当に団子を作っているのか疑問に思っていたら、厨房がキチンとありました。
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東京でも下町は家に鍵なんてかけてなかったんですよ
台所はとても狭い印象。 ここで食事を作り、お茶の間へ運んでいたんですね。 ダイニングキッチンが普及した今となっては、作る場所と食べる場所が離れたスタイルは珍しくなりました。 流し台の横には勝手口。 いつも開けっ放しなのでタコ社長や博ら職工さんたちが出入り自由。 家の鍵をかけないのは田舎の風習…ではなく、東京の下町でもそうだったことが分かります。
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勝手口を抜けると、そこは朝日印刷所だった
くるまやの裏手にある小さな印刷所。 ここもまた「男はつらいよ」には欠かせない重要な舞台。 第1作の物語は、ここで働く諏訪博と妹さくらの結婚話から始まります。 朝日印刷所は活字を拾って刷る活版印刷所。 オフセット印刷の普及で今や活版印刷はほとんど姿を消してしまいました。
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再現された印刷所のディテールは驚異的!
ここに設置してある活版印刷機は映画の撮影に使われたものではありません。 江東区内の印刷所で42年間も働き続けていたものです。 活字からオフセットに移行していった印刷技術と、フィルムからビデオに移行していった映画。 活字とフィルム…前時代の技術に対するオマージュが感じられる展示内容です。
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喧嘩の台詞すら懐かしい!タコ社長の事務机
しょっちゅう喧嘩していた寅さんとタコ社長。 「寅ちゃんみたいなフーテン野郎に町工場の経営者の苦労なんて分かるわけないんだよ!」 その町工場の経営の中枢が、この机です。 メモ1枚にまで及ぶそのこだわりぶりを味わいたいところです。
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寅さんと気に入ったシチュエーションで記念撮影を!
寅さんと一緒に記念撮影できる日本で唯一の撮影スポット、1枚500円です。 くるまやと朝日印刷所の間にあります。 シチュエーションは帝釈天参道、くるまや、矢切の渡し、帝釈天山門前の4カ所から選べます。
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この相関図さえ見れば寅さんの複雑な人間関係が一目瞭然!
なぜ寅さんは「おいちゃん、おばちゃん」と呼ぶのか? それは、くるまやの主人だった平造(寅さんの父)が亡くなった後、叔父夫婦が店を引き継いだからです。 おばちゃん役は三崎千恵子が一人で演じ続けてきましたが、おいちゃん役は森川信→松村達雄→下條正巳と三代にわたってます。
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壁面には全48作のスチール写真がズラリ!
寅次郎とさくらは腹違いの兄妹。 さくらは正妻の子ですが、寅さんの母親は深川の芸者お菊。 世に言う“庶子”でした。 その後、お菊は京都で連れ込み宿を経営。 第2作「続 男はつらいよ」で寅さんと再会します。 ちなみにお菊はミヤコ蝶々が演じていました。
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精巧なジオラマで間取りが一目瞭然!
朝日印刷所のセットを過ぎると「くるまや」を16分の1で再現したジオラマが展示されています。 間取りだけではなく暖簾や看板なども忠実に再現。 撮影セットにはなかった二階部分の構造も知ることができます。
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マドンナの香りまで堪能できる?
「男はつらいよ」と切っても切れないのが、各作品に出演するマドンナ。 ここではマドンナのプロフィールや名場面が映像で楽しめます。 また、右端の黒い穴からは、なんとマドンナの香り? を感じることができます。
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歴代最高のマドンナは浅丘ルリ子演じるクラブ歌手「リリー」で異議なし!
全48作だからマドンナも48人いる…わけではありません。 一人で数作品に重複して出演している女優さんも多く、都合36人が務めています。 なかでもクラブ歌手「リリー」役の浅丘ルリ子はシリーズ最多の4回出演。 特にシリーズ最終作「寅次郎紅の花」でもマドンナを務め、事実上「内縁の妻」的存在でした。
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「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」コーナー
寅さんが少年時代を過ごした昭和30年代の帝釈天参道が、遠近法を用いてミニチュアで再現されています。
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体を屈めなきゃディテールが細見できない!
参道の真ん中あたりにある酒屋兼煙草屋です。 店内には精巧に作られたビールケースや一升瓶が所狭しと並んでいます。 また、煙草販売の窓口にはエコー、わかば、ハイライト、そして国産初のフィルター付きメンソール煙草mfも。
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この中に中学生時代の寅さんがいます
神社の境内の様子もジオラマで再現されています。 画面の真ん中で、学生服姿で紙芝居に見入っているのが中学生時代の寅さんですよ。
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「人車鉄道」って何?
自転車を漕いで客車を推して進む「人車鉄道」のミニチュア模型が展示されています。 1899(明治32)年から1913(大正2)年まで、金町から柴又までの1.5kmを帝釈天への参拝客を乗せて運んでいました。 この模型はスイッチを押すと、車夫が人車鉄道を推進して帝釈天まで乗客を運んで行きますよ。
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寅さんの鞄の中には何が入っているのか?
寅さんが肌身離さず持ち歩いているトランクの中身が展示されています。 着替えに筆記用具は無論、旅暮らしだけに時刻表や目覚まし時計は必需品。 テキ屋ゆえ全国のお祭りが記載されている暦[こよみ]も不可欠。 グルーミングキットで身だしなみにも気を使います。 ケロリンや龍角散などの薬、金鳥の蚊取り線香まで。 結構、身軽です。
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四谷赤坂麹町 ちゃらちゃら流れる御茶ノ水 粋な姐ちゃん立ちションベン 白く咲いたか百合の花 四角四面は豆腐屋の娘 色は白いが水臭いってね!
寅さんの稼業は今で言う露天商、昔風ならテキヤ。 扱う商品は雑誌やオモチャ、レコードなど。 また、手相や易断などインチキ臭い占いも。 威勢のいい啖呵売を矢継ぎ早に発しながら、商品を捌きます。 これらの商品を前に、啖呵売の映像がスクリーンに流れます。 寅さんの啖呵売を是非ご堪能ください。
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「男はつらいよ」の舞台は、ほぼ日本全国!
地図上に舞台となった街が、該当作のポスターと紐付けし展示しています。 日本中くまなく歩いて回った寅さんの足跡をたどることができます。
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最後は歴代マドンナ全員に見送られ
出口へと続く両側の壁には、歴代マドンナ全員の写真がコラージュされています。 一人一人その表情を眺めつつ、寅さんワールドに別れを告げましょう。
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映画「男はつらいよ」シリーズ全48作品の原作・脚本を書き、うち46作でメガホンを取った山田洋次監督。 もちろん、それ以外にも「幸せの黄色いハンカチ」や「学校」シリーズ、時代劇「武士の一分」といった名作を生み出し続けている、日本を代表する映画監督の一人です。 その業績を通じて、作品が制作された時代の社会背景、作中で描かれている人物像、映画制作への思いなどを、見やすくコンパクトにまとめた記念館。 入館チケットは寅さん記念館と共通で、半券を持っていれば、こちらにも入館できます。 開館時間や休館日も、すべて寅さん記念館と同じです。
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1枚のチケットで記念館とミュージアムの両方に入れます
寅さん記念館を出ると、車道を挟んだ向かい側に入り口があります。 ただ。車道は自動車が通過して危ないので、上に架かっている陸橋を渡ると安全です。
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入り口を入れば初期作品のポスターがズラリ!
昭和36(1961)年のデビュー作「二階の他人」や、倍賞千恵子を一躍スターダムに押し上げた「下町の太陽」、クレイジーキャッツのリーダー・ハナ肇主演の「馬鹿」シリーズなど、懐かしい作品のポスターが勢ぞろいしています。
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山田洋次監督と2ショットで記念撮影できますよ!
受付カウンターの横に監督の銅像が立っています。 2ショット写真を撮りたいのなら、受付のお姉さんにお願いすればカメラのシャッターを押してもらえます。
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ミュージアム内部は意外に狭くコンパクトな印象
周囲の壁ではデビュー作「二階の他人」から始まる半世紀の作品群を、8つのテーマに分けて紹介。 中央は映写機や編集機などフィルム時代の映画製作と上映がテーマの展示ブースです。
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山田監督が愛用した撮影ギアも豊富に展示
これは「ビューファインダー」といって、撮影の構図などを肉眼で確認するための道具。 監督が新人時代に首からぶらさげて使っていたそうです。
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松竹のクレイジー映画はハナ肇が主役
最初期の作品を紹介するコーナーでは、クレイジーキャッツのハナ肇を主役にした「馬鹿シリーズ」などが紹介されています。 クレイジー映画といえば植木等を主役にした東宝の「無責任シリーズ」などが有名ですが。 松竹でもハナ主演の山田監督作品が多数制作されています。 これは渡辺プロが東宝に植木、松竹にハナと振り分けたわけではなく、まだ若手だった山田監督の才能をハナが高く評価していたからだそうです。
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山田洋次と高倉健のコンビといえば…
平成26(2014)年11月に惜しまれつつ亡くなった名優、高倉健。 もともと東映所属の俳優でもあり、松竹映画の主演作は生涯2本しかありません。 それはいずれも山田監督の「幸せの黄色いハンカチ」と「遥かなる山の呼び声」。 特に「幸せの〜」は監督と健さんの両者にとって代表作となり、後にハリウッドでリメイクもされています。 これは実際に使用されていた「幸せの〜」の撮影台本です。
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「寅さん」以外の渥美清作品とは…
渥美清は「男はつらいよ」第1作が制作される時点で、すでにベテランの喜劇俳優でした。 なので「寅さん」より前にも山田監督と数多くの映画を作っています。
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「男はつらいよ」…もとはフジテレビの連続ドラマでした
ドラマの最終回、寅さんは奄美大島でハブに噛まれて死んでしまいました。 するとフジテレビに視聴者から「なんで寅さんを殺したんだ!」と抗議が殺到。 この人気ぶりを受け、松竹が映画化したものです。 当初は5作目ぐらいで終わらせるつもりだったそうですが、公開のたびにヒットするので止められなくなり、ついにはギネスブックに登録されるほどの長寿シリーズとなりました。
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最近では2000年代公開の藤沢周平原作の時代劇三部作が大きな話題に
時代劇三部作とは2002年「たそがれ清兵衛」、2004年「隠し剣 鬼の爪」、2006年「武士の一分」の三作品。 特に山田監督が初めて手がけた時代劇「たそがれ清兵衛」は米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるなど、世界中で高く評価されました。 ここでは同作の母屋模型や、劇中のクライマックスで使われた短剣と木刀が展示されています。
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壁面の作品紹介は2013年公開の「東京家族」で終わっています
小津安二郎監督の名作「東京物語」(1953年)を、山田監督が東日本大震災など独自の目線でアレンジを加えてリメイクした作品です。 ミュージアムの開館が2012年だったので本作で終わっているわけです。 その後も2014年に「小さいおうち」、今年も12月に新作「母と暮らせば」が公開予定。 公開作品が増えれば近い将来、展示内容もリニューアルされることでしょう。
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シンボルオブジェ「フィルムよさらば」
今や映画館はデジタルビデオによる上映がほとんどで、未だにフィルムで上映している劇場は日本国内でも数えるほどしかありません。 そうした「フィルム」による映画へのオマージュが、オブジェになって会場中央に設置されています。
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フィルム編集用の機材も展示保存されています
真ん中にドン!と鎮座している映写機は実際に動かすことができます。 その周囲には機材が展示されています。 映像と音声を同調させるシンクロナイザー(左)。 編集時にフィルムを切る切断機(右下)と、切ったフィルムをつなぐスプライザー(右上)。 反対側には編集時に使用するフィルム閲覧装置「ムヴィオラ」が展示されています。
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「文化遺産」としてのフィルム映画を考える場所
館内にはオブジェとしてフィルム保管用の缶が至る所に飾られています。 一方、映写機の手前にはデジタルシネマ用のハードディスクが一個ポツンと置かれています。 両者の対比を通じて「フィルム映画」という文化遺産に触れることのできる稀少な場所でもあります。
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全作品の予告編を見ることができます
フィルム缶が積み上げられた壁の裏側に、山田洋次全作品の予告編を見ることのできる一角があります。 作品を一度も見たことがなくても、ここで予告編をチェックすれば「山田洋次ツウ」になれるかも!?
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山本亭は寅さん記念館から江戸川上流側にある歴史的建築物。 カメラ部品メーカーの合資会社山本工場を創立した山本栄之助翁の自宅として建てられました。 入館料は一般100円、中学生以下は無料。 また、寅さん記念館と山本亭の料金が合わせて50円引きになるおトクなセット券も発売中。 一般料金が600円から550円になります。 開館時間は午前9時から午後5時まで。 休館日は第3火曜日(祝休日は開館)と12月の第3火水木曜です。 なお山本亭は今年10月1日から補修工事のため暫くの間、全館休館になります。 訪れるならお早めに!
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特徴は和風建築の書院造と西洋建築がミクスチャーされた和洋折衷の建築様式
大正12(1923)年の関東大震災を期に浅草小島町(現台東区小島)から現在地へ移転。 同15('26)〜昭和5('30)年に増改築を重ねて現在のような姿に。 富裕層の間で洋風建築を取り入れる当時の流行を現代に残す貴重な建築として葛飾区が登録有形文化財に指定。 昭和63('88)年に区が山本家から買い取り、平成3('91)年4月から一般公開されています。
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長屋門
寅さん記念館側から向かうと、和洋折衷建築の長屋門がお出迎え。 昭和5('30)〜8('33)年の間に古い門を取り壊して新築されたものです。 長屋門は武家屋敷などで見られる伝統的な和風建築。 そこに六角形のタイルが敷かれた床やステンドグラスの窓など洋風のデザインを取り込んでいます。 両脇の袖部屋には門番が常駐し、客人のお付きの人や人力車夫の控え室に利用されていました。
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旧玄関
長屋門をくぐると正面に旧玄関。 まだ山本亭が住居として使用されていた当時、客人は長屋門からこの玄関を抜け、右手奥の鳳凰の間へ通されていたそうです。
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旧玄関内
玄関は間口一間×奥行一間半と、ゆとりの広さ。 床には黒玉石が敷き詰められ、人力車が展示されています。
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和洋折衷
手前の和風建築が書院造で、奥の洋風建築が鳳凰の間。 和風建築は木造二階建てで、明り取りの窓や違い棚など書院造の特徴が随所に見られます。 広さは1階120坪(400平方m)、2階15坪(50平方m)。
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鳳凰の間
旧玄関を入って右手奥にある「鳳凰の間」は山本亭唯一の洋間で、昭和初期独特のデザインです。 寄木を用いたモザイク模様の床、白漆喰仕上げの天井、ステンドグラスの窓、大理石製マントルピースなどが見どころ。 玄関脇に洋風の部屋を設けることは斬新な建築スタイルでした。 客人をもてなす応接室として利用されていたことからも、当時の西欧文化に対する憧憬の念が感じ取れます。
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土蔵
山本亭内に現存する中で最も昔に建てられた建造物。 栄之助氏が屋敷跡を取得した当時から存在していたそうで、正確な築造年すら不明なほど古いとか。 土蔵は2階建てで、外壁に土を厚く塗って柱が外側に見えないようにした「大壁造り」が特徴です。
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居宅
鳳凰の間以外の居宅は、すべて和風デザインで統一されています。 和室6部屋のうち角部屋に当たる2部屋は床の間、違い棚、明り障子、欄間から構成された伝統的な書院造。 庭園に向かって見晴らしの良い空間が広がります。 また、中央の廊下を境にして左右に分かれている、当時としては珍しい二世帯住居でもあります。
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廊下
家全体を取り巻く廊下は天井が数寄屋風。 自然光を意識した大きなガラス戸やガラス欄間を多用することで、開放感のある構造を構築しています。
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電話
屋敷の片隅にはヴィンテージものの電話機が埃をかぶっていました。 昭和初期から電話を商売に活用していたことが分かります。
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主庭
昭和初期の資産家の庭園が当時のまま残されている貴重な存在です。 縁先近くに池泉を、その背後に植え込みと築山を配し、滝を落とすという典型的な書院庭園。 面積は270坪(約890平方m)で、松やツツジなど約400本の樹木が植えられています。 滝は池の最奥に当たる入江奥に設けられ、庭に奥行きの深さを演出。 池を広く見せるため多方面に入江を設けてあります。 なお、コケ類保護のため立ち入りはできません。
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庭園はアメリカでも高評価
この主庭はアメリカの日本庭園専門誌「Sukiya Living」のランキング調査(2014年)で第3位に評価されています。 この調査は日本全国900カ所以上の旧所名跡、旅館、旧別荘が対象。 ちなみに順位が公表された2003年以降、山本亭は常に7位以内にランクインしているそうです。
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茶室
旧玄関があれば新玄関もあります。 旧玄関とは点対称の位置にあり、こちらで入場料を払います。 玄関を出ると目の前には茶室。 「にじり口」や「つくばい」のある本格派です。 間取りは4.5畳の広間、4畳の水屋、6畳の寄付き待合で構成。 茶道具の無料貸出も行っていますが、利用は有料で要予約です。
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健康ランドの大広間状態を覚悟
館内の大広間では喫茶メニューが供されております。 庭園を眺めながら抹茶、ぜんざい、コーヒー、ラムネなどが味わえます。 が、入館料が安いせいか大広間は爺さん婆さんに占拠され、まさに健康ランドの大広間状態。 それなりの喧騒を覚悟の上でご利用ください。
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柴又の象徴、帝釈天[たいしゃくてん]。 正式名称は「経栄山題経寺[きょうえいざん だいきょうじ]」といいます。 江戸時代初期の寛永6(1629)年に創建された日蓮宗の寺院です。 帝釈天とはインド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」に登場する軍神インドラのこと。 四天王(持国天/増長天/広目天/多聞天)を統率し、人間界を監視しています。
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二天門
参道の突き当たりに立つ二天門は明治29(1896)年に建立。 江戸建築最後の名匠と謳われた坂田留吉棟梁の手による総ヒノキ造りの門は、日光東照宮の陽明門を模したと言われています。 前出の四天王のうち南方守護の増長天と西方守護の広目天の像が安置されています。 この二天像は奈良時代の造像で、奈良大安寺にあった往古の文化財と伝えられています。
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大鐘楼
総ヒノキ造りの大鐘楼は昭和30(1955)年に名匠・林亥助棟梁の手で建立されました。 高さ約15mの桝組に施された木彫の見事さから、関東一の鐘楼と謳われています。 梵鐘は「昭和の銘鐘」と誉れ高く、「男はつらいよ」でも毎作この鐘の音が必ず鳴り響いています。 鐘の音は環境庁が制定した、後世に残したい「日本の音風景100選」にも「柴又帝釈天界隈と矢切の渡し」として選定されています。
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帝釈堂
日蓮聖人の手で刻字された板本尊を祀る帝釈堂。 二天門を手がけた坂田留吉棟梁が指揮して作り上げた総ヒノキ造りの建造物です。 堂の周囲には法華経の説話に基づく彫刻が巡らされており、文化財としても貴重な存在となっています。
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本堂(祖師堂)
帝釈堂の右側に立つのが本堂。 江戸時代はこの建造物が帝釈堂でした。 明治時代に現在の帝釈堂が完成したことで現在地へ移転。 大修理を施して現在の本堂(祖師堂)となりました。 なので題経寺の本尊は帝釈天の板本尊ではなく、こちらの本堂に安置されている「大曼荼羅」なのだそうです。
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釈迦堂
本堂の右隣に立つ釈迦堂は境内最古の建造物。 建立は文化文政期、1800年ごろと推測されています。 江戸伽藍造りの建築様式を現代に伝える貴重な存在です。
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喜見城
帝釈堂の奥に位置する喜見城[きけんじょう]は帝釈天の居城。 帝釈堂の胴羽目彫刻は引き続き喜見城まで巡らされています。
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彫刻ギャラリー
外壁はガラスウォールで覆われており、外から彫刻はよく見えません。 間近で鑑賞するには拝観料を払って彫刻ギャラリーに入場する必要があります。
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邃渓園
喜見城の更に奥、大客殿前に広がる池泉式庭園…それが邃渓園[すいけいえん]です。 昭和40(1965)年に「関東の造園師で右に出る者はいない」とまで謳われた向島の庭師、永井楽山氏の設計。 園内への立ち入りは禁止されてますが、拝観料を払えば屋根付きの廊下から鑑賞することができます。
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大客殿
邃渓園に面している大客殿は信徒の接待所として昭和4(1929)年に建てられました。 敷地150坪に木造平屋建ての総ヒノキ造り。 材料の材木は数百本の中から一本というほど吟味したそう。 この規模の木造建築は現在では構築不可能とか。 近江国伊吹山山麓にあった「日本一の大きさ」を誇る大南天を用いた、頂経の間の床柱は見もの。 現在、東京都選定の歴史的建造物に指定されています。
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拝観料
柴又帝釈天では邃渓園と彫刻ギャラリーのみ拝観料が必要です。 庭園と彫刻ギャラリー共通で大人400円、子供(小中学生)200円。 年末年始(12月28日~1月3日)は庭園が閉園。 彫刻ギャラリーは鑑賞可能で、拝観料は半額になるそうです。
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江戸川には江戸時代初期から続く、都内に唯一残る貴重な渡し船が現存しています。 葛飾区柴又と松戸市矢切を結ぶ「矢切の渡し」。 元は農民渡船で、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」にも登場しています。 船賃は片道で大人200円、子ども100円。 運航時間は午前9時半から午後4時半ごろ。 夏季(3月中旬~11月)は毎日運航。 冬季(12月~3月上旬)は土日祝日のみ運航で平日はお休み。 ただし、年末年始と帝釈天の縁日の日は運航されます。 臨時運航時は旗が上がるので、それを目印にしてください。 なお、運航日でも雨天や荒天の時は運休になります。
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土日祝祭日は松戸駅からバスが運行されています
松戸側の乗船場は公共交通機関から遠いためアクセスが不便です。 ただし、土日祝はJR松戸駅から矢切の渡しバス停まで京成バスが運行されており便利。 1日8往復で、運賃は片道220円です。
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「野菊の蔵」で観光情報ゲット!
矢切の渡しバス停の目の前に立つ蔵のような建物。 松戸市観光協会の案内所「野菊の蔵」です。 館内には矢切の観光名所や歴史をパネルで展示。 また、矢切の農産物や松戸の土産物も販売しています。 開館は土日祝の午前10時~午後4時。
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一躍有名にした大ヒット曲「矢切の渡し」
オリジナルは1976年にリリースされた、ちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲でした。 1982年にドラマの挿入歌に起用されたことから話題となり、A面曲としてシングルが再発売されます。 さらに翌83年、細川たかしや瀬川瑛子、中条きよしら7種類のシングルが競作で発売されるほど大人気に。 中でも細川盤は同年の第25回日本レコード大賞を受賞するほどの大ヒットを記録しました。
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松戸側桟橋
桟橋といってもそんなに大きくありません。 乗船しないのなら立ち入りは止めましょう。 水深が6m超と意外に深いので、万が一にでも落っこちると非常に危険です。
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柴又側桟橋
川幅は100mちょいと大して広くもないのですが。 なにせ小さい舟なので、わずか数分の乗船時間が随分と長く感じられることでしょう。 ちなみに矢切の渡しも柴又帝釈天のところで触れた「日本の音風景100選」に選ばれています。 川面を滑る舟が奏でる音色にも耳を傾けてみては?
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寅さんは矢切の渡しで柴又へ帰ってきました
「男はつらいよ」第1作の冒頭。 この「矢切の渡し」で寅さんは柴又へ20年ぶりに里帰りします。 ちなみに当時(1969年)の渡し賃は大人30円でした。
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柴又公園
先の白い道の奥が柴又側桟橋。 手前の堤防を越えるとすぐ、山本亭と寅さん記念館があります。 堤防から直接、寅さん記念館の光庭へ直行するエレベーターがあるので、それを利用すると便利です。
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山本亭から更に江戸川を遡った先のT字路に立つ川魚料理の名店。 創業は寛政年間(1789~1801)と200年以上の歴史を持つ老舗の料亭です。 「男はつらいよ」第1作、さくらと博はここで結婚式を挙げました。 ディナーは6千〜1万円と老舗ならではの価格設定ですが。 ランチは4285円と、手が届くかどうか微妙なところです。
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帝釈天二天門から参道に出てすぐの場所にある川魚料理の店。 創業は安永年間(1770年代)と250年近い歴史を誇る老舗です。 「男はつらいよ」第3作「フーテンの寅」で、寅さんに見合い話が持ち上がります。 相手はここ川千家の中居、駒子でした。 しかし彼女は寅さんの昔なじみのうえ、亭主に逃げられた身。 そのための見合いだと発覚し、またしても大騒動になります。 駒子を演じたのは春川ますみでした。
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昭和2(1927)年創業と90年弱の歴史を有する老舗の団子屋さん。 参道の老舗団子屋の中では新顔の部類ですが、場所は川千家の向かいと帝釈天から最も近い店です。 もちろん「男はつらいよ」にも登場しますが、下記の高木屋老舗やとらやほど濃密なエピソードはないようです。
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帝釈天参道の中程、参道をはさんで向かい合わせに店舗を構える草団子の大店です。 片側はテイクアウト専門、もう一方は甘味や食事のできる食堂になっています。 創業は明治元(1868〜69)年。 現在の建物は明治〜大正時代に建てられたもので、今も創業当時の風情を味わうことができます。 「男はつらいよ」一行が柴又でロケをする際、この店で出演者は休憩や衣装替えを行っていました。 店内の壁には渥美清や山田洋次監督、歴代マドンナの撮影当時の写真が飾られ、所縁の品々が展示されています。
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帝釈天参道の中程にある団子屋さん。 寅さん記念館のところで触れた通り、映画「男はつらいよ」の第4作までは、この店を借り切ってロケしていました。 撮影に使用されていた当時の建物は明治20(1887)年築と、貫禄のある建物だったのですが。 平成元(1989)年、老朽化のため現在の建物に建て替えられました。 ただし、1階座敷横にある階段は撮影当時のまま残してあります。 草団子だけでなく、ラーメンやご飯物など食事もできます。 ちなみにドラ焼でおなじみの赤坂の虎屋とは一切関係ありません。
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なぜ柴又の名物が草団子なのか?
江戸時代このあたりは一面の田畑。 当時の農家には蓬[よもぎ]を団子の中に搗き込んで食べる風習がありました。 農家の娘達が武家屋敷や商家の大店へ行儀見習いに行った際、主人宅へ唯一の贈り物として草団子を持参。 この素朴な風習が次第に評判を呼び、いつしか草団子は葛飾柴又の名物になっていった…という次第です。
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帝釈天参道のうち、柴又駅に近い角地に立つ川魚料理の店。 創業は天明年間(1781~1789)と200年以上の歴史を持つ老舗です。 鯉のあらいや鯉こくなど川魚料理の定食類が豊富。 値段はソコソコしますが、むしろ観光地価格だと割り切れば値頃感がありますよ。
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ゑびす屋の隣に、いかにも昭和テイストに仕上げました的な商店が。 「柴又ハイカラ横丁」といって、数千種類の駄菓子や雑貨を取り扱っています。 また、店の奥には今や絶滅危惧種となったレトロゲーム機が並んでいます。
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柴又のおもちゃ博物館
2階は「柴又のおもちゃ博物館」。 昭和の懐かしいオモチャが一堂に会しています。 実は葛飾区、おもちゃの街でもあります。 トミカやプラレールでおなじみタカラトミーの本社も、最近では呑んだくれの街でおなじみの立石にあるんですよ。 こうした葛飾のおもちゃ文化を後世に伝えようと出来たのが、この博物館なんですね。 入館料は200円(1歳以上)。 開館時間は土日祝の11~18時です。
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寅さんワールドの最寄り駅は京成金町線柴又駅。 駅前には車寅次郎の銅像が立ち、観光客が記念にツーショット写真を撮りまくっています。 とはいえ京成金町線自体が全線単線。 しかも駅が2つしかないという23区内屈指のローカル線。 駅前は今なお「寅さん」時代の昭和の風情を色濃く漂わせております。
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柴又駅
京成金町線は京成本線高砂駅とJR常磐線金町駅の間を結んでいます。 高砂駅では一度改札を出ないと乗り換えできません。 京成とJRの金町駅は道を挟んで向かい合っています。 金町線そのものはローカル線ですが、都心へのアクセスが容易で利便性が高いため、ラッシュ時は大混雑するので要注意!
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参道入り口は山田洋次監督のレリーフが目印です
一番冒頭に掲げた寅さんのセリフを山田監督の直筆で刻み込んだレリーフが、参道入り口に立っています。 これから寅さんワールドへ向かう人は、このレリーフを前に期待を膨らませてもよし。 寅さんワールドを後にした帰りしななら、このレリーフを前に思い出を噛み締めてもよし。 寅さんワールドへの門出と締めくくり、どちらにも役立つ隠れた「名所」です。
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