
彦根と近江八幡。草津の雰囲気を楽しみつつ
滋賀彦根と近江八幡。草津の雰囲気を楽しみつつ
まいどまいど! 天下の台所と呼ばれてきた大阪は古くから日本の中心として栄えてきました。 日本の最古の首都として難波宮が造営されて以後、首都機能が奈良・平城京、京都・平安京に遷都後も副首都としての機能を果たし続けた。 そして、ときは江戸時代。 豊臣秀吉に代わって徳川家康により大阪経済が支えられ、全国から物資が集まる天下の台所として発展した。 以後の大阪は近代紡績業として発展し、東洋最大のマンチェスター(煙の都)としての異名を持つほど、煙突が乱立した。 そして、そんな大阪経済を古くから支えてきたのは、大阪出身の大阪商人をはじめ、三重県出身の伊勢商人、そして、滋賀県出身の近江商人。 今回は大阪と縁の深い近江、つまり、滋賀県にスポットを当ててご紹介していく。 近江出身の商人により大阪で創業・起業、または現在も本社・本店を置く企業に代表されるのが、百貨店の大丸や高島屋、商社では伊藤忠商事、丸紅、住友財閥、ヤンマー、そして、日本生命等が挙げられる。 こうしたことから、大阪経済を支えてきたのは、滋賀県民といっても過言ではありません。 大阪と何かと縁の深い滋賀県を今回は旅します。
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滋賀県彦根市のマスコットキャラクターといえば、「ひこにゃん」。 江戸時代、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝に縁ある1匹の白猫がモデル。 東京都世田谷区にある豪徳寺で、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝が雨にあい、大木の下で雨宿りをしていた際に、手招きをする白猫を見て近寄ったところ、直後に大木に雷が落ちた。 この白猫のおかげで難を逃れたと感じた直孝は感謝し、後に豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。 この白猫の伝説「招き猫発祥伝説」の一つが由来。 戦国武士の兜を頭に、直立二足歩行をする。 兜は井伊家の伝来品がモデルで、様式(天衝脇立)は城主のものと同じ。
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江戸時代、彦根山に井伊氏の拠点として置かれた平山城。 別名、山は「金亀山」と呼ばれているため、城は金亀城とも。 天守と附櫓及び多聞櫓が国宝に指定。 安土桃山時代、江戸時代の櫓・門、そして、全国的にも珍しい馬屋などが現存し、国の重要文化財に指定。
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旧大名庭園。 「彦根城跡」および隣接する楽々園とともに「玄宮楽々園」として国の名勝に指定。 1678年、彦根藩4代藩主井伊直興によって整備。 園内は中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝(唐時代)の離宮庭園を参考に、「瀟湘八景」を「近江八景」に置き換えて作庭されたといわれる。 天守を借景として、中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物が配されている。
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クラフトビールを製造している長浜ロマンビールではブランド「長浜エール」を販売している。 長浜エールは、クラシックなエールが基本。 一般的なビールとは違ったほろ苦い味が楽しめる。 日本地ビール協会主催のビア・コンペティション「ジャパン・カップ ’99」アメリカン・エール部門で金賞受賞。
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祭神は、誉田別尊、息長足姫尊、比賣神。 二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財。 131年、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創。 応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所が設けられ休憩した後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという現象があり、祠を建てた。 藤原不比等が参拝、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改称。 八幡山(法華峰)社を建立、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。 遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付ける。 豊臣秀次が八幡山城築城の為、上の八幡宮を下の社に合祀。 日牟禮八幡宮と改称。
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八幡山の山頂までを結ぶ八幡山ロープウェー。 車窓からは四季折々の景色が楽しめるほか、晴れた日には、近江八幡市内を一望することができる。
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八幡山の山頂付近からの景色
目の前に広がる琵琶湖を望む。
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別名、近江八幡城とも呼ばれている。 独立丘鶴翼山、通称、八幡山に築城。 築城当時、東西に内湖があり、南の平野部に城下町を配した。 八幡堀は琵琶湖の水を引いて作られた堀としての役割を果たしただけでなく船や人が行きかう水運としても利用された。 1582年、安土城は、清洲会議を経て三法師(織田秀信)を城主に、織田信雄を後見人として再興する計画があった。 1585年、豊臣秀次は安土城の隣地に八幡山城を築城。 安土城の建物や城下町を移築した。
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智は弟の豊臣秀吉に長男の秀次を養子として出していたが、秀次は切腹を命じられ、秀次の妻子も三条河原で処刑、夫の三好吉房も流刑となった。 唯一残された智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家、以前から帰依していた日蓮宗による寺院を嵯峨の村雲に開いた。 嵯峨から西陣(今出川堀川)から秀次ゆかりの八幡山城址に移された。
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滋賀県近江八幡市旧市街地にある伝統的建造物群保存地区の名称。 1585年、豊臣秀次によって八幡山城を築城。 八幡山周辺の八幡地区に建設された城下町を起源とする。 廃城後、八幡堀を利用した水運が発達し、交通の要衝として栄え、発展した。 八幡伝統的建造物群保存地区には歴史的な建築物が多く、日牟禮八幡宮、八幡堀、新町通りの近江八幡市立資料館、旧西川家住宅、旧伴家住宅に代表される。
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安土桃山時代、豊臣秀次が八幡山城を築城。 市街地と琵琶湖を連結するために造られた。 八幡堀により水運を中心とする商業が発達し、江戸時代には近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。 現在、周辺は「近江八幡市八幡」の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定。
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背割排水
下水道の役割を果たしてきた背割排水。 八幡堀につながっており、古くから伝わる様式の排水路として注目を集めている。
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1877年、八幡東学校として建設。 子供の教育の充実を目的として建設費用の約半分を近江商人の寄付によって賄った。 1891年、廃校となり、八幡町役場、蒲生郡役所などに使用された。 現在は、観光案内所等として活用されている。 近江蒲生郡の大工・高木作右衛門による擬洋風建築。
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医薬品のメンソレータム、メンタームなどで知られる近江兄弟社の発祥地。 1905年、八幡商業学校に赴任してきた建築家W・M・ヴォーリズが、八幡基督教青年会館を建設してバイブル・クラスを開設したが、町民の反感を買い教師を解職させられた。 1908年、ヴォーリズ建築事務所を開き、学校、教会、病院などの設計・建築を行った。 村田幸一郎・吉田悦蔵と共に「ヴォーリズ合名会社」を設立、「近江セールズ株式会社」を創業。 社名の由来は、創業者ヴォーリズの愛した地名「近江」と、キリスト教・クリスチャン精神に基づき目的に向かって心を一つにする仲間という意味を持った「兄弟」を合わせて命名。
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1880年、アメリカ合衆国生まれの建築家。 滋賀県近江八幡市で、英語教師として来日後、建築家として多くの建築物を設計していく傍ら、医薬品製造販売会社の近江兄弟社の前身、ヴォーリズ合名会社を創立。 メンソレータム(メンターム)を日本に普及させ、「近江ミッション」を設立。 1941年、日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗った。 「米来留」とは米国より来りて留まるという洒落である。 「青い目の近江商人」、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。
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1585年、創業のセレクトショップ。 扇子などを販売している。 県指定文化財に指定された西川庄六邸が店舗となった大文字屋が入居。
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歴史民俗資料館は、森五郎兵衞の控宅で、近江商人(八幡商人)の往時をしのぶ帳場風景や生活様式の保存、公開を行っている。 裏庭には、民具、農具などが展示されている。
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森五郎兵衛
当地に生まれ、豪商伴伝兵衛家にて丁稚奉公。 主家の主である伴伝兵衛自らが五郎兵衛奉公中の忠勤を事細かく記した褒賞状を作り、資金と共に五郎に手渡し、別家を立て独立することを許した。 独立後、煙草商となり、江戸に出店を設け、近江の麻布に関東地方の呉服を扱った。 五郎兵衛の没後、後継者は代々、森五郎兵衛と称し、屋号を近江屋三左衛門。 また「扇叶」と称して八幡御三家の一つに数えられる。
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旧伴家住宅として保存、公開を行っている。 江戸時代、伴庄右衛門家は八幡商人の一人として知られ、屋号は「扇屋」。 主に畳表・蚊帳を商い豪商となった。 5代目の伴庄右衛門資芳は隠居後京都で暮し、伴蒿蹊と称して国学の道に進んだ。 当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校として利用された。 戦後、近江兄弟社図書館となり、近江八幡市立図書館として親しまれた。
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バームクーヘンやロールケーキ、マカロンなどで有名なクラブハリエ。 滋賀県近江八幡市発祥のクラブハリエは、たねや。
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バームクーヘン
中でも一番人気の商品はバームクーヘン。 お持ち帰りだけでなく、店頭から直接、宅配便で発送もできる。
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安土城建設前の安土山には、明智光秀の配下で、近江守護佐々木氏に仕えた御家人格の目加田(目賀田)氏の居城で、観音寺城の支城であった目加田(目賀田)城があった。 42代目賀田摂津守貞政は織田信長に明け渡した。 織田信長は当地に安土城を築城。
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羽柴秀吉邸
羽柴秀吉、豊臣秀吉の邸宅跡。
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徳川家康邸(摠見寺仮本堂)
徳川家康の邸宅跡。 摠見寺の仮本堂。
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織田信忠邸
織田信忠邸宅跡。
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織田信長公本廟
羽柴秀吉によって建立され、信長の太刀や烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟とした。
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安土城
地下1階、地上6階建てで、天主の高さが約32m。 総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、瓦奉行には小川祐忠、堀部佐内、青山助一があたった。
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山頂付近からの眺め
安土城があったとされる場所から近江八幡市内を一望。
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臨済宗妙心寺派の寺院。 山号は「遠景山」。 安土城築城の際、織田信長によって城郭内に建立。 寺の一部を焼失し、徳川家康邸跡と伝えられる場所に仮本堂を建立。
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名神高速道路のパーキングエリア。 売店、無料道路案内所などがある。 また、歩道橋が設置され、上下線の施設を相互利用できる。
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牛しぐれ煮丼
牛がたっぷり。
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近江鶏の親子丼
滋賀県名物の近江鶏。
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肉巻きおにぎり
肉の旨みとご飯とのバランスが絶妙。
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