
星降るまち!?の真実
大阪星降るまち!?の真実
まいどまいど! 大阪府交野市では市内中心部を天野川が流れ、七夕伝説に登場する「天の川」ゆかりの地としても知られてまんねん。 市内には星にまつわる伝説が数多く残り、織姫と彦星の出会いを彷彿させるかのよう。 また、交野市では星が降る街としても知られ、郊外に鎮座する磐船神社は知る人ぞ知る穴場スポット。 御神体は舟形巨岩「天の磐船」として知られ、一説によると天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊が「天の磐船」に乗って河内国河上の哮ヶ峯に降臨されたと言う。 境内中心部に位置する拝殿には、大きな巨石「天の磐船」が横たわり、境内奥では・・・なんとあの”体験”もできるかもしれまへん。 ほんでまた星田妙見宮も忘れてはあきまへん。 810年頃、弘法大師が交野の地を訪れ、天から星が降って地に落ちた。 その落ちた場所の一つとも伝説が残ってまんねん。 その他、奈良県と大阪府にまたがる生駒山地・金剛山地一帯、大阪府と和歌山県にまたがる和泉山脈一帯から構成された国定公園。 その公園の一部が、徳川家康ゆかりの地としても知られ、その周辺も、大坂の陣で豊臣軍と戦った徳川家康の足跡が。
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京阪電気鉄道交野線の停車駅の一つ。 1929年、信貴生駒電鉄枚方線の終着駅として開業。 1939年、交野電気鉄道の駅となる。 1945年、京阪神急行電鉄の駅となる。 1949年、京阪電気鉄道の駅となる。 1979年、新駅舎完成。 2002年、第3回「近畿の駅百選」に認定。
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大阪府交野市にある施設。 2012年、開設。 ここでは、交野市内の観光案内の他、交野の匠のこだわり商品、特産品、織姫グッズ、お弁当や焼き菓子、パンなどが販売されている。
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一級河川「天野川」の日の出橋から八幡橋までの約430mには、豊かな自然環境、多種の動植物が生息している案内。
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祭神は、私市・森両部落の氏神で住吉4神。 古代、肥沃な土地で作物が豊かに実ったので甘野といわれ、川は甘野川、田は甘田であった。 この甘田に田の神を祀って建てた「甘田の宮」のが天田神社の起源。 物部氏の勢力が交野地方に及び、祖神の饒速日命を祭神として祀られた。 平安時代、宮廷貴族が狩猟に訪れ、和歌を詠んだ。 七夕伝説に因んで、甘野川が天の川、甘田は天田と書くようになった。 住吉信仰が流行し、巌船の神も海に関係があると考えられ、更には物部氏の衰退もあり、交野の神社の祭神は饒速日命から海の神で和歌の神でもある住吉神に替わったとか。 境内からは祭祀に使用された様々な土師器片が出土。
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森古墳群
交野最古の古墳と考えられる「森古墳群」が発見された。
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大阪府交野市にある施設。 いわふね渓谷のほとりに位置するレジャースポットである。 ここでは、体育室、会議室、研究室などがある他、ロッジ、キャンプ、陶芸などが楽しめる。
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大阪府交野市にあるハイキングコース。 周辺は、交野八景の一つに数えられている。 尺治の翠影(すいえい)」の「尺治」とは、付近にある谷の名で、古くから神がおられる神聖なところとされ、滝や大岩などが信仰の対象となっていた。 翠影とは、青葉の茂った木の影という意味で、鬱蒼と樹木の茂った陽も差し込まない一帯に「尺治川」が流れている。 また、「月輪の滝」があり、獅子窟寺の修験者たちは修行の場として通っていたと言う。
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1806年、星田村の領主市橋長昭と星田村平井三郎右衛門貞豊が、大坂夏の陣の折に徳川家康の陣営として活躍した先祖の市橋長勝の遺徳を偲んで建立。 1615年、大坂夏の陣では徳川家康が星田の平井家に宿営。 付近の新宮山に陣を敷いた際には八幡宮社前の松の大木に軍旗の白旗を掲げて、八幡神の御神徳を仰いだという逸話も。 現在、交野市の指定文化財。
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大阪府交野市にある寺院。 創建時期など、詳細は不明となっている。 江戸時代、融通念仏宗佐太来迎寺(現在の守口市)の末寺であった。 室町時代、薬師如来立像、千体仏が作られた。 現存する千体仏は671体(類似する薬師如来は426 体、地蔵菩薩が192体)。 薬師如来は、薬師如来は、別名を大医王仏と言い、健康成就の祈願として信仰を集めてきた。 地蔵菩薩は、願いが叶わずこの世を去った人々を救う役割をしてきたと言う。
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創建時期など詳細は不明となっている。 室町時代には既に建立していたとされる。 住吉四神を祀る以前に交野大明神を祀る社が存在していた。 1700年代、磐船神社の御分霊をお祀りすることになった。 また、星田寺が隣接し、同社の神宮寺として親しまれてきた。
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星田寺は星田神社に隣接し、同社の神宮寺であったため、宮寺と呼ばれている。 創建時期など詳細は不明となっている。 境内では、室町様式の一石五輪塔を保存している。 河内守護職畠山氏の臣で当地の豪族星田家の祖小松城主遠藤昌親の弟昌俊の墓塔と伝わる五輪塔が存在している。
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1997年、星田公園として開園。 園内には石清水八幡宮の分霊を祀ったことから新宮山と呼ばれる標高約65mの山がある。 新宮山八幡宮は明治時代に遷座。 園内には大坂夏の陣で活躍した徳川家康の本陣跡・旗掛け松跡がある。
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1997年に開園した星田公園内にある碑。 1615年、大坂夏の陣の折、平井家に宿陣。 徳川家康は当地に本陣を置き、ここに旗印を掲げたという「旗掛け松」が存在。 当時の松は明治時代に枯死。
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1997年に開園した星田公園内にある碑。 大阪府交野市に鎮座する星田神社の八幡社はかつて新宮山の山頂付近に鎮座。 新宮山八幡宮としてお祀りされていたが明治時代の神仏分離により、星田神社の末社の八幡社に遷座。 八幡宮は平安時代、南都大安寺の僧・行教和尚が豊前国(大分県)・宇佐八幡宮から男山の峯(石清水八幡宮)に御神霊を移す際、新宮山に立ち寄った。 後に周辺は石清水八幡宮の荘園となり、守護神として石清水八幡宮の分霊を勧請してお祀りし、石清水八幡宮を本宮、当地を新宮と呼んだ。
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新宮山八幡宮址
室町時代、宮寺「愛染律院」は神仏習合の形で八幡社の傍に六小社、寺院六支院。 1615年、大坂夏の陣では徳川家康が星田の平井家に宿営し、新宮山に陣を敷いた際には八幡宮社前の松の大木に軍旗の白旗を掲げて、八幡神の御神徳を仰いだという逸話も。
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星田村を管轄する旧村役場。 星田村は、1697年から1843年にかけて作成された「星田村大絵図」「元禄十年星田村絵図」「天保十四年星田村絵図」に登場。 1614年から1615年、豊臣家と徳川家による大坂の陣が勃発。 徳川家康は大坂夏の陣の時、兵を引き連れて、京都の二条城を出発、東高野街道を通りながら、星田の地に到着。 三河の出身で家康と縁の深い村長の平井清貞宅に宿陣。 後の「御殿屋敷」。 平井家では、早くから連絡を受け、広大な屋敷の北にある奥書院を修繕。 後に星田村の領主になる市橋長勝氏は兵を率いて、村を守っていたため、豊臣方に焼き払われずに済んだと言う。
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豊臣家と徳川家康
翌日、家康は四條畷の徳川秀忠軍とともに豊臣方を攻め、大坂城は落城。 家康の旗印は、新宮山八幡宮の庭の松に高く掲げられ「旗掛け松」と呼んだ。
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この地には、七曜の星が降ったとの伝説が残り、今に伝える。 その数は、妙見山に2個、光林寺に1個、星ノ森には5個だと言う。
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交野市のシンボル
星降る街交野市内には、星を模った石碑が各地に点在している。
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交野は古くから桜の名所としてにぎわい、「妙見の桜」は源氏滝の清涼、交野山の来光、尺治の翠影などと並ぶ「交野八景」の一つ。 桜並木は星田妙見宮と星田神社の間を流れる妙見川沿い約750mに位置し、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヒカンザクラなど約400本の桜が植樹された。 桜の咲く季節になると多くの見物客でにぎわう。
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宗派は法華宗本門流。 創建は1704年。 開山は耕雲院日応上人。 前身にあたる小松寺は奈良時代に創建されるも江戸時代には廃寺となった。 宗派は真言宗東寺派。 全盛期には僧侶120人、児童38人、僧侶の住居は67棟とも。 現在、寺域内には室町様式の一石五輪塔、河内守護職畠山氏の臣で当地の豪族星田家の祖小松城主遠藤昌親の弟昌俊の墓塔と伝わる五輪塔も。
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奈良県と大阪府にまたがる生駒山地・金剛山地一帯、大阪府と和歌山県にまたがる和泉山脈一帯から構成された国定公園。 1958年、金剛生駒国定公園として指定。 1996年、和泉山脈一帯を編入し、名称を金剛生駒紀泉国定公園に変更。
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1582年、織田信長が京都の本能寺において明智光秀の反逆によって自害。 その時、少人数の近臣を連れて大阪の堺に滞在していた徳川家康はその情報を聞き、身の危険を感じて本国の三河へ戻ることに。
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竹藪
道中、この竹藪に隠れ、潜んだ。 山城方面に出るため村の長・平井氏に連絡し、道に精通する農民を道案内人に出すよう依頼。 平井家では沢山の握り飯を鶴の絵の描かれた大皿に盛り、信頼できる二人の農民を選出し、無事に道案内の大役を果たしたという。
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当山に伝わる816年7月23日の七曜星降臨縁起の隕石落下地点が、この滝壺。 北斗七星と同じ方向からやって来るペルセウス流星群、その母彗星スイフト・タットル彗星からの隕石であったという。
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星田神社の創建時期は不明。 主祭神は、表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命。 小松神社の創建時期は、平安時代。 810年頃、弘法大師が交野の地を訪れた。 その時、天から星が降り、地に落ちた。 その落ちた場所の一つが小松神社とされる。 かつて、「神禅寺」「星田神禅寺」と称していた。 主祭神は、天之御中主大神。 右には、「七夕伝説」「羽衣伝説」の説明が記載。
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星の降臨
我が国の隕石落下記録上、二番目に古いとされる816年の星の降臨によって、この山の大部分が吹き飛ばされ、馬蹄形になっています。山を登りながら、当時の衝撃のすさまじさ、宇宙の神秘を感じてください。 とある。
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交野が原と余呉湖の羽衣伝説。そして交野七夕伝説へ。
「ひとり仙女あり。この渓水に浴し逍する所、少年の戯れにその衣を密す。ゆえに帰る事能ず。遂に夫婦となりて後三年を経て飛び去る。ゆえに天川と号す。」 『曾丹集』(曾禰好忠の歌集、平安時代) 「織姫子孫、河内天の川にあり」 藤原顕昭(平安末期)の著書『袖中抄』は余呉海と題して七夕伝説を詠い、斯く結んでいる。 ここでは、大阪に古くから残る七夕伝説に関する説明と、羽衣伝説に関する説明が書かれている。
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妙見山
妙見山山頂付近には本殿が建立。 階段を一段ずつ登る。
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社務所横には大きな石が。
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妙見山の山頂付近からは交野市内を一望。
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祭神は、遠祖神天孫饒速日命。 御神体は、舟形巨岩「天の磐船」。 創建時期など、詳細は不明。 一説によると、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊が「天の磐船」に乗って河内国河上の哮ヶ峯に降臨されたと言う。 境内中心部に位置する拝殿には、大きな巨石「天の磐船」が横たわり、境内奥では、岩窟巡りが可能。 ここでは、平安時代から修行のために、慣行されていたとされ、今では、その洞窟巡りが注目を浴び、密かな話題を呼んでいる。