
コウノトリ空港でキャンプ!?神鍋高原でキャベツ!?出石城下町では出石そば
兵庫コウノトリ空港でキャンプ!?神鍋高原でキャベツ!?出石城下町では出石そば
まいどまいど! 日本海に面した海の町・豊岡市。 ここには絶滅危惧種コウノトリの繁殖に成功した町として知られ、全国的に有名な場所の一つでんねんけど、そんなコウノトリから但馬飛行場の愛称にも選ばれました。 コウノトリ但馬空港からは飛行機が飛び、その飛行機が飛ぶための滑走路の目の前には全国的にも珍しいキャンプ場。 飛行機の離着陸を目の前で見ながらキャンプを楽しむことができる、と今まさに話題になってまんねん。 またかつては火山があったといい、その名残を今に伝える火山弾も保存、展示。 貴重な資料ともなってまんねん。 また、鞄の生産地であることから商店街にはカバンストリートが登場。 商店街にはカバンにまつわるお店がぎょうさんおまっせ。 さらに、お菓子の神様まで鎮座しているという不思議な町。 そこで、ドライブ途中におすすめなのは、道の駅神鍋高原。 なんや、ここに珍しいゲームがあるんやて!? そして、キャベツのUFOキャッチャーやキャベツのお菓子がい~っぱい。 まさにキャベツ尽くしでんねんけど、お土産に悩みまっせ。 ほんで何よりも名物なのが出石城下町におます出石そば。 お昼時になるとどのお店も大繁盛。
-
コウノトリ但馬空港という愛称で親しまれている但馬飛行場。 1994年、日本初の「コミューター専用空港」として開港した。 ターミナル横にはYS-11及びエアロコマンダー式680FL型の退役機が展示。 主翼の真下からの見学も可能。
-
記念撮影
ターミナルでは、記念撮影を楽しむこともできる。
-
但馬空港 火山弾
兵庫県豊岡市にあるコウノトリ但馬空港付近には23万年前の火山噴火口跡があり、溶岩が固まった巨石群が広がっている。 噴火口跡は滑走路の南端部にあたる東約150m付近に位置し、溶岩跡とされる岩石も。 現在、地名が由来となり、「上佐野火山」と命名。
-
-
兵庫県豊岡市にあるコウノトリ但馬空港敷地内にあるキャンプ場。 飛行機の離発着を眺めながらキャンプを楽しむことのできる日本で唯一のキャンプ場所。 滑走路は目の前にあり、安全のために柵も設置。
-
航空機内の見学が可能
付近で常設展示されている航空機YS-11は自由に見学することが可能。 平日のみ、航空機内の見学が可能。 キャンプ場内では持ち込みテントプラン、オートサイトプラン、デイキャンプなど。 飛行機を実際に搭乗して利用すれば手ぶらでキャンプができるサービスも。 テント、寝袋、コット、テーブル、チェア、バーベキューコンロなど。
-
-
蘇武岳から湧き出る新鮮な水「蘇武の縄文水」と国産大豆を100%使用した手作りの生豆腐を中心に製造販売。 また併設された喫茶「まめcafe」では地元特産の米や野菜を使用した湯葉丼セット、豆腐や豆乳、おからを使用した日替わりセット、湯豆腐セット、ケーキセット、豆乳ソフトクリームなどが楽しめる。
-
お持ち帰りでも美味しく
手作り豆腐の鮮度をそのままに。 ご自宅でも楽しむことができる
-
-
宗派は浄土宗。 山号は護国山。 奈良時代、聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、但馬国国分僧寺の後継寺院にあたる。 現在の境内は創建期の国分寺跡と重複し国分尼寺跡も立地。 741年、国分寺建立の詔の頃に創建。 国分寺領は法勝寺を本家として荘園化。 1338年、光厳上皇の院宣によって「法勝寺領但馬国分寺」が白河中将(白河伊宗)に安堵された。 1351年、地頭の伊達朝綱が南北朝の戦いで「国分寺」に参陣。 1371年、白河侍従に安堵された。 1391年、奈良の西大寺の末寺。 1560年、国分寺の土地の一部が日光院に寄進。
-
但馬国分寺
1580年、羽柴秀長による第2次但馬征伐で国分寺城の大坪又四郎が討たれた。 1759年、釈迦如来像が京都から但馬国分寺の跡地に移されて再興。 1763年、堂再建の勧進として国中への托鉢が行われた。
-
-
1994年、植村直己記念スポーツ公園内に開館。 兵庫県豊岡市出身で国民栄誉賞を受賞した世界的冒険家・植村直己の偉業顕彰が目的。 2003年、全館リニューアルオープン。 寄贈された北極圏犬ゾリ単独行装備品を含む約300点の遺品や記念品、写真、映像などが展示。 設計は、建築家栗生明。 日本建築学会賞を受賞。 1941年、生まれ。 少年時代、同郷の加藤文太郎に憧れ、学校行事で登った蘇武岳を皮切りに但馬の嶺々への山行を開始。 兵庫県立豊岡高等学校卒業後、一般企業に就職。 明治大学農学部農産製造学科に入学し山岳部に入部。 小林正尚はアラスカ旅行で氷河を見たという話を聞き、海外に興味を抱く。
-
植村直己
横浜港から移民船「あるぜんちな丸」に乗船し、海外へ。 明治大学のゴジュンバ・カン(チョ・オユーII峰)登頂隊に途中参加、登頂を果たした。 以後、マッターホルン単独、アフリカ最高峰キリマンジャロ、南米最高峰のアコンカグアなどで単独登頂に成功。 マッキンリー単独初登頂(世界初の五大陸最高峰登頂成功)、犬ゾリ単独行で北極点到達(単独到達世界初)、マッキンリー冬期単独登頂(世界初)などの偉業を成し遂げた。
-
-
多目的ドームを主体とするスポーツ施設。 ここでは、開閉式屋根を装備した全天候型ドーム、屋外グラウンド、ラグビーコート、サッカーコート、憩いのスペース、林間ランニングコースなどから構成。 また、毎年8月に開催される兵庫神鍋高原マラソン全国大会の発着点となっている。
- アプリで地図を見る
-
キャンプ場内にはフリーテントサイト、マウンドアップテントサイト、炊事棟、洗い場など。 また1日4組限定でドッグランが利用できるドッグランサイトも。
-
京都府宮津市と鳥取県米子市とを結ぶ国道482号沿いにある道の駅。 1993年、道の駅としてオープン。 付近は、大正時代からの歴史を持つスキー場がある他、パラグライダー、ゴルフ、テニスなどが楽しめるレジャーエリア神鍋高原として知られ、ここでは、神鍋温泉の温泉浴場、地元の特産物などを中心に販売する売店、地元の旬の食材を中心に楽しめるレストラン、神鍋高原やその周辺の観光情報の発信や郷土資料館が併設されている。
-
神鍋 甘藍
兵庫県豊岡市にある道の駅神鍋高原で活躍するキャラクター。 名前は、「神鍋 甘藍」と書いて、「かんなべ かんな」と読む。 昔、キャベツのことを「甘藍(かんらん)」と呼んでいた。 名前の由来は、神鍋高原特産の「キャベツ(甘藍)と神鍋の「な(菜)」から命名。
-
キャベツチップ
神鍋高原の自然豊かな環境を生かし、キャベツの栽培が盛んとなっていて、キャベツに関するお土産や「キャベツチップ」をはじめとする菓子などが販売されている。 特に、2016年に導入されたUFOキャッチャーの景品は神鍋高原で栽培されたキャベツを使用した「キャベツチップ」となっていて、話題となっている。
-
-
「観光百選」にも選定された阿瀬渓谷の一部にあたるキャンプ場。 場内には遊具広場、イベント広場、親水広場、体験農園がある。 体験農園では稲刈り、芋ほり、果樹園など。 また、地下500mから湧き出る蘇武峡温泉を利用した温泉施設「湯の原館」がある。
-
出石町やその周辺の名物や特産品などを中心に販売している専門店。 また店内には飲食店があり、出石名物の出石そばなどを味わうことができる。 コンセプトは「いずしを さらに そばに」
-
城下町資料館ミュージアムは、武具や調度品の展示、大名行列の様子が再現。 付近の小嶋製陶所ミュージアムでは、伝統工芸出石焼の制作工程が再現。
- アプリで地図を見る
-
織物工場跡 出石名物の出石そばなどを味わうことができる飲食店。 出石町やその周辺の名物や特産品などを中心に販売している。 1997年、創業。 地ビールの醸造も。 メニューはうどん、そば、但馬牛なども。 その他、そば打ち体験も。
-
出石名物の出石そばなどを味わうことができる飲食店。
-
メニュー
メニューは月見そば、とろろ山菜そばなど。
-
-
但馬国守護となった山名時義が此隅山城を築城。 1569年、織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征で落城。 山名祐豊は今井宗久の仲介によって織田と和睦、領地に復帰。 1574年、祐豊は有子山城を築城、麓に下館も築き、小城下町の体を成した。 1580年、羽柴秀吉による第二次但馬征伐で有子山城も落城、但馬国山名氏は滅亡。 前野長康、小出吉政が城主を務めた。 関ヶ原の戦いで吉政が西軍、弟・秀家は東軍についた。 1604年、小出吉英により有子山城が廃止されるも、郭や館を出石城と命名し、居城とした。 一国一城令により、出石城が但馬国唯一の城郭となった。 江戸時代、出石藩の藩庁となる。
-
但馬国唯一
松平(藤井)忠周や仙石政明が入城、廃藩置県まで仙石氏の居城となった。 明治時代、廃城令が発令。 辰鼓楼、堀、石垣などが現存、隅櫓、登城門・登城橋などが復元。
-
出石そば発祥の由来
出石町を代表する郷土料理の一つ。 1706年、信濃国上田藩と但馬国出石藩の国替えとなった仙石政明が、信州そばの職人を同行させたことに始まる。 ほとんどの店舗では一人前5皿で、1皿に盛られた蕎麦の量は少量。 蕎麦は実を丸引き、色は茶褐色。 徳利に入ったダシ、薬味は刻みネギ・おろし大根・ワサビ・トロロ・生鶏卵など。 毎年4月第3日曜日、わんこそば形式の大食い大会「出石名物そば喰い大会」が開催される。
-
-
出石総合支所敷地(旧出石町役場、旧弘道小学校敷地)にある時計台。 高さは石垣約5m、木造部分は約13m。 1871年、城の石垣など廃材を利用して建設。 当初、太鼓で時を告げていた。 1881年、旧藩医の池口忠恕が大病を患った際、地元民から御見舞いや全快祝いを受けたことへの御礼として機械式大時計を寄贈して辰鼓楼に設置、日本国内では札幌時計台に次ぐ二番目に古い時計台となった。
-
近くから
自由に見学することができる。
-
-
かつての出石城の城下町。 国の重要伝統的建造物群保存地区・豊岡市出石伝統的建造物群保存地区として選定。 室町時代、有子山城は守護大名山名氏の居城となった。 外様大名小出吉英により出石城が築城、仙石家の城下町となって発展。 江戸時代三大お家騒動の仙石騒動の舞台である。 1876年、大火により焼失。
- アプリで地図を見る
-
但馬國出石観光協会 兵庫県豊岡市出石町内町104−7 出石やその周辺の観光案内や情報発信などを行っている。 また施設内では出石やその周辺の名物や特産物の販売も。
-
おそばにあんさん
お土産も販売。
-
-
1870年代、生糸を商う豪商福富家の本邸、主屋、離れ、土蔵などが建設。 1977年、施設として公開。 施設内では仙石騒動や藩政の記録、出石藩関係の史料、古地図、武具、茶臼山古墳からの出土品等を展示、公開。
-
日本酒の楽々鶴などを醸造、販売する専門店。 1708年、創業。
-
全但バスの停留所「宵田町」。 豊岡市では鞄の製造販売が盛んで、市内中心部では商店街「カバンストリート」があり、当地は最寄りの停留所の一つ。 停留所の外観も鞄。