糸割符会所跡
大阪府堺市堺区櫛屋町東3丁1-7日本において重要な輸入品は中国産の生糸(白糸)であった。
生糸の輸入に関して外国商人が値段決定の主導権を有して利益を独占、これを抑えることを目的として糸割符制度が行われ、「糸割符仲間」が組織された。
1604年、江戸幕府は京都の豪商である御用商人茶屋四郎次郎を主導者として、江戸・大坂・堺・京都・長崎の5ヶ所の商人に生糸の買い付け、配分を行う独占的輸入権と国内商人への独占的卸売権を与えた。
特に、鎖国実施などによる貿易制度の変化により、糸割賦会所、市法会所、割符会所と改称を経て、1698年に長崎県では長崎会所が設立され、後の長崎税関となった。