五条駅(京都府)周辺のおすすめ文化スポット情報が掲載されているページです。
扇塚
京都市下京区と東山区に架かる五条大橋の西北側には、かつて御影堂扇があった。 平安時代、扇は当地で初めて作られた。 一ノ谷の合戦で平敦盛没後、妻は室本寺祐寛上人によって得度、蓮華院尼と名乗り、寺僧と共に扇を作ったとか。
伊藤若冲生家跡
伊藤若冲は江戸時代に活躍した画家。 1716年、生まれ。 京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男。 名は汝鈞、字は景和。 別名、春教、斗米庵、米斗翁、心遠館、錦街居士。 4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名。 号「若冲」は「老子」の「大盈若沖(沖は「虚しい、空っぽ」の意、冲は沖の俗字)」から。 意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」。 「動植綵絵」を描き、鹿苑寺大書院障壁画を制作、金刀比羅宮奥書院襖絵を描く。
佐賀鍋島藩屋敷跡
1688年、肥前国佐賀郡(佐賀県)の外様藩の大名・鍋島家は35万石余を与えられ、藩邸を建設。 鍋島家は戦国大名・龍造寺の家臣であったが、龍造寺隆信の戦死後、鍋島直茂が領地を継承して成立。 藩の成立後、龍造寺分家との間で対立(鍋島騒動)が勃発。 現在も「佐賀化け猫騒動」として語り継がれている。 1701年、烏丸通四条下る西側へ移転。
円山応挙宅跡
1733年、丹波国南桑田郡(京都府亀岡市曽我部町)生まれ。 狩野探幽の流れを引く鶴沢派の画家、石田幽汀の門人。 「円山派」の祖で、現在の京都画壇の原形とも。 「銭舜挙(中国宋末・元初の画家)に応ずる」ことから「応挙」と名乗り、写生を重視した絵師であったが、一説によると「足のない幽霊」を描き始めた画家とも。
菁々塾跡
江戸時代、西谷淇水が開設した私塾「菁々塾」。 西谷淇水は1824年生まれ、手跡指南所篤志軒を営む西谷家の8代目。 1868年、広沢真臣らと小学校の設立を建言。 1869年、京都には寺子屋などの私塾を基礎とした64の小学校が開設。 菁々塾は日彰小学校の前身にあたる下京第四番組小学校に発展。 以後、小学校の教員となった。
京都
京都市東山区
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