後藤象二郎寓居跡
京都府京都市中京区大黒町51
江戸時代から明治時代にかけて活躍した土佐藩士で政治家。
板垣退助・佐々木高行と並ぶ土佐三伯の1人。
1838年、高知城下片町生まれ。
幼少期、叔父・吉田東洋に預けられ、少林塾に通い、柳河藩士の大石種昌に大石神影流剣術を学んで文武の業を修めた。
1858年、幡多郡奉行となり土佐藩の大坂藩邸建築のための普請奉行に就き、御近習目付となるも東洋が暗殺され、任を解かれた。
1863年、江戸に出て開成所で大鳥圭介に英語を学び、会津藩士・高橋金兵衛に航海術を学んだ。
1864年、藩政に復帰、前藩主で事実上藩政を執った山内容堂により大監察や参政に就く。