旧九鬼家住宅資料館
兵庫県三田市屋敷町7-35
明治時代、洋風建築と和風建築の意匠が混在した全国でも数少ない「擬洋風建築」として建設された。
三田藩家老職を代々勤めた九鬼家の住宅として知られ、設計は、当主であった九鬼隆範が自ら描いたとか。
元々、九鬼家とは藤原北家熊野別当の末裔で三重県尾鷲市で起こり、三重県鳥羽市を拠点に九鬼水軍を統率、秀吉の九州征伐や朝鮮出兵で水軍総督を務めた大名。
守隆の死後、五男の久隆と三男の隆季との間に家督争いが勃発し、水軍力を恐れた徳川家光は九鬼氏を分割、内陸の三田と綾部に移封させた。
これにより九鬼氏は鳥羽の地と水軍を失い、宗家を三田に移し、三田藩を統治することになる。