角倉了以別邸跡
京都府京都市中京区東生洲町
江戸時代に活躍した豪商・角倉了以。
1554年、近江国愛知郡吉田村(滋賀県犬上郡豊郷町)生まれ。
室町幕府お抱えの医者として務め、医業で得た財を元に土倉を営んだ。
「角倉」は運営していた土倉の名前の一つから取られたという。
朱印船貿易の開始とともに安南国との貿易を開始。
江戸時代、京都の山城の大堰川、高瀬川は私財を投じて開削。
その他、富士川、天竜川、庄内川などの開削を行い、琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎と共に「水運の父」と呼ばれた。
角倉家の本姓は吉田氏といい、佐々木氏の分家。
日本酒の酒蔵である岡村本家を経営する岡村家は角倉家の一族であるとか。