顕本寺
大阪府堺市堺区宿院町東4丁1-30 顕本寺
開基は日隆、開山は日浄。
1451年、堺の豪商・木屋と餝屋と称する者たちの自宅を法華堂としたのが始まり。
当初、開口神社に近い甲斐町山ノロにあった。
京都の本能寺や尼崎の本興寺を創建、本門流を起こした日隆の流れにあって、南西国末寺頭と呼ばれる寺格を得ていた。
1527年、室町幕府第12代将軍足利義晴を擁する管領細川高国に対抗して、細川晴元と三好元長が阿波から足利義維を迎え堺幕府(堺公方府)を樹立した。
1532年、高国を討ち取った(大物崩れ)後の晴元は、袂を分かった堺の元長へ一向一揆を差し向けて、当寺での元長の自害に追い込んだ。
そのため後ろ盾を失った足利義維は阿波へ去り、堺幕府は滅んだ。