打吹城跡
鳥取県倉吉市仲ノ町標高約204mの打吹山山頂付近に築城。
室町時代、伯耆国の守護・山名氏により守護所とされた。
1360年頃、伯耆の守護・山名時氏の嫡男である山名師義が築城したとされ、田内城から守護所を移した。
城下には商工業者が集められ、市が開かれるなど活況を呈した。
1524年、出雲国尼子経久による「大永の五月崩れ」で山名氏は没落したとも。
1562年、南条宗勝が打吹城を管轄下に置く。
天正年間には毛利氏が入り、南条氏攻めの拠点となった。
1585年、羽柴秀吉と毛利氏の和睦後、羽衣石城主・南条元続の支配下に入る。
南条元続は一族の南条備前守、小鴨元清、重臣の山田越中守を置いて、打吹城の守備にあたる。