武野紹鴎屋敷跡
大阪府堺市堺区中之町東2丁1502年、大和国吉野郡で生まれる。
父は信久、母は豪族中坊氏の娘。
祖父仲清の戦死後、父信久は各地を放浪の後、「武田が下野して武野になった」という意味合いで「武野」に改姓した。
その後、信久は堺に定住、皮革業を営むようになった。
幼いころから学問を好み、三条西実隆に師事して和歌を学んだ。
和歌において、稽古(勉強・経験の積み重ね)と創意工夫(学んだ通りをするのみではなく、自分で新しく生み出す)大切さを教わった。
紹鴎は、実隆から教わったこの思想を、茶道にも取り入れていくこととなる。
後に紹鴎は弟子を持ち、今井宗久、足利義輝、千利休らを育てた。