久修園院
大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目46
725年、付近を流れる山崎川に橋を架橋し、久修園院を創建した。
通称、「釈迦堂」「木津寺」と呼ばれている。
創建当時、七堂伽藍が建ち並び、聖武天皇の勅願所であった。
1615年、大阪夏の陣により消失。
1680年、宗覚律師により再興。
宗覚律師は、儒仏・医学・宗教学・地理学・天文学・武芸・音楽・絵画・彫刻などに長けていた。
1868年、鳥羽伏見の戦いが勃発し、政府軍に敗北した薩摩藩・長州藩が橋本本営として本陣を構えた。
また、水堀を備えた西洋式の稜堡式砲台、火薬庫、大砲を設置、楠葉台場とした。
さらに、付近は古墳時代、中世時代の複合遺跡「楠葉中之芝遺跡」がある。