勝久寺
大阪府摂津市千里丘東3丁目4-5
1570年、本願寺(大阪市中央区)と織田信長による石山合戦が勃発。
本願寺の末寺である勝久寺の住職頓恵や百姓らは、摂津・河内・和泉の僧俗と、石山本願寺にたてこもった。
1580年、本願寺と織田信長は和睦により終結した。
顕如の石山本願寺退去に伴い、戦いに加勢した住持・門徒も帰村した。
顕如の子、教如が徹底抗戦を呼びかけ、勝久寺門徒はこれに呼応した。
安堵の思いで勝久寺に集まり、法話や読経を行っていたところ、不意に信長軍が来襲、本堂を焼き払い、多数の門徒たちを殺害した。
寺の前方を流れる境川は古戦場「流れの馬場」として伝えている。