堀部安兵衛武庸の碑
東京都中央区八丁堀1丁目14-7江戸時代に活躍した武士で赤穂浪士四十七士の一人。
通称、安兵衛。
1670年、越後国新発田藩(新潟県新発田市)溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男。
13歳の頃、父は溝口家を追われて浪人となる。
父の没後、母方の祖父・盛政に引き取られ、姉・きんの嫁ぎ先である長井家に引き取られた。
19歳の頃、長井家の親戚・佐藤新五右衛門を頼って江戸へ出て、小石川牛天神下にある堀内正春の道場に入門。
天性の剣術の才で頭角を現し、免許皆伝となって堀内道場の奥田孫太夫、菱沼式兵衛、塩入主膳と並ぶ四天王と呼ばれた。
菅野六郎左衛門が高田馬場での果し合いの際、武庸は助太刀として相手方を斬った(高田馬場の決闘)。