稲付城跡
東京都北区赤羽西1丁目21-17
戦国時代、太田道灌、扇谷上杉氏らによって築城。
現在、曹洞宗の寺院、静勝寺がある。
太田資高、太田康資によって当地に館を築いた。
後北条氏が入城するも徳川家康の命により廃城。
1504年、太田道灌の死後、太田道灌の師雲綱和尚が城の一角に堂を建立して道灌寺とした。
1655年、太田資宗が中興、太田道灌とその父・太田資清の法号によって寺号を自得山静勝寺と改称。
弁天堂の亀ヶ池弁財天は地元商店街が中心となった弁天講の要望で、静勝寺弁天堂から弁財天を勧請。
名称の由来はかつて付近に存在した亀ヶ池から。