阿弥陀寺公園
山口県下関市阿弥陀寺町7-7江戸時代、鎖国政策を実行していたが、唯一、国交を維持していたのは、朝鮮国。
1607年から1811年までの間、12回、来日し、現在は、朝鮮通信使上陸淹留之地として石碑が建立。
阿弥陀寺と引接寺に滞在し、儒学の先進国であった朝鮮の文人から水準の高い文化を吸収しようと多くの藩士、文人が集まったとか。
阿弥陀寺は、明治維新の神仏分離、廃仏毀釈で赤間神宮となっている。
長州藩には船島(巌流島)から上関(現在の上関町)まで通信使を護衛する任務を負っていて、徴集した船は600隻を越えたという。
長州藩主毛利吉元が自ら接待にあたり、「長門下之関御馳走一番」(長州藩の御馳走が一番)と評されている。