白石正一郎旧邸跡
山口県下関市竹崎町3丁目81812年、長門国赤間関竹崎で米や酒、木材等を扱う萬問屋(荷受問屋)小倉屋を営む白石卯兵衛・艶子の長男。
鈴木重胤から国学を学び、重胤の門下生を通じて西郷隆盛との親交を深め、薩摩藩の御用達となった。
月照上人、平野国臣、真木保臣らと親交を深め、尊皇攘夷の志に影響を受け、長州藩の高杉晋作、久坂玄瑞らを資金面で援助。
土佐藩を脱藩した坂本龍馬らは一時、白石邸に身を寄せていた。
高杉晋作の奇兵隊に次弟の白石廉作とともに入隊。
正一郎は奇兵隊の会計方を務め、士分に取り立てられた。
赤間神宮の2代宮司となった。
赤間神宮の背後の紅石山に奥都城が建てられ、隣には真木保臣の次男・真木菊四郎の墓が並ぶ。