勝龍寺城大門橋
京都府長岡京市勝竜寺14-14勝龍寺城は1339年、南北朝時代後醍醐天皇を擁する南朝方は、男山八幡宮まで進出し、京を窺う情勢であった。
北朝方の足利尊氏は細川頼春(細川氏遠祖)とその弟師氏に命じて、京を守るために前戦基地として勝龍寺に土塁を持って周囲を囲む城塞を築いた。
784年、宇波多川(小畑川)は向日市から東流し、京都府伏見区で合流。
その河道を西南に移動して勝龍寺域の外堀の役目を果たしながら、大山崎町で桂川に合流させる河川工事を担当したのが弟の細川師氏。
1571年、織田信長の許可を得て細川藤孝(幽斎)は鉄砲戦術に対抗するため総構を拡張。
大手門、搦手を構築。
大手門に架かる橋を大門橋と呼んだ。