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道明寺の戦いの激戦地、大阪府藤井寺市で古跡を散策

道明寺の戦いの激戦地、大阪府藤井寺市で古跡を散策

まいど! 1614年、1615年に勃発した大坂の陣の一つ「道明寺の戦い」は大阪府藤井寺市が激戦地。 玉手山公園(大阪府柏原市)では後藤又兵衛(後藤基次)によって陣が敷かれたとされ、現在も語り継がれてまんねん。 藤井寺市内には道明寺や道明寺天満宮、辛国神社、葛井寺など、藤井寺市を代表する神社や寺院が鎮座。 その他、大阪近鉄バファローズ(オリックスバファローズの前身)の本拠地として知られた藤井寺球場が存在してたっちゅうてね。 今では、学校、住宅街として整備されてまっさかい、球場跡地としての名残は一つもおへんのですけど、記念碑が建立され、ファンの間で話題となってまんねん。 過去には藤井寺市出身の有名人がいてはります。 遣唐使として派遣された井真成氏。 現在では、藤井寺市のマスコットキャラクターとして活躍してはりまんな。 その他、昔ながらの駄菓子屋さんをはじめ、全国のスーパーマーケット、コンビニエンスストアでよく目にする「乳ボーロ」卵ボーロ」「ちょぼちょぼ」は大阪前田製菓の人気商品。 ここには本社兼工場がおまして、工場内でつくられた「きなこ団子」、「みたらし団子」は人気となってまんな。

もくげんじ
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もくげんじ

学問の神様として知られる菅原道真公は大宰府への左遷途中に藤井寺市に立ち寄り、道明寺で五部の大乗経を書き写した。 経文の写経の際、硯の水を寺の北側にある井戸まで汲みに訪れたが、硯の水がなくなった時に、2人の子供が現われ、硯の水を汲んでくれた。 そのため、写経を早く終わらせることができたとか。 経文の納めるとき、3人の僧の姿をした神様が出現し、講堂の西の方を指した。 菅原道真公は、神様の指さした講堂の西側に埋め、大乗経を納めたところから、数年後にもくげんじが育ったと伝えられている。 もくげんじは落葉樹で、6月下旬に黄色い花を咲かせて見頃を迎える。 道明寺のもくげんじとして府指定の天然記念物に指定。

道明寺合戦記念碑
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道明寺合戦記念碑

1614年、豊臣軍と徳川軍による大坂冬の陣が勃発。 1615年、豊臣軍と徳川軍による大坂夏の陣が勃発。 大坂夏の陣における戦いの一つ、道明寺の戦いは道明寺と道明寺天満宮を中心とする藤井寺市、柏原市が激戦地となった。 豊臣方では、後藤又兵衛(基次)や真田幸村(信繁)、毛利勝永らが活躍した。

国府遺跡
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国府遺跡

約200万年前にあたる旧石器時代の遺跡として知られている。 大正時代、発掘調査が実施され、縄文時代前期・弥生時代の遺物とともに、多くの埋葬人が発見され、注目を浴びた。 サヌカイト製の大型石器、縄文時代文化層より下位の粘土層中からサヌカイト製の石器群が確認され、鎌木義晶によって翼状剥片の連続剥離技術の工程が復元された。

藤井寺市立生涯学習センター
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藤井寺市立生涯学習センター

1994年、考古学・歴史系博物館施設として開設。 館名の「アイセル」は、Activity、Information、Consultation、Exchange、Learningの頭文字を並べたもの。 「シュラ」は藤井寺市で出土した古墳時代の巨石運搬用ソリ「修羅」の意味。 外観は「船形はにわ」と「修羅」をイメージしてデザイン。 歴史展示室では、「倭の五王と巨大古墳」をテーマに、古墳築造技術の紹介、出土品等を展示。 「ふじいてらの大昔」をテーマに、藤井寺の古代史などの紹介を行っている。 日本最大級かつ最古とされる「水鳥形埴輪」、日本最大級の「船型埴輪」が展示。

球場跡記念碑
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球場跡記念碑

近鉄藤井寺球場跡地。 1928年、阪神電気鉄道が建設した阪神甲子園球場が全国中等学校野球大会の舞台として人気を集めたことから、当地に野球場を建設した。 5月27日の海軍記念日に併せて開場式が行われ、記念試合が行われた。 1949年、2リーグ分裂時に近鉄は新球団を結成し、近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ)の本拠地として以降、「パールススタジアム」と称した。 後に愛称「バファローズ・スタジアム」となった。 2005年、閉鎖。 正門東側には藤井寺市、近畿日本鉄道、四天王寺学園の三者共同による藤井寺球場記念モニュメントが設置された。

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