三島由紀夫作品「豊饒の海」奔馬 散歩
第2巻 奔馬
新開大神宮
その1 宇気比(うけひ) 太田黒伴雄ら四人が神拝し、太田黒が宇気比を新開大神宮で行っている。 新開大神宮のWebによると、 太田黒伴雄肥後国学の祖「林櫻園(はやしさくらその)翁」との縁により新開大神宮の第17代宮司として奉仕され、その人望から神風連首領として明治9年(1876)を迎えられる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/新開大神宮
錦山神社(現、加藤神社)
1876年(明治9年)廃刀令により一党の敬ふ神を護る手段がなくなると嘆く。 加屋 霽堅(かや はるかた)が、佩刀奏議を書き県令に送る。日本刀を讃える千古の名詩文であると三島由紀夫は表現している。 太田黒は、3度目の宇気比を大神神社で行い、神の御嘉納となり一党は正しく神軍となった、と記している。 加屋 霽堅は、錦山神社で宇気比を行い、「進め」と出た、とある。
藤崎八旛宮
その2 受日(うけひ)の戦 一党が挙兵当夜の総集所に宛てたのが長老の家であり、それが藤崎八幡宮真後ろであった、とある。
熊本城
熊本城 200人ほどが集まった黄昏の総集所から熊本城が望まれた、とある。
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