吉原入江
Kyoto Prefecture, Maizuru, Higashiyoshihara, 府道565号線吉原地区にある入江。
昔から漁業が盛んで、全国から人が集まり、半農半漁が主流の時代に専業漁師が約600人いたとも。
1600年、田辺城の細川幽斎(藤孝)は関ヶ原合戦に向けて西軍に城を取り囲まれながらも籠城を決意。
吉原の人々は深夜、田辺城の兵士らに魚など食糧を届け、徳川家康率いる東軍が勝利。
籠城戦の手柄として、城下の漁民に領内で自由に漁ができる特権を与えたとか。
1727年、火災に見舞われ、吉原が火元とされた。
城主より伊佐津川の対岸へと集団移転を命じられた。
大阪への鉄道が開通し、線路は舞鶴港まで引き込まれた。
都市部への魚介類の流通が盛んとなるも舞鶴湾に軍港が整備され、衰退。